■一番近い場所

朝目が覚めたら、宿の部屋の隣の寝台に眠っているはずのカイルの姿がなかった。
隣の寝台で眠っている男が起きた事に気付かなかった事にも驚いたが、カイルがゲオルグより先に起きている事にも驚いていた。
普段カイルがゲオルグより早く起きることはまずない。
先に起きたゲオルグがカイルを起こすのが常だったから。

旅立ったゲオルグをカイルが追いかけて来て約一年弱の時が過ぎた。
フェリドと共に傭兵をしていた頃以来だった、誰かと共に旅をするのは。
背を預けられる存在だとは思って居たが、まさかこんなに長く共に旅をしているとは、思わなかった。
恐らくはこの先も続いて行くのだろう、カイルとの旅は。
それこそこの先何年も――何故かそう思っていた。

寝台から降りて部屋を見渡して、部屋の中にカイルの姿も気配もない事を確認して部屋を後にする。
夜酒場だった場所は昼間食堂になっていて、けれどそこにもカイルの姿はなかった。

宿の外に出て街の中を歩き回ってもカイルの姿は見つからず、とは言えカイルがゲオルグに何も言わずに独り先に旅立ったとは考えられない。
いや考えたくないのだろう。
カイルがゲオルグの元を去るならば引き留めないと決めてはいる。
だからと言って、共に旅をするこの日々を手放したいと思って居る訳ではないのだ。
荷物は部屋にあるのだから、何処かに居るはずだと、焦燥に近い感情を何故か抱きながらその姿を捜す。
何故そんな感情を抱くのか分からないまま、街の中を歩き回って、けれどカイルの姿を見つけることは出来ずにゲオルグは街の外へと向かって足を進める。
街から出て少し離れた場所に、やっとその姿を見つけてほっとする。
独りで旅をする事になど慣れて居るはずなのに、その姿がないだけでこんな感情を抱く自分に苦笑しつつ、立ち尽くすカイルへと近づく。
目を閉じ祈るような姿勢のカイルが向いている方向へと視線を向けて――ああ、今日だったかと、ゲオルグは思った。

丁度一年前の今日、太陽宮が陥落した。
目の前で友と呼べる男を失い、その男の妻を手に掛けた日。
もう一年経ったのかと思うべきなのか、まだ一年しか経っていないと思うべきなのか。
どちらの感情も同じくらいあって、分からなかった。
カイルが向いているのはファレナ女王国がある方向。
失った王家の者達の事を思って居たのだろう。
カイルから僅かに離れた場所に立って、じっとカイルを見て居たゲオルグに気付いたらしいカイルの視線が、ゲオルグへと向けられる。


「ゲオルグ殿。いつからそこに居たんですか。声掛けてくれればいいのに」
「……お前こそ、外に出るのなら声を掛けて行けば良かっただろう」
「そう来ましたか。……ゲオルグ殿が起きる前に戻るつもりだったんです」
「……一年経ったのか」


逡巡して告げられた言葉に、カイルは苦笑する。
気付かれたくなかったから、ゲオルグが寝て居るうちに済ませてしまいたかったのに。
ゲオルグにとっては、あの日の事は良い思い出など殆どないだろう。
目の前で友と呼べる男を失い、その男の妻を手に掛けた日。
だからこそ知らせず済ませてしまいたかったのに。
こんな風に、何でもない風に、独りごとのように呟くのだゲオルグは。
敵わないと思う。
そんな素振りも見せた覚えはないけれど、どうしたって隠し事は出来ないのだ、いつも。
こんな風に何もかも分かられてしまうのは、ゲオルグで二人目だった。
どうせ隠す事など出来ないのだからと、カイルは素直に答える。


「……もう、なのか、まだ、なのか……どっちでしょうね」
「さあな」


そう言って先程までカイルが向いていた方向を目を細め見つめるゲオルグの横顔を、カイルは眺める。
相変わらず感情の読めない人だなと思いながら、ゲオルグが今何を思っているのか考えていた。
ゲオルグの中の一番重要な場所を占めるのは、きっと今でもフェリドなのだろう。
どうしたってその場所に、簡単には届かない。
二人が共に過ごした年月を超えたら――そこに辿りつけるだろうかと馬鹿な事を思ってみたりする。
その場所が欲しいのだ、何よりも。
信頼はされているのだと思う。
けれど感じる僅かな距離感が、カイルにはもどかしくて堪らなかった。
届きそうでどうしてもその場所に届かない。
そんなもどかしい距離感。
それをずっとカイルは抱えて居た。

最初は、フェリドと共に旅をしたゲオルグと旅をしたなら、フェリドが見たものの片鱗でも見られるだろうかと思ったのだ。
尊敬する上司であり、家族のような存在でもあった大切な人が見たものを見たいと思ったのだ。
それなのに、いつの間にか目的は変わっている。
未だフェリドが占めているだろうその場所が、欲しいのだ。
互いの熱を吐き出す為に、体を繋げる事は何度もあった。
そこに恋愛感情が存在して居ない事など理解している。
だが、カイルの中ではいつからか、熱を吐き出す為だけのものではなくなったのだ。
いやもしかすると初めて体を繋げた時から、それだけじゃなかったのかもしれない。
そうでなければ、男を受け入れようなどと思わないだろう、どう考えても。

言葉で表すなら、愛とか恋とかが適切だろう。
だからこそ、その場所が欲しいのだ。
今でもフェリドが居るだろうその場所が、何よりも欲しい。
本当は、ゲオルグにも同じような思いを己に対して抱いて欲しいとは思うが――その事により失うモノが怖い。
カイルもだがゲオルグも、女性が好きな性質だし、とてもじゃないが叶う思いだとは思えないのだ。
だからこそ、フェリドが居るだろうその場所が欲しい。
そこがゲオルグに一番近い場所だと思うからこそ、欲しかった。
こんな風に思うようになったのはいつからなのか分からないが、自分の思いに気付いた時にはかなりの衝撃だったのだ。
女の子大好きな自分が何故よりによって男性の、しかもゲオルグなのか、と。
しかもゲオルグの中にはどうしたって敵わないとカイルが思って居るフェリドの存在が今でもあるのだろうから。

不毛だな、と思い苦笑する。

未だ、先程までカイルが見ていた方向を見据えたままのゲオルグの横顔を、何も言わずにカイルは見詰め続ける。
共に在りたい、この先ずっと。
何よりも願うのは、それだけだった。



「ゲオルグ殿〜。ご飯にしましょーよ。お腹空いちゃいました」


殊更明るく言えば、ゲオルグは不審げな表情でカイルを見て溜め息を吐き出す。


「カイル。お前何を考えている」


そう聞かれて、カイルは思わず苦笑した。
何だってこう、隠しごとが出来ないのか。
カイルは決して感情を隠すのが下手な訳じゃない。
子供の頃に家族を戦争で失って、レルカーで同じような子供達と共に育てられた。
自然と、感情を抑える術も、本心を隠す術も覚え身に着いた。
どちらかと言えばそう言った事はカイルは上手い方だ。
フェリドとゲオルグ以外には見抜かれた事がないのだから。
共に旅をしていたからか似たところがある二人だった。
受け止め方は違うけれど、相手の全てを受け止めてしまうところもそっくりで。
それ故なのか、隠しごとが出来たためしがないのだ。


「何も。……ちょっと思い出していただけです。王子と姫様元気かなって」
「女王騎士長と女王陛下だろう」
「オレの中では今も王子と姫様なんです」
「……そうか」


そう、こんな風に。
自分と違う意見だろうと、大概の事は許し受け入れてしまうのだ。
大きい事から小さな事まで様々だったが。
毎回行き先は大概カイルの希望で決まるし、体力の差があるから仕方がないけれど、休息もカイルのペースに合わせて取る。
そんな風にカイルの意見にゲオルグが否を唱える事は滅多にないのだ。
全くないとは言わないけれど。

豪快に、周りまで全てを包み込むように受け入れるフェリドと。
さり気なく傍に居て、全てを許すように受け入れるゲオルグ。

互いに違いはあるのに、似ているのだこの二人は。
だからこそなのか、その間に入り込む事は出来ないと思い知らされる気がする。
フェリドがゲオルグと共に居た年月を超えたなら、届くだろうかその場所に。
それとも、フェリドくらいに強くなれたなら、届くのだろうか。
一番近い場所に。


「お前はそれでいいのか」
「何がですか」
「俺と共に居れば、あいつらに会うことは出来んぞ。それでもいいのか」


隠しごとなんか出来たためしがないのに、こんな事だけ気付かないゲオルグが恨めしくて、けれどほっとしているのも事実だった。
だから、素直になんか答えてやらないとカイルは思う。


「ゲオルグ殿はどうなんですか?」
「何がだ」
「オレが居なくなったら寂しくないですか〜?」


そう返されるとは思ってなかったのか、僅かな時間ではあったがゲオルグが驚いたような顔をする。
そんな顔を見れただけで、カイルは十分満足だった。
だから気付かなかった。
ゲオルグが一瞬不敵な笑みを浮かべた事に。


「……寂しいかもしれんな」
「――は?」
「寂しかもしれんと言ったんだ。お前と旅をしてもう一年程になる。傍に居るのが当たり前になってるからな」


驚いたように目を見開いて、カイルは何も返すことが出来なかった。
そんなカイルを見てゲオルグは楽しげに笑う。
その笑い声に我に返り、不満げな表情でカイルは告げた。


「なら、そんな事聞かないで下さいよ」
「……会いたいんじゃないかと思ってな」
「会いたいですけど……でも、ゲオルグ殿。オレがファレナから戻って来るまで待っててなんてくれませんよね?」
「いつ戻って来るかも分からんのに待っているはずがないだろう」
「それなら――」
「だが、離れたとしてもお前とは会える気がするからな」
「……はあ?」
「何なら俺がお前を捜してやってもいいぞ」


そう言って楽しげに笑うゲオルグを見て、カイルは脱力していた。
分かっている、もう嫌って程分かっているのだ。
他意がない事くらい。
何でこの人は素でこういう事言うかな、とカイルは思う。
深い意味なんてないのだ。
本当にそう思って居るのだろう。
たとえ離れたとしても会える気がする、と。
しかも捜してやってもいいなんて、何でそんなに偉そうなんだと思う。
それを嬉しいと思ってしまう自分に、溜め息を吐きたくなる。
直ぐに戦争に巻き込まれるこの人が、それを振り切って自分を捜しに来られるとも思えなかった。
でもまあ、ゲオルグと一緒に旅をしていると飽きないから、今はそれだけでいい。
その場所にはまだ届かないけれど、こうして手が届くほど近くに居るのは間違いなく自分なのだから。
今はそれだけでいい。
王子にも姫様にも会いたいと思う。
でもそれ以上に今は欲しいものがあるから――ファレナには行かない。
二度と会えないかもしれないけれど、きっとあの二人は元気にやっているだろうから。

ずっと共に在りたいと、願う。
この先ずっと、隣にその存在がある事を願いながら、カイルは言葉を紡ぐ。


「会いたいのは確かですけど、行きません。ゲオルグ殿に捜して貰ったら会えそうにないですから」
「……」
「ゲオルグ殿捜すのは大変ですしね。ホント一箇所に落ち着いていないんですから」
「悪かったな」
「そう思ったら少しは落ち着きましょーよ」
「無理だな」
「でしょーね。ま、とにかく今は、ご飯にしましょー」


そのカイルの言葉に応えるかのように歩き出したゲオルグの隣に、カイルは並んで歩く。
朝の爽やかな日差しの中、二人の姿は宿の中へと消えて行った。

いつかその場所をこの手に。
この先ずっと一番近くに在れるように、と。


END



2009/07/02up