■A few years later

あの頃は、数年後にこんな風に隣に彼女が居るなんて、思いもしなかった。
好きになってはいけないと思いつつ、惹かれていくのを止められなくて。
それでも必死に、自分の感情を抑え込んでいた。
彼女と同じ時を生きる事は出来ないし、それ以前にあの頃の自分はもう――そう遠くない未来に朽ちる事が分かっていたから。
何もしなくても、自分に残されていた時間は僅かで、だからこそ尚更、彼女の為に残りの力を使おうとそう思っていた。
ずっとずっと見守っていた。
彼女が生まれたばかりの時からずっと。
ただ彼女の幸せだけを願って来た。
彼女の幸せの為ならどんなことでもするつもりでいた。
けれど彼女は、全てを知った上で僕を選んでくれた。
そうして今に至る。

個人経営の花屋で働いている倉間は、仕事が終わり、店から繋がっている店長の家で待っている七緒の元へと向かう。
今日彼女は倉間の家へと来ることになっていた。
先に仕事が終わったら家で待っていてと言ったのに、彼女は店へとやってきて、待っている。
彼女が高校生だった頃から、学校帰りにここに来ていたため、既に店長とは顔見知りだ。
店長の家で待っている彼女の元へと行けば、テーブルに突っ伏し眠る彼女の姿があって。
転寝をする彼女を眺めていたら、彼女と共に江戸で過ごした日々の事を思い出した。
手を伸ばして、眠る彼女に触れようとして――直前でその手を止める。
確かにその存在はここにあるのに。
触れたら幻のように消えてしまうような気がして、触れる事を躊躇う。
そんなはずがないのは分かっているのに。
思い出してしまったからだろうか。

あの頃何度も夢に見た、確実にくるはずだった未来。
動けなくなった自分を置いて、行ってしまう七緒。
そのまま朽ちて消えてしまう自分を、彼女は忘れてしまう。
それは、あの頃何度も夢に見た、確実に来るはずだった未来。
回避された今でも、時々あの感覚を思い出す。
何故今そんな事を思い出したのかは分からないが、あの感覚が蘇り、不安に駆られる。
目の前で眠る彼女は、幻ではなく、本当にここに在るのか。
触れたら消えてしまいそうな気がするのに、確かにその存在がここにあるのだと、確かめずにはいられない。
気持ちよさそうに眠る彼女を起こしては可哀相だと思いつつ、眠る彼女を引き寄せる。
いけないと思いつつ、止められなかった。
腕の中に確かにある温もりに、不安が少しだけ和らいだ。
けれど、まだ足りない。
腕の中、身じろぐ気配に起こしてしまった事への罪悪感を覚えた。
それでも、彼女を解放してあげる事が出来ない。
身じろぎ、まだ完全に覚醒しきってない声で、彼女は倉間の名を呼ぶ。

「楓さん?」
「ごめん、ごめんね」

言いながら強く彼女を抱きしめる。
強く抱きしめられ、七緒は僅かに苦しげな声をあげる。
けれど、何も言わずされるがままになっていた。
そのことに更に罪悪感が強くなる。

「本当に、ごめん」

口ではそう言っても、彼女を解放することが出来ない。
あれから数年の時が経ち、今はもう彼女と同じ時を生きていけると言うのに。
不安が消えない。
あの頃、自分が消える事は覚悟していた。
けれど、彼女に忘れられてしまう事が、怖かった。
彼女が幸せならそれでいい。
それこそ、自分がどうなろうと構わないと本当に思っていたというのに。
いつの間にか、欲求はどんどん強くなって。
そんな風に思うようになっていたのだ。
ここが店長宅で本当に良かったと倉間は思う。
自室だったなら、抱きしめてキスをして、きっとそれでも止まらない。
彼女に無理をさせてしまう事になっただろう。
だがその代り、腕の中苦しげに身じろぐ彼女に気付いても、解放してあげられない。
――ごめん。と再び謝罪を口にしようとした瞬間、そっと倉間の背に彼女の両手が回されるのを感じた。
抱きしめるように両腕を回し、彼女は言葉を紡ぐ。

「大丈夫ですよ。傍に、居ますから。ずっと、傍に居ます」

背に回された手の感触とその言葉で、不安が薄れていくのを感じる。
ほっと息を吐き出して、何で分かっちゃうのかなと思っていた。
僅かに腕を緩めると、腕の中から七緒が倉間を見上げる。
少し不満気な顔でじっと見つめて、言葉を紡いだ。

「嫌だとか、そんな事思ったりしませんから、謝らないで下さい」

――楓さんが、私を護ってくれるように、私だって楓さんを支えたいと思ってるんですから。
続けられた言葉に、倉間は驚く。
けれどすぐに、納得した。
そういえば彼女は、こういう女の子だったと、数年前を思い出す。
お陰ですっかりと、不安は消えていた。
代わりに、いつものように彼女をからかいたくなる。
恥ずかしがる彼女は、本当に可愛いから、ついからかってしまうのだ。

「七緒も随分と大胆になったね」
「え?」
「だってここ、店長の家だよ?」
「――あ! 楓さん、離して下さい」

逃れようと身じろぐ彼女を、しっかりと抱きしめた。
腕の中から七緒が咎めるような視線を向ける。
そんな彼女を見て微かに笑って、倉間は告げた。

「君から抱きついてきたんでしょ?」
「それは……!」
「それは? なに?」

そう問えば、彼女は恨めし気に倉間を見上げる。
こういうところは本当に変わらないと思いつつ、倉間は彼女を解放した。
解放されても彼女は何も言わず、拗ねたような表情で倉間を見ている。
だから一応謝罪の言葉を口にした。

「ごめんごめん」
「……悪いって思ってないですよね」
「うん」
「……」

諦めたように溜息を吐き出す彼女を見つめて、倉間は微かに笑って立ち上がった。
そうして彼女に向かって手を差し出す。

「行こうか」

そう言えば、しばらく差し出された手を見つめて、彼女はその手を取り立ち上がった。
はい、と笑って答える彼女と共に、倉間の家へと向かって歩き出す。
触れたいと思った時に触れられる距離に彼女の存在がある事が、幸せだと思っていた。

こんな日が来るなんて、あの頃は想像出来なかった。
彼女と共に歩く未来、そんなものを望んではいけないと思っていた。
けれど今、彼女は隣に居る。
未だに不安に囚われる事もあるけれど、彼女はこうして傍に居てくれるから。
時を重ねていくうちに、不安に囚われる事もなくなるだろう。
これから先ずっと、彼女の存在が隣にあるとそう信じられるから。
共に、歩いて行く。
ずっと共に在る未来を、信じて――。



END



2014/01/26up