■雨

強くなってきた雨を凌ぐため、雨宿りの出来る場所へと移動し、降り続く雨を眺める。
雨が落ちてくる空へと視線を向けて――何となく、不安になる。
待ち合わせの時間に遅れると、彼女から連絡があったのは、少し前だ。
こうして待っている時間も好きだが、どうしても不安になる。
だからなのか、今日のように彼女が待ち合わせに遅れると連絡してきた時はいつも、かなり焦った様子で。
そして最後に必ず「絶対に行くから、待ってて」と付け加えるのだ。

『絶対に行くから、待ってて』
『大丈夫だよ。遅れて来たからって帰ったりはしないから』
『そういう意味じゃないわ。とにかく、絶対に行くから』
『うん、分かった。待ってるから、慌てなくていいよ』

そんなやり取りをしたのは、少し前だ。
恐らく彼女は、この雨の中、走って来るのだろう。慌てた様子で。
そして鷹斗をじっと見て、安堵したような表情を浮かべるのだ。
彼女が待ち合わせに遅れる時は、いつもそうだ。
たとえ連絡がなくて遅れたとしても、帰ることはないし、帰ったことも一度だってない。
そう彼女に言ったら、分かっていると言われた。
だから、遅れて来た時の彼女の安堵した表情の意味は、良く分からない。
そして、そんな彼女を見る度に、何故かどうしようもなく不安になる。
特にこんな雨の日は――。
雨に何か嫌な思い出がある訳じゃない。
雨とか雪とか、そんな日の暗い空。
何故なのか撫子は、暗い空を何とも言えない切なげな表情で見つめる時が良くある。
恐らく今日も、そんな彼女を見ることになるだろう。
その上更に、遅れて来た彼女が鷹斗を見て浮かべる安堵した表情も見ることになる。
――まるで、ここに居る自分じゃない誰かを見ているような気がして、どうしようもなく不安になる。
その誰かに浚われてしまう気がして……。
彼女が居なくなったら――どうなってしまうんだろうか。
その可能性を考えるだけで、恐ろしくなる。
何も考えられなくて、考えたくなくて、思考を閉じる。
彼女の居ない世界なんて、考えたくもないから。

小さく溜息を吐き出して、鷹斗は一歩踏み出す。
この雨に、浮かんだ不安が全て流されればいいと、そんなことを思いながら、降りしきる雨の中立ち尽くす。
降る雨に服や髪が濡れるのも構わずに、鷹斗はただじっと、暗い空を見上げて立ち尽くしていた。
どのくらい経っただろうか、近づいてくる足音が聞こえてくる。
ああ、やっぱり走って来たんだと思い見れば、思った通り撫子が傘を差して走って鷹斗に向かって来ていた。

「お待たせ」

そう、いつもなら言うはずの撫子は、鷹斗の姿を見た途端驚いたように目を見開き、慌ててバックの中からハンカチを取り出す。
片手に傘を持ち、鷹斗に差しながら、もう片方の手にハンカチを持ち、雨に濡れた鷹斗を拭く。
なんで雨の中傘も差さずにいたのかと怒ったように問いながら、撫子は濡れた鷹斗を拭き続ける。
その様子を見ながら、今この瞬間、撫子の視線も意識も全てを鷹斗が独占しているのかと思うと、嬉しくなる。
いつもならば撫子の視線も意識も奪う暗い空も、今だけは許せそうな気がした。

一度聞いたことがあるのだ。
雨の日に。
暗い空を見て、そんな表情をするのは何故なのか、と。
自分以外の誰を見ているのか、とは流石に聞けなかったけれど。
撫子の答えは、「分からない」だった。
ただ、どうしようもなく悲しくなる、らしい。
その理由までは分からない、らしいが。

「それなら、暗い空は嫌いなの?」
「嫌いじゃないわ、嫌いじゃない」

必死とも取れる様子でそう答えた撫子を、どうしても忘れることは出来ない。
どうして、何故、そんなことばかりが浮かんで。
けれどそれ以上問うことは出来なかった。
聞いても「分からない」以外の答えが得られるとは思えなかったし、もしもの可能性をそれ以上考えたくなかったというのもある。
何よりも、自分以外のモノへ思いを馳せているであろう撫子を、それ以上見ていたくなかった。
不安がなくなることはない、恐らくはこの先もずっと――。

「鷹斗の家の方が近いわね、ここからだと」
「え?」
「そのままじゃ風邪引くわ。だから、鷹斗の家に行きましょう」
「でも、食事は……」
「鷹斗の家で何か作るから」
「それなら、俺も――」
「手伝わなくていいから!」

鷹斗の言葉を遮るようにして、撫子は言う。
――とにかく、急ぎましょう。
そう続けられて、鷹斗は、家に向かって歩き出した。
一つの傘を差して、二人で歩く。
撫子の傘一つでは、小さくて、どうしても濡れてしまう。
それでも、もう一つ傘を差す気にはなれなかった。

雨の日の暗い空が、今日だけは彼女の視線も意識も奪わない。
だから、もう少しだけこのままで。
そうしたら、雨の日の暗い空も、少しは好きになれるかもしれないから。
そう思いながら、空を見る。
雨は小降りになり、少しだけ空が明るくなって来ていた。






END



2014/06/24up : 紅希