■理想郷

何度か味わった感覚の後、直接頭に届くように膨大な情報が入って来る。
またどこかの聖杯戦争に呼び出されたのか、そうその時は思っていた。
呼び出された場所の情報は、呼び出されたと同時に”知っている”状態になる。
目の前に恐らくは己を呼び出した魔術師が居るのだろうと思い、アーチャーは小さく溜息を吐きだし視線を巡らす。
途端に視界に入った光景に、耳に届いた声に、驚いた。


「何でお前が此処に居る?」
「それはこちらの台詞だ。何故君が此処に居る」


目の前に居たのは、何故なのか何度か聖杯戦争で共に闘った、ランサーだった。


「……なあ、何か可笑しくねえか?」


辺りへと視線を走らせて、ランサーはアーチャーに問う。
可笑しいも何も、呼び出されて目の前に魔術師が居なかった事は、まあ過去にそういう経験もあるが……だが流石に、同じように呼び出された存在が目の前に居た事などない。
ランサーがアーチャーの目の前に居た事自体が既に可笑しいのだ。
だが、決してアーチャーは察しの悪い方ではない。
ランサーが言わんとしている事も、分かった。
そう、可笑しいのだ。
守護者が呼び出される条件の一つが、ここには気配さえない。
戦いの気配が――ないのだ。
それ以外にも、理由は分からないが、違和感が付きまとう。
何かが可笑しいと思っても、それが何なのか分からなかった。


「これは一体、どう言う事だ?」
「さあな。まあ、取り敢えずよろしく頼むわ」
「何故そうなる」
「戦いの気配もない、魔術師の気配はあるが、マスターの存在はない。この状況で別々に行動するのが良いとは思えないけどな」
「……まあ、確かにな。不本意だが仕方あるまい」
「ホント、相変わらずだよなあ」


そのランサーの言葉を無視して、アーチャーは辺りの気配を探る。
突然この場に現れたアーチャーとランサーの事など気にも留めないのか。
誰一人、突然現れたアーチャーとランサーに意識を向ける事もなかった。
辺りにある気配は――どれもが魔術師のそれで。
それがまた不可解だった。
通常魔術師は、魔力を隠し、魔術師であると悟られないようにして過ごす。
だが、此処の魔術師達は、魔力を隠す事をしていないのだ。
と言うよりは、周囲にある気配の全てが魔術師のそれで、魔術師ではない者の気配を今のところ感じる事が出来ないのだが。


「俺たちを呼び出したのが聖杯だってのは、間違いないみたいだな」
「そのようだな」


ランサーの言う通り、聖杯が二人を呼び出したのは間違いない。
この世界に聖杯があるのは、確かだった。
魔術師とパスが繋がっていないのに流れ込んでくる膨大な魔力。
それは聖杯から送られるモノと、何故なのかこの辺りに満ちている魔力が流れ込んで来ていた。


「これだけ魔力が満ちてれば、普通の人間は生活出来ねえか」
「そうだろうな」


だから、魔術師の気配しか感じられないのか。
だが、魔術師であっても、これだけ魔力が満ちている中で生きていくのは、かなり厳しいはずだ。
しかも外界に満ちている魔力が直接流れ込んで来るなど、普通ではあり得ない事だ。

一体此処は、何なのか。
呼び出された時にこの世界の情報を与えられる。
だが、どう考えても与えられた情報では不足だった。
――理想郷。
それは、この場所の名前らしいが、理想郷などと言うモノは存在しないとアーチャーは思っている。
想像上のモノだからこそ、理想なのだ。
現実と理想はかけ離れたモノだ。
そんな事誰よりも良く知っている。嫌って程に。
途端に感じる視線に、気配に、ランサーへと視線を向ければ、やはり気付いているらしいランサーの視線が鋭くなる。


「ま、どちらにしろ情報が足りねえな。――説明してくれるんだろ?」


建物の陰へと鋭い視線を投げて、ランサーが告げる。
その言葉とほぼ同時に、アーチャーも何かあった時直ぐに戦えるように準備する。
性格的にはとことん合わない二人であるが、言葉を交わさずとも相手がどう動くか分かる程度には戦う面での相性はいい。
二人の意識が向いた先の建物の陰から、一人の女性が姿を現した。
近付いてくる彼女を、気を張ったままで待つ。
二人の前に立った女性は、まだ少女と言っても良いような容姿だった。


「サーヴァントが此処に来たのは初めてじゃないかしら。……此処を壊しに来たの?」
「さあ、どうだろうな。呼び出されたのは確かだが、どんな目的があって呼び出されたのかまでは、分からないな」
「そう、やっと終わるかと思ったのに」


心底残念そうに言われて、思わずアーチャーとランサーは顔を見合わせる。
張り詰めていた気配を解いて、少女を見据えてアーチャーは問う。


「終わる、とは?」
「この世界が普通じゃないのは分かるでしょ? 此処にある聖杯は、ありとあらゆる世界のある種の願いを叶えてしまう」
「……」
「強く強く存在を望まれた者を、この世界に呼んでしまうの」
「……存在を望まれた者」
「そう。此処に居る皆は一度命を落とした者たちよ。元々は魔術師じゃなかった人も多いけど、此処は魔術師以外は生きていけないから」


だから、此処に呼ばれた時点で皆、魔術師になっているのだと、少女は告げる。
そうして、永遠と続く命と、不老と言うモノを与えられる。
最初は喜んでいた者達も、次第に無気力になっていって。
皆ただ生きているだけになっていくのだと、少女は悲しげに告げる。
人はいずれ来る死と言うモノがあるから、精一杯生きる事が出来る。
永遠に生が続くのならば、今日しなければならない事など何一つなくなるのだ。
明日でも明後日でも、十年後でもいい。
やらなければならない事も、したい事もなくなって、生きる気力さえもなくなるのだ。
言われて辺りを見渡して、成る程とアーチャーもランサーも思う。
違和感の正体にやっと気付いた。
人がいて緑があって。
それなのに、生が感じられない。
それが違和感の正体で、その理由も分かった。


「それで、君は何を望む?」
「……え?」
「何かして欲しい事があるんだろ、俺達に。だから俺達の様子をうかがってた。違うか?」


アーチャーの問いに疑問を返した少女に、ランサーが告げる。
二人を交互に見て、少女は悲しげに笑って告げた。


「この世界を壊して。お願い」
「……君が、私達を此処に呼んだのか」
「それは違うわ。……貴方達が此処に来たのは、誰かに存在を望まれたから。此処の聖杯が叶える願いは、それだけだから」


それと、此処に来る者達は生前決して幸せと言われる日々を送って居ない者たちが多いのだと続ける。
その少女の言葉に、アーチャーとランサーは共に微妙な顔つきになった。
とことん性格は合わないし、正反対と言ってもいい二人だが、一つだけ共通点があるのだ。
ランサーとアーチャー。
合わない二人が此処に来た理由は恐らくそれ。
彼らは共に、幸運値が低いのだ。
他人から見たら決して幸せと言える日々を送ってはいないだろう。
それ故に、存在を望まれる心当たりもまた、あった。


「成程な、そう言う事か」
「……まあ、呼ばれちまったものは仕方ねえ。どうにかしないと還れないしな」


了解したと告げれば、少女は「ありがとう」と言って去って行く。
その背を見送って、アーチャーとランサーは共に溜息を吐き出した。
何か思い付いたのか、にやりと笑ってランサーは告げる。


「此処に残るって選択肢もあるぜ」
「残る気もない癖に良く言う」
「まあな。こんな退屈な所にいつまでも居たいとは思わねえな」
「同感だ」


珍しく意見が合うなと互いに微かに笑う。
ある意味「理想郷」ではあるのだろう。
此処に居れば、守護者としての日々からも解放される。
だがそれでも、此処に居たいとは思えないのだ。
それにしてもとアーチャーは思う。
守護者として、サーヴァントとして呼び出された先で何故か良くランサーと会うのだ。
共闘した事も何度かある。
互いに合わないと思っているにも関わらず会ってしまうのは、やはり互いに幸運値が低いせいだろうかと思う。
とは言え、ランサーもアーチャーも、性格は合わないが共に戦うにはやり易い相手だとは思っていた。
この世界を壊すには、この世界を形作っている聖杯を壊すしかない。


「さてと、それじゃあ行きますか」
「……何処に行くつもりだ」
「聖杯のあるところに決まってるだろ」
「……君は、もう少し情報を集めようとは思わないのかね」
「情報集めたって、やる事は一つだろ?」
「聖杯がどんなものかも分からない状態で戦うのは、危険だと言っているのだが」
「そんなもん、行ってみりゃわかるじゃねえか」


思った通りの返答に、アーチャーは深い溜息を吐き出す。
「ほら、行くぞ」と言って歩き出すランサーを見て、何を言っても無駄だと悟る。
仕方ないと呟いて、アーチャーはランサーの後を追いかけた。


森、と言っていい場所の一番奥に、それはあった。
そして、少女がアーチャーとランサーに「壊して欲しい」と依頼した理由も分かった。
魔術師でも、此処は人が存在する事は出来ない。
むせ返るほどの濃い魔力が充満するこの場所は、他の場所から切り離された所にあった。
自らを守る為か、魔物と呼ばれるような存在が徘徊する場所。
そこは、現実に存在する場所ではなく――人が存在する事が出来ない場所。
英霊と呼ばれる彼らだからこそ、この場所に存在することが出来るのだ。

聖杯から生み出される魔物を斬り捨てて、アーチャーはランサーへと視線を投げる。
いくら斬り捨てても、後から後から生み出されていてはキリがない。
意思があるのだ、聖杯にも。
長い年月、ありとあらゆる世界の人々の、存在を望む願いを叶え続けてきた弊害か。
壊されまいと抵抗する。


「本体を壊さねえと、どうにもならねえな、これは」


援護すると告げて、アーチャーは双剣を構える。
ランサーの武器は槍で、投擲するモノだ。
それならば、ランサーが本体を狙い、アーチャーが双剣で近付いてくる魔物を薙ぎ払った方が効率が良い。
そのアーチャーの考えが分かったのか、ランサーは短く肯定の返事をして、ゲイ・ボルグを構える。
宝具として使うのではなく、純粋に槍として投擲した。
必ず心臓を貫くというそれは、心臓のないモノには通用しないのだから。

ランサーが投擲した槍が刺さり、割れるような音がして聖杯が砕ける。
それと同時にふわりと舞いあがったモノは、少し前対峙していた気配だった。


「君は……」


思わずアーチャーはそう言葉にする。
そう、それは、この世界を壊してくれと頼んできた少女の気配と同じモノだった。


「ありがとう」


そう、少女の声が聞こえた気がして、そしてそれと同時に悲しげに笑う少女の顔が見えた気がした。
ふわりと舞いあがったモノは霧散して、そして――世界が崩れ始める。

流れ込んでくる情報から、この世界の始まりが少女の願いであった事が分かった。
大切な人を亡くして、その存在を望んだ。
それをたまたまこの地のあった聖杯が拾い叶え、けれど少女の願いは強すぎたのだ。
聖杯は少女を取り込み、そして――存在を望む願いを叶え続けることとなる。
そうして出来たのは、理想郷と言う名のこの世界だった。


「……まあ、良かった、んだよな」


崩れゆく世界を見ながらランサーがぽつりと呟く。
良かったのだろう。
聖杯と同化してしまった少女自身が、この世界の崩壊を望んだのだから。
この世界を作り上げた少女自身が、滅びを望んだのだから。
此処が決して理想郷ではない事は、少女自身が一番良く分かっていたのだろう。
だが――後味が良くないのは確かだ。


「救ってやれたんだから、良しとするか」


そのランサーの一言に、アーチャーは苦笑する。
ランサーの言う通り、救えたのだろう。
この世界の始まりとも言える少女の願いを叶えたのだから。
理想郷と言う名の幻想を、砕く事が出来たのだから。
恐らくは壊して欲しいという少女の願いが、アーチャーとランサーをこの地に呼んだのだろう。
過去、サーヴァントがこの地を訪れた事がない訳ではなかった。
だが、この地に呼び出された途端に、サーヴァントは人となり、サーヴァントのままこの地に降り立ったのはランサーとアーチャーが初めてだったのだ。
人としての生に未練のないランサーと、守護者という役割に絶望しながらも、自身を消すという方法以外での解放を望まなかったアーチャーだからこそ。
その存在のままでこの地に立てたのだろう。
彼らの存在を望む者があったのも事実だが、それよりも恐らくは、少女の悲しい願いに引き寄せられたのだと思う。
だからこれで良かったのだと、ランサーもアーチャーも思っていた。
後味が良いとは言えないが、救えたのは事実なのだから。

独特の、薄れて行くような感覚がして、見ればどうやらランサーもそれを感じているようだった。


「時間だな。……じゃあ、またな」
「……また君と会う予定は、こちらにはないが」
「俺にもないけどな、多分また会うだろ」
「……そうだろうな」


そう言って苦笑する。
そう、きっとまた会うだろう。
互いに合わないと思っているにも関わらず、それでもきっとまた会ってしまうのだ。
そうしてこんな風にまた共闘するのだろう。


「だから、またな」
「――ああ」


短い言葉を交わして、二人は在るべき場所へと還って行く。
二人が還った後、理想郷と言う名の世界は、跡形もなく崩れ去った。
解放された少女の思いと共に。



END



2010/12/17up