■帰り道

辺り一面赤に染まっているその場所。
いつもより一際鮮やかに見えるのは、空を茜色に染め上げる夕焼けのせいだろうか。


戦いが終わり、仲間達が勝利を喜びながら戦場を去っていく。
それをちらりと見て、ゲオルグは腕を組み立ち尽くし、赤く染まった地面を見据える。
いつもよりも鮮やかな赤に見えるのは、空を染める茜色の夕焼けのせいか。
敵のモノか味方のモノかも分からない、赤。
この手も恐らくはこの色の染まっているのだろう、見えなくても。
いつもよりも鮮やかに見える赤のせいか、戦いの高揚感は未だ去る気配を見せずに。
”相手”を求める。
そのくせ、この戦いによって増えた背負うモノへと思いを馳せる。
こんな風にしか生きられない事くらい誰よりも分かって居ると言うのに。
時折、背負うモノが酷く重く感じる。
だからこの場から動く気になれないのか。
赤く染まった大地を、ただ無言で見つめて立ち尽くしていた。

僅かも身じろぎする事無く、立ち尽くす。
自分のモノか敵のモノか分からない血で染まったゲオルグ自身も、夕焼けのせいか茜色に染まっていた。

戦いに身を置く以外に出来ない事は分かって居ても。
戦いの後は、ふと思う事がある。
後どのくらい、背負えるのか。
この手で奪ったモノを、背負うのが奪った者の責任なのだから。
だが己は後どのくらい背負う事が出来るのか。
いつか、背負え切れずに落してしまわないかと、焦燥に近い感情を覚える。
限界は誰にだってある。
もちろんそれはゲオルグにも。
その時が来たらどうするべきなのか。
背負いきれないと分かっていながらそれでも背負うのか、それとも――。


「な〜に黄昏てるんですか、ゲオルグ殿」


ゲオルグの思考は、突然割り込んで来た声によって中断された。
ゆっくりと、声のした方へと視線を向けて、そこに普段と変わらない様子で立っている不良騎士を見つけて言葉を紡ぐ。


「……カイル。お前まだ居たのか」
「それを貴方が言いますか、貴方が」
「……」


微かに笑っただけで返事をする事無く、ゲオルグの視線は再び、赤く染まった先程まで戦場だった場所へと向けられる。
吹き抜ける風がゲオルグの外套を揺らす。
それにも気付かないのか、ゲオルグは腕を組んだまま隻眼でただじっと赤く染まったその場所を見つめていた。


「ゲオルグ殿、帰りましょうよー」
「帰ればいいだろう」
「えー、オレ一人でですか?」
「一人で帰れないなどと馬鹿な事を言わんだろうな」
「一人じゃ帰れませーん」
「……」


腕を組んだまま瞑目して、ゲオルグは呆れたように溜め息を吐き出す。
未だ残る戦いの高揚感が、標的をカイルへとあわせようとする。
仲間として信頼している相手に剣を向ける気などない。
その命を背負う気など、ない。
浮かぶのは友と呼べる者の大切な者をこの手に掛けた瞬間。
彼女を貫く感触とそして、己の腕の中息絶える重み。
あんな思いを二度と抱えたくなどない。
だからこそ、浮かぶ激情を、高揚感を抑えこむ。
今この状態で戦えば、手加減など出来ないのは分かって居るから。


「いいから帰れ」
「だから、一人じゃ帰れないって言ってるでしょ」
「カイル」
「……そんな様子の可笑しい人置いて帰れる訳ないでしょう。ゲオルグ殿、今自分がどんな顔してるか分かってます?」
「……」


無言でゲオルグはカイルを見据える。
挑発的な視線をゲオルグへと向けて、カイルは言葉を紡いだ。


「相手しましょうか? オレで良ければ」
「……」


空を染める茜色が、カイルとゲオルグをも茜色に染め上げる。
互いの服が所々赤が濃くなって居るのは戦いの名残。
誰のものとも分からない血で互いに汚れていた。


「武術指南以外で、ゲオルグ殿と剣を合わせる機会なんて滅多にないでしょうし」
「……」
「一応オレも女王騎士ですからね。簡単にやられたりはしないですよ。……どうですか? 相手としては十分じゃないですか?」
「……どうなっても知らんぞ」


腰を落とし、剣の柄に手を掛ける。
居合いというスタイルで戦うゲオルグは、剣を抜いて構える事はしない。
それを見てカイルは自身の剣をすらりと抜いて、ゲオルグへと鋭い視線を向けた。


「今のゲオルグ殿になら、オレ勝てる気がするんですよね」
「……それはどうかな」


互いに睨み合ったまま一歩も動こうとはしない。
空気が張り詰めたその場所だけ周りより何度か温度が低い気がして。
吹き抜ける風も、冷たいと感じる。

そんな緊張状態がどのくらい続いたのか。
どちらが先に動いたのか、同時だったのか、分からないが。
凄まじい金属音が辺りに響いた。
ゲオルグの剣とカイルの剣が交差する。
力で言えばゲオルグの方が上だろう。
だが、仮にも女王騎士。
自分より力量が上の相手と戦ったことなどこれが始めてではない。
それに、どうしても我慢ならなかったのだ、カイルは。

先程までこの場で行われていた戦いは、所謂戦争と言われる類のモノ。
失われる命も、決して少なくはない。
それを背負うのは、ゲオルグ一人ではないはずだ。
この場に居た皆で、いや戦いに参加してはいないが本拠地で自分達の勝利を信じて待っていてくれる者達も皆で背負うべきものだ。
それなのに、何故一人で背負おうとするのか。
女王を手に掛けた事だってそうだ。
罪は罪として背負うのはいい。
一人で背負うべきものじゃないとは思うがそれでも、それはいい。
でもせめて、言ってくれてもいいと思う。
ゲオルグ自身がその事に関して語った事は何一つない。
全てを一人で抱えて行くつもりなのが、許せなかった。

信頼されていると思って居た。
ゲオルグと共に過ごした時間は決して長くはないがそれでも。
少なくとも他の女王騎士よりは信頼されていると自負していたのだ。
それなのに――。


「オレはね、ゲオルグ殿」
「……なんだ」


凄まじい金属音が響く中、二人は会話を交わす。


「何もかも一人で抱えようとするあんたが――」


ギリと交差した剣が音を立てる。
力ではゲオルグの方が明らかに上で、それなのに、カイルの剣をゲオルグは押し返す事が出来ない。
居合いは、鞘から剣を抜きさる時に相手を斬り伏せる剣技だが、剣を鞘に収める事さえ出来ない。
伝わってくる気迫は尋常なものではなくて、何がそこまでカイルを苛立たせているのかゲオルグには分からなかった。

一際大きな音を立てて、互いに間合いを取る。
どちらがどちらの剣を弾いたのかさえも分からない状態で、二人は僅かな距離を空けて睨み合っていた。


「何もかも一人で全て抱えようとするあんたが、許せない」
「……お前には関係ない事だろう」
「少なくともこの戦いには、オレも関係があるはずだ。……こんな沢山の命、一人で抱えられるとでも思ってるんですか」


一面の赤。
それは折り重なるように倒れている沢山の者達の血なのかそれとも、他の者のモノなのか分からない。
ただ辺り一面赤く染め上げられていることだけは確かだった。
空を茜色に染め上げている夕焼けのせいなのか、いつもより一際鮮やかに見える赤。
一人で抱えられるはずなどない事だけは確かだった。


「そうだな」


そう告げて微かに笑って、ゲオルグは持っていた剣を鞘へと仕舞う。
それを見てカイルも自身の剣を鞘へと仕舞った。
ゲオルグを取り巻いていた空気が、いつものモノに戻っていた。
戦いに身を置き続ける男は、奪ったものを全て一人で抱えようとする。
いつか抱えきれなくなる時が来る事に怯え、けれどそれを認める事も出来ずに。
誰かに預ける事を選ぶ事もせずに、きっと此の先も行くのだろう。
だからせめて、戦争と呼べるほどの大きな戦いの時くらいは、預けて欲しい。
己がこうして傍らに居る時くらいは、預けて欲しいと思って居た。


「そんな事も分からなくなるほど可笑しいゲオルグ殿、始めて見ましたよー」
「煩い。帰るぞ」
「はーい。隊長、次からはもっと副長を信頼して下さいよー」
「信頼出来る副長ならな」
「酷いですね〜相変わらず」


その懐に入る事が出来なくてもせめて、信頼だけはして欲しいと願う。
フェリド以上の位置に行く事は恐らくは出来ないだろうがそれでも、願う。
たった一人全てを抱えようとするこの人に背を預けて欲しい、と。

空は茜色から紫へと色を変えつつある。
そんな中、血に汚れた二人の男は並んで歩いていた。


「暗くなってきましたね。王子心配してますよ、きっと。ゲオルグ殿のせいですからね」
「挑発したのはお前だろう」
「それはゲオルグ殿が可笑しかったからですよ。心配してあげたんですよ、感謝して下さい」
「分かったから離れろ、鬱陶しい」


歩くゲオルグに寄り掛かるようにして歩くカイルを引き剥がそうとしながら鬱陶しそうにゲオルグは告げた。
引き剥がされて不満げな口調でカイルは言葉を紡ぐ。


「ゲオルグ殿のせいで疲れましたよー。何で戦いの後あんな事しなきゃならないんですか。オレ、ゲオルグ殿ほど体力ないんですからね」
「だから、挑発したのはお前だろう。帰れと言ったはずだぞ、俺は」


戦場からの帰り道だとは、二人の男の姿を見なければ分からないだろう。
女王騎士服も、旅装もどちらも血に濡れて居るのに、そんな事を感じさせない雰囲気が二人を包んでいた。
互いの格好と余りにも似合わない会話を交わしながら二人は帰る場所へと向かって歩く。


「心配してあげたのに、感謝の気持ちが感じられないですよー」
「……感謝しているさ、一応な」
「一応ですか。ま、ゲオルグ殿ですからねーそれで許してあげます」


本拠地である城に通じる橋へと差し掛かり、二人は足を止める。
城の入り口に、この軍のリーダーである王子が立っているのが見えた。


「あー、やっぱり王子心配してますよ。どうするんですか? ゲオルグ殿のせいですよ」
「だから、帰れと言っただろう、俺は」


溜め息混じりに心底呆れた様子でゲオルグは告げる。
そんなゲオルグに反論しようとした瞬間、その場に響いた声に遮られた。


「カイル、ゲオルグ! 良かった、心配したんだよ」


この軍のリーダーである王子の心配そうな声。
彼らを本当に大切に思っているカイルは、そんな王子を無視することなど出来るはずがなかった。

ゲオルグをその場に置いて、カイルは王子に向かって足早に歩き出す。


「王子すみません。ゲオルグ殿が帰らないって困らせるんですよー」
「え? ゲオルグが? どうして?」


そんなカイルと王子のやり取りを聞きながら、ゲオルグは空を仰ぐ。
茜色の空は紫に色を変え、辺りは随分と暗くなっていた。
空が濃紺に色を変えるまでそう時間は掛からないだろう。

話しながら城の中へと入っていく王子とカイルを見てゲオルグも城の中へと向かって歩き出す。
罪は罪として一人背負って行くつもりではいるが。
何もかも己が一人で背負う必要はないのだと、そんな当たり前の事に今更ながら気付いた。


「あいつになら――」


背を預けてもいいかと思える。
そう思える人物は今までフェリド以外には居なかったのだ。
友と呼べる男を喪って、何もかも全て一人で抱えていかなければならない気になっていたのだ。
それを、僅かな時間で覆した。
カイルだからこそ出来る事なのだろうと思う。

共に戦う仲間としてだけでなく、信頼出来る相手だと友だと認めた瞬間だった。



END