■道が続く限り

一度敵に渡った本拠地を再び取り戻して、そしてミアキスに糾弾され去って行ったゲオルグも戻ってきた。
ゲオルグが去った後にガレオンによって語られた内容を聞いて、カイルはゲオルグがこの国に来た経緯も何もかも、大体悟っていた。
ガレオンに後から細かく聞いて、あの結末を女王自身も納得していたのだと言う事も分かった。
それでも、わだかまりが全くないとは言わない。
カイルにとって王家の者達は本当に大切で、だからこそ、アルシュタート陛下をその手に掛けた張本人となれば、何も思わずには居られない。
けれど、カイルの中にあるわだかまりは、それだけが原因ではなかった。

本拠地の建物から外に出て、夜の今の時間ならまず人が居ないだろう畑の方に向かって歩く。
その場所からはセラス湖が良く見えるのだ。
月明かりをきらきらと反射するセラス湖は本当に綺麗で、考えたい事がある時にはカイルは良くその場所に足を運んでいた。
真っ直ぐに目的の場所を目指して歩いて――目的の場所に先客があるのが見える。
珍しいと思いつつ近づくとその人影が誰なのか分かって、思わずカイルは足を止める。
今カイルを悩ませている人物だったから。
とは言え此処まで来て引き返すのもわざとらしい。
恐らく目的の場所に居るゲオルグは、カイルが近づいて来ている事に気づいているだろう。
特に気配を消して来た訳じゃないのだから、ゲオルグ程の人ならば気づいて居て当然だろうから。
仕方なくそのままカイルは足を進める。
振り返る事さえしないゲオルグの隣にカイルは立った。


「珍しいですね、ゲオルグ殿がこんなところに居るなんて」
「お前は良く来るのか」
「まあ、たまにですけどね」


互いに顔を見合わせることなく、セラス湖へと視線を向けたまま会話して。
そしてそこで会話は途切れる。
静まりかえったその場所に、吹き抜ける風が木の葉を揺らす音だけが響いていた。


「……お前は俺に言いたい事はないのか」


どのくらい経ったか。
静かなその場所にゲオルグの落ち着いた低い声が響く。
感情を読み取れない声で紡がれた言葉が何を意味しているか、カイルには分かった。


「……ゲオルグ殿はオレに、何を言って欲しいんですか」
「……」


セラス湖を見据えたまま、普段よりも低い声でカイルは問う。
そんな事わざわざ聞かなくても分かっていた。
確かに、何も思わない訳じゃない。
カイルにとって王家の家族は大切な人達で。
だから女王を手に掛けたゲオルグに対して、言いたい事はある。
他に方法はなかったのかと、本当にそれ以外方法はなかったのかと。

――フェリド様は何故、オレじゃなくゲオルグ殿に頼んだのか、と。

そんな言っても仕方のない事ばかりだ、浮かぶのは。
他に方法がなかった事くらいカイルにも分かる。
ゲオルグの実力を知っているからこそ、どうにもならなかったのだろうと簡単に想像もつく。
事実、傍に居て全てを見ていたガレオンが他にどうしようもなかったと。
ゲオルグが女王を貫かなければファレナという国は無くなっていただろうと。
ゲオルグの行為は、ファレナを守った事になるのだと、言っていたのだから。
だから分かっている。
分かって居ても感情はそれについて行かないのは事実だけれど、それでもそれを抑える事くらい出来る。

そして、フェリドがカイルじゃなくてゲオルグに頼んだ理由もまた、分かっているのだ。
カイルには出来なかっただろう。
フェリドに頼まれたとしても、他に方法がなかったとしてもカイルには女王陛下を刺し貫く事など出来ない。
それはカイルだけじゃなく、ゲオルグ以外の他の女王騎士にも言えるだろう。
長く傍に仕えているからこそ、出来ない。
だからこそフェリドはゲオルグを呼んだのだろうから。

フェリド様も酷いな、とカイルは思う。
その為だけにではないのだろうが、最悪の場合はと考えてゲオルグを呼んだのだろう。
万が一の場合は友と呼ぶ男の妻を殺せ、と。
そんな事を頼める程に、フェリドとゲオルグの繋がりは深いからこそ出来た事だろうとは思うが――ゲオルグは何を思ったのだろうか。
自分に課せられた事をあの日までいつから抱えて居たのか。
分からないけれど何も思わないはずはないだろう。
もしも自分ならと考えたら普通に過ごして居られるかどうか分からない。
まして王子の傍になんて、とてもじゃないけど居られない。
最後まで王子を守るべきだと分かって居ても、傍に居る事なんてきっと出来ない。
だから、こうして王子の傍に居て守っているゲオルグを凄いと思うし、自分が出来ないだろう事をやっている事に対する嫉妬に似た感情もある。
カイルの心情も、かなり複雑なのだ。

詰る事など出来るはずがない。
ゲオルグは頼まれたのだろうし、女王も納得していた。
あの時はそれしか方法がないと分かっていて――この人は何を言えと言うのか。
詰れば、罵れば満足するのか。
それでゲオルグは満足したとしても、カイルはゲオルグを詰った事をずっと抱えて行かなければならない。
そんな思いを抱えさせるつもりなのか。

だから敢えてゲオルグが求める事とは違う事をカイルは言う。


「何で何も言ってくれなかったんですか」
「何の事だ」
「分かってて聞かないで下さい。王子に言えなかったとしても、オレにくらい言ってくれても良かったんじゃないですか?」
「……」
「そんなに信用ないですかね、オレ」
「そんな事は言ってないだろう」
「なら、何故ですか」


分かっていて敢えてカイルは問う。
信用されてない訳ではないと思う。
絶対にとは言い切れないが、女王騎士の中では信用されていた方だろうと思う。
いつの間にか、当たり前のようにゲオルグはカイルを「カイル」と呼び捨てにしたのだから。
信頼はされているのだろう。フェリド程ではないにしても。
だから、分かっては居る。
独りで全てを背負って行くつもりなのだろう、ゲオルグは。
背負いたくて背負ったものではないとしても、それを人に預けたりするような人じゃないから。
それ程長い付き合いじゃなくても、そのくらいは分かる。
そういう人だと分かっていてそれでも、フェリドはゲオルグに頼まざるを得なかったのだろう。
その事に対する憤りは、自分自身へのもの。
そんな選択をフェリドにさせてしまった。
そんな事の為だけに、ゲオルグはこの国に招かれてしまった。
感情を殺して、女王をこの手に掛けられるほど己が強かったなら――フェリドがそんな選択をする事も、ゲオルグがこの国に招かれる事もなかったのだろうから。


「……」
「答える気がないならそれでもいいです。その代わり、オレと手合わせしてくれませんか」
「何故だ」
「オレが勝ったら――ゲオルグ殿はオレの質問に何でも答えるってのはどうです?」


言いながらカイルはすらりと剣を抜く。
休憩の時間だろうと帯剣して居ないことなどない。
それは、太陽宮に居た時から当たり前の事だった。
守るべき存在がある以上、寝て居る時だって直ぐ手が届く位置に剣を置いておく。
それは当たり前の事で、だからこそ今も帯剣していた。

居合い刀と言われるそれに手を掛ける事さえしないゲオルグを見据えたまま、カイルは剣を構える。
手合わせを願ったのは、それで女王を手に掛けたゲオルグに対してのわだかまりを消してしまいたかったから。
カイルの問いに対する答えなど、最初から期待していない。
どうしても抱いてしまう思いを、払拭したかったから。
ゲオルグのせいではないと、それしか方法がなかったと分かって居ながら思ってしまう。
他に方法はなかったのかと。
女王の命を奪う以外、方法はなかったのかと。
太陽の紋章に完全に支配されていた女王を解放する方法など他にない。
ゲオルグが女王を刺し貫かなければ、女王の絶望に同調した太陽の紋章が、ファレナという国を無に帰して居ただろう。
女王どころか王子も姫様も、失っていたかもしれない。
そんな事は分かっているのだ、カイルにも。
それでも、他にと思ってしまうのをどうにかしたかったのだ。
他にこの思いを払拭する方法をカイルは思いつかない。
ゲオルグを詰る事などたとえゲオルグが望んだとしてもしたくはない。
そんな事をカイルに望むゲオルグに対する憤りを感じても、それでもしたくはなかった。
だから、仮にも騎士を名乗る以上、これが一番いいような気がしたのだ。
感情を整理するためにも。

居合い抜きという剣技は、剣を抜いて構えると言う事をしない。
腰に帯びている刀を、鞘ごと外し持って、そして鞘から抜くと同時に相手を斬りつける。
そして相手を斬った刀はそのまま鞘へと再び戻るという軌跡を辿る。
だから、抜いて構える事はしなくても、鞘ごと腰から外して持つくらいはするはずなのだ。
なのにそれさえゲオルグはしようとしない。


「どうしたんです? ゲオルグ殿にその気がなくてもオレ、止めませんよ」
「……やるなら場所を変えろ。こんなところで剣を抜いて居れば騒ぎになるぞ」
「誰も見てませんよ」


深夜と言って良い時間なのだ。
戦いが続く日々を送っている者達が、こんな時間に起きているはずもない。
いや、見張りは居るが、彼らからはこの場所は見えないはずだ。


「音を聞きつけて起きてくる者が居たらどうする」
「意外と心配性なんですね、ゲオルグ殿は」
「……戦争の只中にあって熟睡出来る者などそう多くはないと思うがな」
「ゲオルグ殿のように戦い慣れてる人はそうでしょうけど。素人が多いですからね、この軍は。皆疲れて寝てますよ」


それは事実だった。
この戦いの為だけに集まって来た者達が、この軍には多い。
戦争などと言うものを初めて経験するものも、かなり居るのだ。
だから、戦いの緊張が続く日々の中、夜は熟睡してしまう者が多い。
戦い慣れている者達が自然に交代で、本拠地の中を巡回するようになっていた。
だが、それでも気付く者は居るだろう。


「皆ではないだろう。……少なくともファルーシュと軍師殿は気付くと思うがな」
「あー、ルクレティアさんは気付きそうですね〜。言い訳も出来そうにないし。困りましたね」
「困る事などないだろう。今手合わせする必要性を感じないが」
「ゲオルグ殿にとってはそうでしょうけど、オレには必要なんです」
「……」
「さっきゲオルグ殿言いたい事ないかって聞きましたよね。オレ言いたいことはないですけど、したい事はあるんですけどー」


普段と変わらな口調で言うカイルを、ゲオルグは隻眼で見据える。
口調とは裏腹にカイルの目は真剣そのものだった。
カイルが本当にそれを望んでいるのだと分かる。
王家の者達を本当に大切に思っていた男がそう望むなら――それを受けようとゲオルグは思っていた。
その行為が贖罪になるとは思わないが、ゲオルグもカイルもどちらもがその行為で区切りをつけられそうな気がした。


「場所を変えるぞ」
「此処でいいですよ」
「……畑を踏み荒らせば、怒られるぞ」
「あー、確かに。手伝えとか言われそうですねー」
「言われるだろうな。手伝いたいなら止めないが」
「……広い場所に移動しましょうか」


カイルのその言葉で二人は剣を交える事が出来る広い場所へと移動する。
本拠地の敷地内に広い場所はそれ程なく、かと言って本拠地の中で夜に剣を交える訳にもいかない。
だから適した場所はそれ程多くはなく、船着き場になっている場所へと二人は移動していた。
この時間ならば誰も居ないその場所は適度な広さもあり、その上本拠地の端にあるため中で寝ている者に気付かれにくい。
剣を交えるには適していた。

向きあい、無言でカイルは剣を抜き構える。
それに対しゲオルグも、鞘ごと腰から剣を外し、剣の柄に手を掛けて腰を落とし構えた。
隻眼がいつも以上に鋭さを増し、片方でこれならば両目ならどれ程の威力があるのかと、カイルは思う。
紋章なしの戦いで、カイルがゲオルグに勝てる可能性はかなり少ないだろう。
けれど、そんなことはどうでもいいのだ。
勝とうが負けようが関係ない。
ゲオルグに質問に答えて欲しい訳ではないのだから。
必要なのは、剣を合わせるという行為そのもの。
剣を合わせる事でしか、このわだかまりを消す方法などないだろうから。

それはカイルだけではなく、ゲオルグにも言える事だった。
王家の者を大切に思っていたカイルに対する複雑な感情。
それを持て余していた。
謝罪など出来ないし、それで赦されるとも思って居ない。
そもそもゲオルグには、赦してもらおうという思いすらないのだから。
この罪はこの先ずっと背負って行くつもりで居る。
だから謝罪などするつもりもない。
だが、だからと言って何も言わなくていいとも思えないのだ。
適した言葉をゲオルグは持ち合わせて居ない。
その上カイルは、太陽宮に居た頃と同じようにゲオルグに接して居たから。
全てを知ってなお、何も言わないカイルに何故という疑問が湧くばかりだった。
いっそ憤りをぶつけてくれたなら、こんな複雑な感情を持て余す必要もなくなる。
だが、それを促してもカイルはゲオルグが求める言葉を口にする事がなかった。
ならばもう、持て余す感情を消す方法など、他にない。
戦いの中でしか生きられない男にとっては、尚更他に方法などなかった。

動いたのはどちらが先だったか。
カイルの剣がゲオルグに届く前に、ゲオルグの武器がカイルの剣をガードする。
僅かに鞘から抜いた剣でガードするそれは、魔物との戦いでは大変重宝するものだった。
だが、実際こうして自身の剣を受け止められれば、そのガードの固さに舌打ちをしたくなる。
隙を見つける事など出来ないし、我武者羅に斬りかかっても返り討ちにあうだけだろう。
紋章魔法は、一対一では詠唱してる間に攻撃されればお終いだ。
詠唱時間をどうにか確保できれば、勝機はあるが、それも難しい。
体格も良く、それなりに重さのある剣を扱っている割には、ゲオルグは素早かった。

カイルが斬りかかるたびに、ゲオルグの剣がカイルの剣を受け止めて、ギンと重そうな金属音が響く。
至近距離で睨み合って、武器を弾くようにして距離を取り、再び互いの剣が合わさる。
何度も何度もそうして互いの剣が合わさって、けれどどちらの剣も相手の体に届く事はなかった。


「中々やるな」
「当然じゃないですか。オレだって女王騎士ですからね」
「侮っていたつもりはないが……これほどとはな」


剣を合わせた状態で、至近距離で会話を交わす。
紋章なしの戦いならゲオルグに勝算がある。
にも関わらず勝負はつかない。
手合わせのつもりがいつの間にかどちらもが本気になっていた。
だから気付かない。
辺りが明るくなり始めて、本拠地の中の人たちが起き始めて居ることに、ゲオルグもカイルも気付いていなかった。


「ゲオルグ、カイル! 何やってるの、二人とも!」


この軍のリーダーである王子の叫ぶ声に、ゲオルグもカイルも我に返る。
そしてそこで初めて、朝になっている事に気付いた。
朝の眩しい光を受けて、カイルは空を仰ぎ見る。


「あー、朝ですね。ゲオルグ殿」
「そうらしいな」


互いに剣を収め普段と変わらない様子で会話を交わすゲオルグとカイルを見て、王子はほっと息を吐き出した。


「……その様子だと、何かあったって訳じゃないんだね。吃驚したよ、二人が戦ってるなんて皆が騒ぐから……」
「すみません、王子。手合わせのつもりだったんですが、つい本気になっちゃいました」


カイルのいつも通りの口調の言葉を聞いて、いつの間にか集まっていた人達は安心した様子で去って行く。
それを見て王子も「それならいいんだけど」と困ったような顔で告げて、去って行った。
その場に残された二人は、しばらく朝の空を見上げて顔を見合わせる。


「……まさか朝までゲオルグ殿と本気で手合わせする羽目になるとは、思いませんでしたよ」
「それはこっちの台詞だ。……俺は寝る」


そう告げて、溜め息を吐き出して、ゲオルグは本拠地の入口に向かって歩き出す。
その後を、慌てた様子でカイルが追いかけながら言葉を紡いだ。


「オレも寝ます。ゲオルグ殿〜ベッド半分貸して下さいよ〜」
「断る」
「えー何でですか。オレの部屋ないんですからいいじゃないですか〜」
「お前と一緒に寝たら狭いだろう。男二人で寝られるほど広くないぞ」
「大丈夫です。オレ寝相いいですから」
「そういう問題じゃないだろう」


早足で前を歩いているゲオルグを追いかけながら、カイルは声を掛ける。
それにゲオルグが答えて――本拠地の仲間の注目を集めながら二人の姿はゲオルグの部屋へと消えて行った。

わだかまりは完全に消えた訳ではない。
けれど――手合わせをする前に比べたらお互いにすっきりしていた。
この先も共に在る限りは、思う事もあるだろう。
けれど、それを消す術もお互いに知っているから――抱えたまま、進んで行く。
道が続く限り、ずっと。


END



2009/06/24up