■エイプリルフール

一度手放した本拠地を取り返し、皆が落ち着きを取り戻した頃。
空いた時間を見つけて偵察に出ていたゲオルグが戻って来て、しばらくは大きな戦いはないだろうとの事で皆それぞれ束の間の平穏な時間を満喫していた。

武術指南のスキルを持つゲオルグは、この日も頼まれて何名かを指南していた。
やっと指南が終わったその時、目の前に立つ人影に、また誰か指南を頼みに来たのかとゲオルグは思う。
目の前に立つ人物を見て、指南が必要なさそうなその相手の名をゲオルグは呼び問う。


「カイルか。何か用か?」
「ゲオルグ殿。オレ、実は……」


それきり黙り込むカイルを訝しげに眺める。
珍しく深刻そうな表情をしたカイルが居て、ゲオルグは僅かに驚く。
カイルは負の部分を人に見せる事を好まない。
だから、少ないとは言えゲオルグ以外にも人が居る場所でこんな表情をする事が信じられなかった。
同僚だったからか、ごく稀にゲオルグには心情を吐露する事があるが、それも本当に稀で滅多な事では本心を見せたりはしない。
それなのに、こんな場所でこんな表情をしているのは、余程のことかそれとも――。
カイルの声が辺りに響いて、ゲオルグの思考がそこで中断される。


「オレ、実は――女だったんです!」


訝しげにカイルを眺めていたゲオルグは、そのカイルの言葉で今まで考えて居た事が全て消え去った。
一体この男は何を言っているんだと、ゲオルグは思う。

何の反応も示さないゲオルグに焦れたのか、カイルがじっとゲオルグを見つめて更に言葉を紡いだ。


「それでゲオルグ殿。オレ、ゲオルグ殿が……」
「ちょっと待てカイル」
「なんですか?」
「お前一体何のつもりだ?」


カイルが何を言おうとしているのか悟ったゲオルグは、カイルの言葉を遮り問う。
一体何のつもりなのかと。
嘘なのは明らかだ。
カイルの性別が男である事は間違いがない。
そしてカイルは間違いなく女性が好きなはずなのだから。
間違ってもゲオルグにそういう意味での好意を抱くはずがないのだ。


「ゲオルグ殿、どうして驚かないんですか」
「どう考えても嘘だろう。……どこをどうみたらお前が女に見えるんだ」
「王子はちゃんと信じてくれましたよー」
「お前、あいつにも言ったのか」
「女だったってのだけですけどね」


何の反応もゲオルグが示さなかったから、更に付け加えたのだとカイルは告げる。
はあ、と呆れたようにゲオルグは深い溜め息を零した。


「ほら、他の人はちゃんと驚いてるじゃないですか。ゲオルグ殿だけですよー驚かないの」


その言葉に辺りを見渡せば、指南の為に使っているその場所に僅かに居た人達が驚いた様子でカイルとゲオルグを見ている。
驚いた様子のその人達にカイルは「嘘だ」と告げていて、本当に一体何のつもりなのかとゲオルグは思う。
ただ単に驚かせたかったからというだけでこんな事をするような男ではないのだカイルは。
普段と変わらない様子だが本当に何かあったのかと一瞬ゲオルグは思う。


「あー、ゲオルグ殿。何か妙な事考えてません?」
「何がだ」
「別に何かあった訳じゃないですよ」
「なら、何だ一体」
「何処かの国では嘘を吐いていい日ってのがあるらしいじゃないですか」
「……話くらいは聞いたことがあるな」
「ゲオルグ殿が聞いた事あるなら、北の大地にある国の風習ですかね。とにかく、それをやってみようと思って」
「お前な……」


心底呆れたようにゲオルグは溜め息を吐く。
大体それは日にちが決まっていて、いつやっても良い訳ではないのだ。
恐らくはそんな事は知っていてやっているのだろうからわざわざ指摘する事はしないが。
ゲオルグと王子以外に何人がカイルの「嘘」を聞いたのか。
もう一度深い溜め息を吐いた瞬間、その場に居るはずのない人物の声が響いた。


「本当につまらないですぅ。ゲオルグ殿が驚くところを見られるかと思ったのに。カイル殿、もっと上手くやらないと駄目じゃないですか」
「オレだって少しくらいは驚いてくれると思たんだけどね」
「王子は本気にして凄く可愛かったのに〜。ゲオルグ殿可愛くないですよぉ」
「可愛くなくて結構だ」


不満げな様子で告げるミアキスにゲオルグは答える。
カイルだけじゃなくミアキスも一緒になってやっていたとすると、一体何人が騙されたのか。


「流石にルクレティアさんは騙されてくれなかったですぅ。程ほどにして下さいねって言われちゃいました」


ミアキスのその楽しげな声に軍師にまでやったのかと呆れを通り越して感心する。
とは言え、ミアキスはともかくカイルが何も考えずにこんな事をしているとは思えなかった。


「カイル、お前何を考えている?」
「ゲオルグ殿、私は無視ですかぁ?」
「ミアキス殿は楽しそうだからというのが理由だと思うが違うか?」
「そうですけど。本当にゲオルグ殿は可愛くないですぅ」
「だから、可愛くなくて結構だと言っただろう」


呆れたような口調で告げるゲオルグを眺めるように見て、ミアキスは悪戯っぽい笑みを浮かべて告げる。


「ゲオルグ殿はカイル殿と内緒のお話したいみたいですから、二人っきりにしてあげますぅ」


ふふっと笑って告げて、ミアキスはその場に居た他の者たちも連れて出て行く。
「これで良し」と言うミアキスの声が部屋の外から聞こえて来て、一体何をしたのかと思う。


「立ち入り禁止とかの張り紙でもしたんじゃないですか。ミアキス殿ですから」


苦笑してカイルは告げる。
辺りに人の気配が全くなくなった事から考えても、そんなところだろうとゲオルグも思っていた。
シンと静まり返ったその場所で、向かい合って立ちゲオルグは促すような視線をカイルへと向ける。
隻眼に見据えられて、カイルは諦めたように深い溜め息を零した。
片方のみしかないその視線から何故逃れられないのかとカイルは思う。
誤魔化す言葉も思いつかなくて、そうして何度心情を吐露してしまっただろうか。
出来るだけ人に見せたくないと思っている負の部分をゲオルグにだけは何度か見せてしまっていた。
はあ、ともう一度溜め息を吐いて仕方なさそうにカイルは言葉を紡ぐ。


「ミアキス殿が言った事をまだ信じてる人も居ますからね。真相を語ることが出来ればいいんでしょうけど、それは出来ないし。かと言ってゲオルグ殿に対する態度があからさまに可笑しい人も居るから放っておくのも嫌だったし……」


そんな事を思っているところに丁度ミアキスから「嘘を吐く」という誘いがあったのだ。
女王騎士である自分達がゲオルグと馬鹿なことをしていればもしかして、そんな思いもあった。
全てを独りで背負ってしまったゲオルグを助けたいと思った訳じゃない。
ただ、ゲオルグに対してあからさまに可笑しい態度を取る人達が居るのを見ていたくなかったのだ。
そんな人達を見る王子が悲しそうな顔をするのも見たくなかった。
戦いはまだ終わったわけじゃない。
ほんの僅かな亀裂が、敗戦に繋がることもあるのだから。
ミアキスも言った通りそれがギゼルの狙いだったのだろう。
その狙いは見事に成功して、未だにゲオルグが裏切ったのだと信じている人も居る。
だから、嘘を吐く日というのがあるというミアキスの言葉に乗ったのだ。
真相を語ることが出来ない以上、誤解を解く事は難しい。
ゲオルグが女王を殺めた事は事実だからこそ尚更、難しいのだ。
だからうやむやにしてしまいたかった。
王子の為にもそしてゲオルグの為にも。
そして恐らくはゲオルグにそれを頼んだであろう今は亡きフェリドの為にも。


「ゲオルグ殿が驚くところを見たいってのもあったんですけどねー」


少しくらいは驚いてくれるかと思いましたよーとカイルは言葉を続ける。
普段通りの表情と口調に戻って軽く言うカイルに相変わらずかとゲオルグは思う。
重い話をしていたとしても最後まで重い空気のままで居るのが嫌らしいカイルは、必ず最後にはこうして普段通りの口調で軽くしめる。
それでも、その軽くなった空気に乗ってやるわけにはいかなかった。


「俺に対しておかしな態度を取る奴が居ようと構わんだろう。……戦いに支障が出ないようにしているつもりだが」
「分かってますよ、そんな事。オレが嫌なんです」


嫌なのだ。
大切に思う人達が嫌な思いをするのを見るのが。
だからこれは王子の為でもゲオルグの為でもフェリドの為でもあるけれど。
何よりも自分自身の為。
どうにもならないと分かっていながらそれでも、どうにかならないかと思って居たのだ。
こんな事くらいで本当にどうにかなると思った訳じゃない。
でも、それでももしかしたらと僅かな期待を抱いたのも事実だった。


「お前は、気を回しすぎだ」
「そんな事ないですよ。それならゲオルグ殿こそ……」
「なんだ」
「あんな事がなければ、戦いが終わっても王子にしか言わないつもりだったでしょう」
「言いふらす事でもないだろう」
「そういう意味じゃないって分かってて言ってますよね」
「さあな」
「……今日は嘘吐いていい日じゃないですよ」
「先に嘘をついたのはお前だろう」
「あ、嘘って認めましたね」


ゲオルグ殿の嘘吐きーといつも通りの軽い口調で言うカイルを眺めてゲオルグは溜め息を吐き出す。
結局いつもの通りカイルのペースで終わるのだ。
敵わないとゲオルグは思う。
太陽宮に居た時は分からなかったが、こんな風に重い空気を軽くしてくれるカイルに助けられる事は多い。
それは己だけでなく王子もそしてこの城に集う仲間達も。

嘘吐きといい続けるカイルを眺めて、ゲオルグは微かに笑う。
今日は四月一日ではないけれど――エイプリルフールだと思ってもいいか、と。
ミアキスとカイルが起こしたこの騒ぎは、エイプリルフールだから仕方がないのだと。
そう思いながら、カイルをその場に独り置いて歩き出す。


「あ、ゲオルグ殿。置いていくなんて酷いですー」


騒ぐカイルの言葉など聞こえない振りをして、ゲオルグは独りその場を後にした。


その日どれだけの人がカイルとミアキスの嘘に騙されたのか分からないが。
数日の間本拠地はその話題でもちきりだった。
中にはカイルが女性だと本気で信じた人も居て、ゲオルグも本当はどっちなのかと何人かに聞かれた。

カイルの思惑は完全にではないが、成功したと言えるだろう。
ゲオルグに対しておかしな態度を取っていた者までもが、ゲオルグにカイルは本当は女なのかと聞いてきたのだから。

本当に敵わないとゲオルグは思う。
剣の腕では負けない自信はあるが、こういう事に気を回す事はゲオルグには出来ないのだから。
雰囲気が良くなる事は戦いの士気が上がることにも繋がる。
そしてそれは勝利に繋がるのだから。

王子、と呼び駆け寄っていくカイルを眺めて思う。
王子の傍にカイルが居れば己がこの地に留まらなくても大丈夫だろうと。
女王を殺めた以上、この地に留まる事など出来るはずもないが、多少なりとも心配はしていたのだ。
この戦いが終われば、幼い女王がファレナの地を収めなければならない。
兄である王子もまだ幼く、彼らを見守る存在は必要だろうと思っていたから。
だが己の役目は無事この戦いの終わりと共に終えられそうだと思う。

嘘を吐いてもいい日のお陰で心置きなくこの地を去れそうだとゲオルグは思う。
あとは、この戦いを勝利で無事終わらせる事だけだ。
カイルを連れて出かけていく王子を眺めて、そんな事をゲオルグは思っていた。

カイルまでもがこの戦いの後この地を去るとは、この時ゲオルグはまだ知らなかった。
そのことをゲオルグが知るのは、この地を去ってしばらくしてから。


END