■雨

梅雨だから仕方がないとはいえ、このところしばらく雨が続いている。
じめじめとして鬱陶しい、だけじゃなく。
どうしても、雨が続くと落ち着かない。
陽介と悠が高校生だった時起こった事件のせい、だろう。
雨が降り続くと霧が出て、テレビの中に入れられてしまった人は、自分の影に殺される。
それまでに助け出さなければいけなくて。
毎日天気予報をチェックする日々だった。
その癖は今でも抜けていないけれど。

しとしとと降り続く雨を窓越しに眺める。
今日は日曜日で、仕事は休みだった。
せっかくの休日が雨で、何だか色々と損をした気分になる。
窓際に立ち外を眺めて、思わず溜息を吐き出した。

「眺めてても雨はやまないぞ」

そんな陽介を見かねたのか、背後から鳴上が声を掛ける。
振り返り、こちらを見ている鳴上を見て、陽介はそちらへと足を向ける。
隣に座って、小さく溜息を吐き出して、言葉を紡ぐ。

「分かってるって。ただ何となく落ち着かないだけで」
「まあそれは、分かるけどな」
「お前もか」
「まあ、な。天気予報を確認して、まだ大丈夫だ、とか思ったりな」
「あれから結構な時間が経ってるのにな」
「異常と言っていいような日々だったからな」

確かに、と陽介は思う。
テレビの中に入って、ペルソナを使って戦う。
あの事件に関わった者以外に言ったなら、大丈夫かと心配されそうなことが起こっていたのだから。
当たり前の日常と、異様とも言える非日常。
隣り合わせのそれは、互いに干渉しあい、結果、掛け替えのない仲間と、掛け替えのない日々を手にした。
見たくないものを見せられたし、大切な人も失った。
けれどそれでも、あの日々がなければ、今はない。
鳴上と共に在れるのは、あの日々があったからだ。
隣を見れば、窓の外、降り続く雨を眺めている鳴上が居る。
当たり前になったその光景をしばらく眺めて、陽介は窓の外、降り続く雨へと視線を移す。
途端に、隣に居る陽介にもやっと聞こえるくらいの小さな音が聞こえてきて、再び視線を鳴上へと戻した。

「――どうした?」

視線に気づいたらしい鳴上が陽介へと視線を向けて問う。

「……お前、今――」

そこまで言い、陽介は口を噤む。
隣に居た陽介の耳にやっと届いた小さな音は、確かに「菜々子」と聞こえた。
鳴上は菜々子ちゃんの事を本当の妹のように可愛がっているから、菜々子ちゃんの名前が出ることは珍しくはない。
だが、降り続く雨に、先程の話題。
そして、菜々子ちゃんの名前を呟いた時の鳴上の表情。
それらから導き出される答えは――あの日々の中、一番辛かったであろう出来事。
仲間の誰に聞いても、恐らくは同じ答えが返ってくるだろう。
菜々子ちゃんがテレビの中へと入れられて、追いかけてテレビに入り見たものは、綺麗でけれど悲しい光景だった。
菜々子ちゃんが作り出したその場所は、本当に綺麗で、けれど伝わってくる思いは、寂しい悲しいと言った、普段菜々子ちゃんがあまり口にしないようなもので。
それが、母親を亡くした彼女が、ずっと独りで抱えてきた思いだと分かった時は、本当に遣り切れない気持ちになった。
それは、仲間の誰もが同じ気持ちで、けれど鳴上は……。
仲間の中で誰よりも菜々子ちゃんの近くにいたはずの鳴上は、あの時何を思っていたのか。
菜々子ちゃんがあんな目にあったのは自分のせいだと思っていたのは知っている。
だが、それ以外の事は何一つ、言わなかったのだ。
怒り、悲しみ、そして――後悔。
読み取れた感情はその程度で、けれど恐らくはもっと複雑な思いを持っていたのだろう。
今の鳴上を見る限りでも、それは分かる。
いや、今だからこそ、分かるのか。
再び窓の外、降り続く雨をじっと見つめている鳴上に、手を伸ばす。
少々強引にその体を引き寄せれば、腕の中から困惑した声が上がった。

「陽介、突然、何を……」
「お前さ、あの時、何を思ってた?」
「――」
「結局最後まで、何も言わなかったよな。いいんじゃないか、そろそろ言っても」

それだけ言って鳴上を解放して、陽介は鳴上の言葉を待つ。
こうやって待つのは、あの頃は鳴上の役目だった。
リーダーだったからなのか、性分なのか。
仲間達皆の話を、良く聞いていた。
不思議なもので、今まで誰にも話したことがないような事を、最終的には鳴上に話していた。
鳴上は黙って話を聞いて、そして全部受け止めてくれた。
随分と気持ちが軽くなったのを、覚えている。
けれど、あの頃の俺は、自分のことでいっぱいいっぱいで、鳴上の話を聞いてやることは出来なかったのだ。
皆の話を聞き、受け止めていた鳴上の思いは、誰が受け止めてくれたのだろう。
随分と時間が経ってしまったが、いい機会だから、今度は受け止めたいと思う。
あの時は言えなかったであろう思いを、全て。

しんと静まり帰った部屋に、雨音だけが響く。
あの時何を思っていたのか。
その陽介の問いに、鳴上はなかなか口を開こうとはしない。
けれど、陽介は待つつもりだった。
相棒である鳴上が、話す気になるのを。
どのくらいの時間が経過したのか。
雨音だけが響く部屋に、鳴上の声が響く。

「あの時俺は、自分が何よりも許せなかった」

そんな言葉から始まった、あの時の事。
一瞬にして、あの日々へと戻るようなその感覚に身を任せて、陽介は黙って鳴上の言葉を聞いていた。

あの時、陽介が生田目をテレビに落そうと言ったからこそ、冷静になれたのだと、鳴上は言う。
そうじゃなかったら――生田目をテレビに落していたかもしれない。
そう続けられた言葉に、陽介は驚いていた。
生田目が本当の犯人じゃないとか、そんなことは関係ない。
菜々子をあんな目に合わせたのは、それは間違いなく生田目なのだから。
けれど、あの時菜々子が一人になってしまったのは、鳴上の不注意のせいで。
だから、菜々子があんな目にあったのは、自分のせいなのだと、鳴上は言う。
陽介のお陰で冷静になれて、何もかも自分のせいなのだと実感した。
自分自身に対する怒りの、その強い感情をぶつける場所がどこにもなくて。
行き場のない怒りをただただ持て余していたらしい。
仲間の誰かに当たる事も出来ず、誰かに話す余裕もなく。
ただ只管に、前に進むことしか出来なかった。
後悔と怒りを抱えて、ただ前に。
事件を解決出来たなら、後悔も怒りも消化されるかと思ったけれど、そんなこともなく。
未だに雨が続くとあの日の事を思い出す。
そうして浮かぶ感情は、あの時の事で――ただそれでも、後悔も怒りもあの時よりはずっと薄れているけれど。

語られた内容に、陽介は驚いていた。
なんと言葉を返せばいいのか分からず、しんと静まりかえった部屋には、雨音だけが響く。
そんなことはないと、鳴上のせいじゃないと、そう言う事は簡単だ。
だが、そんな言葉で全てを消化出来るはずもない。
陽介自身も、あの時は色々な思いを抱えていた。
後悔も罪悪感も、そして――優越感に似た感情も。
それらの思いは、やはり雨と共に思い出す事が出来る。
鳴上と共に過ごして来た日々の中、少しずつではあるが、消化出来てはいるが、それでもまだ全部は消化出来ていなかった。
未だに薄れたとはいえ、後悔も怒りも抱えたままの状態の鳴上に掛けられる言葉を持ち合わせてはいない。
だから、陽介は自分の気持ちを素直に伝えようと、そう思った。

「俺は、そんな鳴上を尊敬してるし……好き、だぜ」
「……」

無言で、けれど驚いた表情で陽介を見る鳴上を見て、珍しいなと思う。
ここまであからさまに驚いた表情を見せることは、本当に稀だった。
感情があまり表に現れないのだ、鳴上は。
それは、出会った頃から変わらない。
ただそれでも、出会った当時に比べたら、随分と分かり易くはなった。
陽介が分かるようになったのもあるが、鳴上も変わった。
だが、今話題に出ているあの日の頃は確かに、出会った当時に戻ったようだったなと思い出す。
あの時は陽介にも余裕がなかったから、気づいていても何も出来なかったが。

はあ、と大きな溜息が聞こえてきて、陽介の思考は中断される。
溜息を吐き出した相手を見れば、何とも言えない表情をしていた。

「どうしたんだよ」
「……あー、うん。……陽介だなって思った」
「はあ?」
「分からないならいいよ」
「……」
「――菜々子に、会いたいな」

そう言った鳴上の表情が先程よりは吹っ切れたように見えて、少し安心する。
だが、あの会話の流れから何故、菜々子ちゃんに会いたいとなるのかが分からなかった。
――なんとなく、面白くない。
分かっている。対抗するだけ無駄なことは。
鳴上にとって菜々子ちゃんは大切な妹で、特別だってことも。
面白くないが仕方ないかと思った途端、ふわりと温かいものに包まれて――鳴上に抱きしめられたのだと知る。

「ありがとう。……俺も、好きだ」

耳に届いた言葉に、今度は陽介が驚き目を見開く。
今更ながら自分の言葉の意味を理解し、恥ずかしくなる。

「あ、いや、だからあれは、そういう意味じゃなくて」

だからつい、慌てて言い訳のような言葉を発してしまった。
途端に鳴上が纏う空気が変わったのが分かる。
まずい、と思った時は、遅かった。
温もりが離れて、次いで不機嫌そうな声が聞こえてくる。

「そういう意味じゃないのなら、どういう意味なのか、ゆっくり聞かせてもらおうか。どうせ外は雨で出かけられないからな」

再びあの日々の光景が浮かんでくる。
シャドウ相手に戦う鳴上と、今目の前に居る鳴上が重なって、「イザナギ!」とペルソナを呼ぶ鳴上の声が聞こえてくる気がする。
未だ雨は降り続いているのに、先程まで響いていた雨音さえもが陽介の耳に届かなくなる。
勝てる気がしないが、取り敢えずは、今目の前に居る強敵を打破する方法を考えようと、そう思っていた。

雨の記憶が塗り替えられるのも、きっともう直ぐ。



END



2014/06/24up : 紅希