■It repaints.

ファレナの内戦から二年程の月日が過ぎていた。
ゲオルグは北の大地に戻り、いくつかの戦争と言われる類の戦に参戦していた。
”二太刀いらずのゲオルグ”として北の大地では有名な彼ではあるが、彼の参戦した戦はことごとく彼が味方した方が勝利し、それにより彼の名は更に知れ渡る事となる。
剣を扱うものならばまずゲオルグの名を知らない者等居なかった。
赤月帝国の継承戦争で将軍職にあった事も拍車を掛けて居るのだろう。
帝国六将軍の一人としても名は知れ渡っていた。

そんなゲオルグが立ち寄ったのは未だ訪れた事のない街。
北の大地は殆どの場所に立ち寄ったが、この街に立ち寄るのは初めてだった。
その街に一歩足を踏み入れて、ゲオルグは思わず立ち止まる。

店の外にある鉢植えの木にも、各家の木々にも。
色とりどりの装飾が施されていた。
夕方と言って良い時間の今。
薄暗くなり始めた中、街を彩るイルミネーション。
それは、色とりどりに飾り付けられた木々から発せられているものだった。


「……祭りか何かか?」


街に足を踏み入れた状態で立ち止まり、ゲオルグは思わず呟く。
誰かに問うつもりなどなかった。


「生誕祭だそーですよ。と言っても今日は前夜祭らしいんですけどね。本当の生誕祭は明日です」


生誕祭と言えばその地方で信仰の対象となっている者か又は王族などその地域を統べる者が生まれた日を祝う祭り。
それぞれの地域で生誕祭の日は異なるが、賑やかなのは何処も同じだなと思い――今の声はと考え込む。
聞き覚えのある、だが此処に居るはずのない人物の声。
幻聴か? と思いながら声のした方へと視線を向けて、そこにあの頃とは違う旅装で立つ不良騎士を見つける。
居るはずのない男の姿をまじまじと眺めて、幻か? と思う。
それを察知したらしいカイルが不満げに言葉を紡いだ。


「酷いですねー。幻じゃないですよ、ゲオルグ殿」
「何故お前が此処に居る?」
「そんな事より、丁度良かったです! 一人で寂しかったんですよー。一緒に生誕祭楽しみましょうよ!」
「おい、カイル」


ゲオルグの問いには答えずに、ゲオルグの腕を掴み引っ張るようにして歩き出すカイルの名をゲオルグは呼ぶ。
それに立ち止まる事もせずに、カイルはゲオルグを引っ張って歩きながら告げた。


「今日は大切な人と過ごす日らしいですよ」
「何故そんな日にお前と過ごさなければならない?」
「女の子の方がいいですか? でも無理ですよ、今日は」
「何故だ?」
「さっきから何人にも声掛けましたけど、みーんな断られましたから!」
「だから一人だったのか」


そう言ってゲオルグは楽しげに笑う。
カイルの本気の姿も、本当も、知っていて平然と言う男に内心で苛立つ。
女の子は確かに好きだけれど、でも――本気で誰かを好きになった事などないのだ。
戦争で何もかも失い、そのせいか足りない”何か”を埋めるのに一番手っ取り早かっただけなのだ。
それを知っていて言うゲオルグは本当に性質の悪い男だと思う。
立ち止まり振り返り、じっとゲオルグを見据えてカイルは告げた。


「そーですよ。仕方ないから一人で過ごそうかと思ったところにゲオルグ殿が来たんです。ホント丁度良かったですよー」
「お前と過ごすために此の街に寄った訳ではないんだがな」
「いいじゃないですか。ゲオルグ殿も一人で過ごすよりいいでしょ? こんな日に一人は寂しいですよー」


相変わらずの口調で言うカイルを眺めるように見て仕方なさそうに溜め息を吐く。
本心を中々見せないところは相変わらずかと思いながら、ゲオルグは言葉を紡いだ。


「お前の事だ、この街のことは調べてあるんだろう?」
「当然じゃないですか」
「なら、せっかっく調べたものが無駄にならんように付き合ってやろう」
「素直じゃないですね、ゲオルグ殿。一人で過ごすのが寂しいなら寂しいって言えばいいのに」
「お前と一緒にするな。今日が生誕祭だと知らずにこの街に来たからな俺は」
「オレだってそーですよ。北の大地に来たのも、最近だし」
「そうなのか?」
「……群島諸国にしばらく居ましたからね」


逡巡して告げられた言葉に、ゲオルグは黙り込む。
群島諸国――そこはファレナの前女王アルシュタートの夫で、女王騎士長だったフェリドの生まれ故郷だった。
その事をカイルは知らないはずだった。
フェリドの二人の子供たちでさえ知らない事なのだから。
とは言え、偶然群島諸国に行ったとは考えられない。
一瞬浮かんだ寂しげな表情からも、知らずに行ったとは思えなかった。
恐らくは何らかの形でカイルはそれを知ったのだろう。
だが、いつどんな形で知ったのか聞く気も、そこはフェリドの故郷だと告げる気もなかった。


「いつファレナを出た」
「……ゲオルグ殿がファレナを出た数日後、ですね」
「そうか」
「その話はいいじゃないですか。それより、本当だったんですね」
「何のことだ」
「左目。……王子に聞きましたけど、本当に傷もないんですね」


じっとゲオルグを見据えてカイルは告げる。
眼帯を外して随分経つから忘れて居たが、カイルがこの姿を見るのはこれが始めてだ。
ファレナの内戦が終わるまでは人前で眼帯を外したことなどなかったのだから。
とは言え、女王騎士ともなれば気付いては居ただろう。
見えない訳ではない、と。


「まあな。気付いては居たんだろう?」
「まあ、見えない人の動きじゃないですからね。多少見えるんだろうなとは思ってましたよ」
「そうだろうな」
「でも、少しくらい傷はあったりするのかと思ってましたけどね」
「まあいいだろう、そのことは」
「そうですね。それじゃあ、せっかく会えたんですから、楽しみましょー」
「分かったから引っ張るな」


再びゲオルグの腕を掴み引っ張るカイルを諌めるように言葉を紡ぐ。
だが、そんな事くらいでやめるカイルではなかった。
仕方なく引っ張られるままに歩く。
一軒の店の前で、やっとカイルは立ち止まり、掴んでいたゲオルグの腕を放した。
店の入り口の脇には、鉢植えの大きな木があって、他の店や家の外にあるのと同じように装飾されている。
点滅を繰り返すイルミネーションが、夜と言っていいくらいに暗くなった闇に映える。
思わず目を奪われて呆然とそれを眺めていると、ちらちらと白いものが空から落ちてくるのが視界に入った。


「ゲオルグ殿。雪です!」


何がそんなに嬉しいのか、ゲオルグの服を引っ張って元気に告げる。
あちこち渡り歩いているゲオルグにとって雪など珍しくもないもので、それは今は恐らくあちこち旅をしているであろうカイルにとっても同じはずだった。
それにも関わらず珍しいもののようなこの反応。
変わらないと、ゲオルグは思う。
落ちてくる雪を嬉しそうに眺めるカイルを見て、ゲオルグが思わず微かに笑った。


「あー、ゲオルグ殿。笑いましたね」
「ああ、すまん」
「まあ、いいですけど。その代わり、明日も付き合って貰いますよ」
「お前な……」
「いいじゃないですか。明日こそが生誕祭なんですから! ほら、行きましょーよ」


そんなつもりはないと言い掛けたゲオルグを遮って告げて、カイルは再びゲオルグの腕を掴み店の中へと入っていく。
再び引っ張られて、仕方なさそうにゲオルグはカイルの後に続いて店に入った。


生誕祭との事で、酒場にも関わらずケーキの類が置いてあって。
女性を連れて来ても良さそうな内装だからと言うのもあるのだろうが、店主曰く普段は置いてないとの事だ。
酒場には大抵ケーキ類は置いてないのでそれは当たり前の事で。
それもそうだろう、チーズケーキを酒のつまみにするのは、目の前で酒を飲みながら満足げにチーズケーキを食べるこの男くらいだ。
胸焼けしそうだと思いつつカイルは酒を煽る。
店内を彩る飾りやイルミネーションを呆然と眺めた。
ファレナを出て二年ほどの月日が流れて。
それでも未だあの王家の人達を忘れることが出来ない。
そう言えばアルシュタート陛下の生誕祭も盛大だったなと思い出し、思わず苦笑し煽るように酒を飲み干す。
だから一人でこの街に居たくなかったのだとカイルは思う。
何人もの女性の声を掛けて、けれど皆それぞれ過ごす相手が居て。
だから一人で過ごすなら別の街へ行こうと思ったのだ。
どうしてもこの街で、生誕祭で賑わっているこの街で、一人で居たくなかった。
そんな時丁度ゲオルグを見つけたのだ。
でも今思えば、声を掛けずにこの街を出て行けば良かったと思う。
ファレナの内戦を仲間として共に戦った人と共に居れば嫌でもファレナを思い出す。
そうして、思い出は次から次へと溢れ出して――止まらなくなる。

まだアルシュタート陛下が存命の頃、太陽宮で盛大に陛下の生誕祭が行われた。
幼い王子と王女と共に、城の中を飾り付けして――アレニア殿に怒られたなと思いを馳せる。
楽しかった日々。
大切な王家の人達。
王子と王女が居たとしても、アルシュタートもフェリドも、サイアリーズも居ない太陽宮に残るのは辛かったのだ。
守れなかったと、何よりも守りたかった人達を守れなかったと突きつけられる気がするから。
何のための女王騎士だと自嘲する。
女王を、王家の人達を守れなくて何が女王騎士だと思う。
役目も果たせなかったのに、あの地に残れるはずがなかった。
何杯目か分からない酒を煽るように飲む。
途端に咎める様な声が、カイルの耳に届いた。


「カイル」
「なんですか〜?」


酔った様子のカイルを見てゲオルグは溜め息を零して告げた。


「お前、いくらなんでも飲みすぎだろう」
「……チーズケーキをつまみに飲んでる人に言われたくないですよー」
「人の好みにケチをつけるな」
「ゲオルグ殿〜」
「なんだ」
「……ゲオルグ殿は知らないでしょーけど。アルシュタート陛下の生誕祭も、賑やかだったんですよー。王子と姫様と一緒に城の中飾り付けて、アレニア殿に怒られて。それでもめげずにあちこち飾り付けて――本当に、楽しかったんですよ」
「……そうか」
「――なのに、何でっ」


カイルが一人で居たくなかった訳がゲオルグにも分かった。
そんな話を聞かされては、目の前で煽るように酒を飲み続けるカイルを止める気にはなれない。
奪われた思い出が、奪われた人達がカイルにとってどれ程大切だったかは、共に仲間として戦って分かっていたから。
ぐいっと煽るように酒を飲み干して、新たな酒を頼む。
目は完全に据わっていて、酔っているのは誰の目にも明らかだった。
店員が、酒を持ってきて良いのかとゲオルグに目で問う。
構わないと告げると、仕方なさそうに新しい酒をとって来る。
目の前に置かれた酒を、カイルは再び煽るように飲む。
その光景を、ゲオルグはただ黙って見ていることしか出来なかった。

煌びやかなイルミネーションも、カイルにとっては辛いものでしかないのだと改めて思う。
それにも関わらず、カイルは酔うまではそんな素振りさえ見せなかった。
相変わらずだと思う。
適当な様で居て、誰よりも周りに気を遣うカイルらしいと思っていた。
だからそう、酔ったからとは言え、己の前で素の感情を出せるなら、吐き出させてやりたいと思う。
誰の前でも滅多に素を見せないことをゲオルグは知っていたから。
戦争で家族を失って、少年と言って良い時分から剣を手にしていたと聞いた。
少年と言われる年齢から剣を手にしていたのはゲオルグも一緒だから分かる事も多い。
ただそう、カイルはゲオルグ以上に人と深く関わるから。
その分喪失の痛みも大きい。
戦いに身を置き続ける以外出来ないと理解しているゲオルグは、人と適度に距離を置く。
背を預けても良いと思える程に気を許した存在は、それ程多くはなかった。
カイルになら――そう思ったことがあったなとゲオルグは思う。

太陽宮が陥落する前の日々をもう一度。
叶わないカイルの願い。
アルシュタート陛下の生誕祭の時に居ないはずのゲオルグまでもが何故か居ることになっていて。
だがそれを訂正する気は、ゲオルグにはなかった。

いつも以上に間延びした口調でゲオルグに話しかけながら飲み続けるカイルを眺めて、酒を飲み干す。
やがて完全にカイルが酔い潰れたのを見て、ゲオルグはゆっくりと立ち上がった。
清算して、空き部屋はあるかと問う。
大概酒場の上は宿屋になっている事が多いのだ。
此処も例外ではなく、二人部屋を一部屋とる。
テーブルに突っ伏しているカイルを軽く揺すって、ゲオルグは声を掛けた。


「カイル。立てるか」
「だいじょうーぶ、ですよー」


言いながら立ち上がろうとしてそのまま椅子に座り込む。
仕方ないと呟いて、ゲオルグはカイルを腕を己の肩に回させて支えて立ち上がらせた。
ぐっと立ち上がったカイルの重みがゲオルグに掛かる。
女性ならば抱きかかえることくらい容易いが、ゲオルグより細身とは言えカイルは立派な成人男性だ。
それに、剣を振るえるだけの体格もある。
ゲオルグより細身とは言え、流石に抱きかかえるのは無理があった。


「ゲオルグどの〜」
「黙って歩け。……流石にお前を抱えては歩けん」
「は〜い」


いつも以上に間延びした返事に、ゲオルグは溜め息を吐く。
それでも何とかカイルを支えて階段を上がって――借りた部屋へと辿り着いた。

よっと掛け声を掛けて、ゲオルグは片方の寝台にカイルの体を横たえる。
半ば落ちる勢いで寝台に沈んだカイルを見てゲオルグはほっと息を吐き出した。
そうしてもう一つの寝台へと向かって足を踏み出して――引っ張られる感覚に振り返る。


「ゲオルグどの〜。どこに行くんですか。明日も、付き合うって約束、したじゃないですかー」


寝台に横になったまま眠そうな目を薄っすらと明けてカイルがゲオルグの外套の端を掴んでいた。


「何処にも行かん、寝るだけだ。だから放せ」
「いやですー」
「カイル」


溜め息混じりに呆れたようにゲオルグはカイルの名を呼ぶ。
それでもカイルがゲオルグの外套を放すことはなかった。
それどころか、眠いはずのカイルの何処にそんな力があるのかという力で外套を引っ張られる。
突然のことに対処出来なくて、ゲオルグは引っ張られるままにカイルが眠っている寝台へと倒れこんだ。
何とか逃れようとするゲオルグの耳に、カイルの小さなけれど悲しげな声が届いた。


「――」


耳を澄まさなければ聞こえないほど小さな呟き。
それはカイルが大切に思っていたファレナの王家の者達の名だった。
悲しげな小さな呟きを聞いて、突き放すことなど流石にゲオルグには出来なかった。
知っているからこそ出来ない。
カイルが彼らをどれ程大切に思っていたか知っているからこそ――出来なかった。


「仕方ない」


そう呟いてゲオルグは諦めてカイルの隣に横になる。
一人用の寝台に成人男性が二人寝れば狭いのは当たり前で。
落ちそうになるカイルを慌てて抱き込む。
腕の中の温もりが思った以上にゲオルグに安心感を与えて――そうしてゲオルグもそのまま眠りに落ちる。
ファレナの内戦で互いに大切に思う者を失った。
抱えるモノは同じで、だからこそ惹き合うのかもしれない。
足りなかった何かが埋まるような感覚に、互いに久しぶりに熟睡することが出来た。

腕の中の温もりが身じろぐ気配にゲオルグは目を覚ます。
と同時に、ゲオルグの腕の中カイルが目を覚ました。
向かい合った状態で居た二人の視線が合う。
互いに数秒見詰め合って――驚きカイルはゲオルグの腕の中から逃れた。
寝台脇の壁まで勢い良く後退って、慌てた様子で言葉を紡ぐ。


「な、何で。何があったんですか!」
「覚えてないのか」
「ゲオルグ殿、まさかオレ達――」
「カイル。お前、何を考えている」
「まさかそんなこと、ないですよね」
「……」


呆れたように深い溜め息を一つ零して、ゲオルグは何も言わずに寝台から降りる。
無言で部屋を後にするゲオルグを慌てたようにカイルは追いかけた。


「ゲオルグ殿!」
「……今日も付き合えと言ったのはお前だろう。行くぞ」


驚いたように目を見開いて、部屋の入り口に立ちカイルを待つゲオルグをじっと見つめる。
微かに笑って、カイルはゲオルグに近づいて告げた。


「それじゃあ今日も思いっきり楽しみましょー」
「今日は酔い潰れるなよ」
「分かってますって」


パタンと部屋の扉が静かに閉められる。
薄っすらと白く染まった街を、楽しげに歩くカイルと、その少し後ろを仕方なさそうに着いて歩くゲオルグの姿が生誕祭の朝の風景の中にあった。

――辛い思い出が塗り替えられていく。



END