■凍える寒さの中で

「寒いっ!」


そう、カイルが叫んだのは、この地に足を踏み入れて数分経った頃だった。
まあ、もった方か――そう、ゲオルグは思う。
寒いと叫んで立ち止ってしまったカイルを振り返り、ゲオルグは告げた。


「だから、言っただろう」
「こんなに寒いなんて、言わなかったじゃないですか」
「かなり寒いと言ったはずなんだがな」
「かなりって……これは、ものすごーく寒いって言うんです! 極寒ですよ」


はあ、とゲオルグは呆れたように溜息を吐く。
永遠に続くかと思われる真っ白な地平線。
それを見たいと言ったのは、カイルだった。
以前旅をしていた時にたまたま足を踏み入れた、この地。
何もない真っ白な大地。
吹雪いている事が多く、その寒さは半端ではないが、真っ白な地平線が永遠とも言えるほど続く様を初めて見たときには、流石に言葉を失った。
一面の銀世界。
その言葉がこれほど合う場所も、そうないだろう。
たまたまその近くまで来た為思い出し、カイルに話したのが事の始まり。
行きたい、と言いだし、寒いと言ったにも関わらず来る事になったのだ。
長年温暖な気候のファレナに居たカイルからしたら、耐えられない寒さだろうと思い忠告したのだが、好奇心の方が勝ったらしく、今此処に居る。


「どうする。戻るなら今のうちだぞ」
「戻るって、此処まで来た距離をですか? 行きますよ、此処まで来たら」
「この辺りには、街は一つしかない。夜までにそこに辿り着けなければ――」
「野宿なんて絶対に嫌ですよ。こんな寒い中野宿したら、凍えますって! 早く行きましょう」


ゲオルグの言葉を遮り、早口でそう告げてカイルは歩き出す。
歩き出したカイルの背に向かって、ゲオルグは呆れた様子で声を掛けた。


「カイル。お前街の場所は分かるのか」
「分かる訳ないでしょう?」
「なら、先に行くな」
「早くして下さいよ。止まってると寒いんですから」


立ち止ったのはお前だろうという言葉を飲み込んで、ゲオルグは溜息を吐きだす。
ほら、と言いながらゲオルグの背を押すカイルにもう一度溜息を零して、ゲオルグは歩き出した。
吹雪の中、ただただ無言で歩き続ける。
こんな寒いところにも魔物は生息するもので、現れる魔物を互いに無言で倒してまた進む。
これだけ吹雪いていると、以前ゲオルグが見た真っ白な地平線を見る事は出来ない。
どうしても見たいのならばこの先にある街で宿泊して、吹雪が収まるのを待つしかないだろう。
吹雪く事が多いこの地方で、吹雪いてない時など稀なのだが。
それでも、方法はそれしかない。
視界が悪く、果たして街のある場所はこちらで合っているのかさえも、分からなくなる。
それでも、長年旅を続けて来たからか、方向感覚と言うモノが備わっているようで、どうにか吹雪の向こうに街が見え始めた。


「ゲオルグ殿。街が見えましたよ!」


途端に元気になるカイルに呆れつつも、適当に相槌を打つ。
普段ならば気のない返事だのなんだのと返ってくるはずが、今はそれどころじゃないらしく、さっさと街を目指して足を進める。
その後ろ姿を見送って苦笑を浮かべて、ゲオルグも後を追った。

街へ入り、宿へと行けば宿の主人が、運が良いと告げる。


「もう直ぐ、吹雪が止むよ。滅多に止まないんだけどね」
「どうしてそんな事分かるんですか?」


素直にカイルは疑問を口にする。
それに微かに笑みを浮かべて、宿の主人が答えた。


「長年この土地に住んでるからね。分かるんだよ。嘘だと思うなら、少し部屋で休んで外に出てみると良い」


その主人の言葉に頷き、カイルとゲオルグはたった今取った部屋へと向かう。
吹雪の中歩き続けて、いい加減二人とも疲れて居た。
二つある寝台の一つに腰かけたまま、ゲオルグはカイルへと声を掛ける。


「どうする。外に出てみるか?」
「行きます。せっかく此処まで来たんですから」
「分かった。なら、行くぞ」


言いながら立ちあがり、カイルを促す。
宿の窓は防寒の為かしっかりと施錠されていて開かないようになっている為、外を確認することが出来ない。
吹雪が止んだのかどうなのかは、外に出てみるまで分からないのだ。
だからだろうが、寒いと言いつつもカイルは促されるままに立ちあがる。
そうして部屋を後にしたゲオルグの後に、着いて行った。


「本当に止んでますね」


疑っていた訳でもないだろうが、カイルが感嘆の声を上げる。
あれ程吹雪いていたのが嘘のように、晴れていた。
とは言え、既に夕方という時間帯。
太陽は西へ傾き、辺りを茜色に染め上げている。

街から一歩出て、ゲオルグとカイルは共に言葉もなく立ち止った。
永遠と続くかと思える真っ白な地平線。
それを茜色に染め上げる夕日。
以前ゲオルグが見た時は昼間だった為、同じ風景のはずなのに違う風景を見ているかのようだった。


「凄い」


そう言ったきり、カイルもそれ以上言葉を紡ぐ事はない。
饒舌な性質のカイルがこんな風に言葉もないと言った様子で黙り込むところを、初めて見たとゲオルグは思う。
だが、それ程に目の前の景色は、綺麗なモノだった。


「寒いの我慢して来た甲斐がありましたよ」
「そうか。良かったな」
「ゲオルグ殿。もう少し何かないんですか?」
「何を言えと言うんだ」
「……何も言えませんけどね、確かに」
「……」
「でも、やっぱり寒いです!」


寒い寒いと言いつつ、カイルはその場から立ち去ろうとはしない。
茜色に染まった地平線に少しずつ消えて行く太陽から目が放せなくて。
立ち去る事が出来ないのだ。
それでも、その絶景と言える景色でも誤魔化せない寒さ。
本当に寒そうに、寒い寒いと言いながら身体を震わせるカイルを見かねて、ゲオルグは小さく溜息を吐きだし羽織っていた外套を脱ぐ。
突然の事に驚くカイルに向かってそれを放り投げて――頭から被る形となって、カイルが抗議の声を上げた。


「何するんですか、突然」
「寒いんだろう。それでも着て居ろ。煩くて敵わん」


放り投げられたゲオルグの外套から顔を出して、じっと景色を見つめたままのゲオルグの横顔を眺めて、カイルは微かに笑って告げる。


「心配なら素直にそう言えばいいのに」
「……」


カイルの言葉にも、景色を見たままでゲオルグは反応を返さない。
しばらくゲオルグの横顔を眺めて、カイルは放り投げられた外套を羽織って景色へと視線を向けた。


「でも、オレがこれ借りちゃうとゲオルグ殿が寒そうなんですけどー」
「寒い事は寒いが、我慢出来ない程でもない」
「えー、どうしてですか。寒いじゃないですか」
「だから、着て居ろと言ってるだろう」
「着てますけど、ゲオルグ殿見てるだけで寒いんですって」
「俺を見る必要はないだろう」
「普通気になるでしょう」
「……なら、どうしろと言うんだ」
「そうですね……オレがゲオルグ殿を温めてあげましょうか?」
「断る」
「即答しなくても良いじゃないですか」


酷いと騒ぐカイルを見て、ゲオルグは再び溜息を吐きだす。
静かだったのは一瞬だけかと思っていた。
だが、その喧しさに救われている事も確かなのだ。
以前この景色を見たときは、まだファレナの内戦の前で、気ままに旅をしている時だった。
もしも今、独りでこの景色を見たならば、一体何を思ったのだろうか。
幸い、隣で喧しい程に騒ぐ男が居るお陰で、そんな状況を想像する事さえ出来ない。
幸いなのかそうじゃないのか分からないが……今のところは幸いなのだろう。
これでも寒いと騒ぎ続けるカイルに呆れた溜息を零しつつ、ずっと共にと願う。
隣で騒ぐ存在を、もう手放せないのだと実感していた。

対するカイルも、寒いと騒ぎながら同じように思って居た。
隣にゲオルグが居るからこそ、寒いと騒げるのであって、これが独りだったなら――。
綺麗だけれど、一面茜色に染まる景色はどことなく寂しさもあって。
独りでこの景色を見たならば……こんな風に騒げなかっただろう。
呆れたように溜息を零す存在が隣にあるからこそ、なのだ。
大切な存在を、場所を失った悲しみも苦しみも、忘れた訳じゃない。
ただそれでも、綺麗だけれど寂しいと感じる景色を見ても沈みこまずに居られるのは、ゲオルグという存在のお陰。
二人ならばきっと――乗り越えて行けるのだろう。
離れるつもりなどないが、もうその存在が無くてはならないものになって居る事を改めて実感する。
そんな思いを振り切るかのように、カイルはゲオルグの背後から温めるかのように抱きついた。


「カイル」
「やっぱりこうするのが一番温かいですって!」
「お前、俺で暖を取ってるだろう」
「どっちでも良いじゃないですか。温かいでしょう?」
「……そうだな」
「……うわー珍しい。ゲオルグ殿が素直だ」


はあ、とゲオルグは溜息を吐きだす。
温めているというよりは、ゲオルグに抱きついているという状態のカイルをちらりと振り返って見て――鬱陶しいと思いつつ、振り払う気にはなれない。
その存在が温もりが、共に在るのが互いに当たり前になっていた。


「そう言えば、ゲオルグ殿最近言いませんね」
「何をだ」
「俺と一緒に行動する必要はない、ってのです」


ゲオルグの言い方を真似て、そうカイルは告げる。
いつ離れても構わないと、カイルが共に在りたいと思って居る間だけ共に在ると、共に旅を始めたころは何度も言われていた。
それなのに、いつからだろうか。
最近そのゲオルグの言葉を聞いてない事に今更ながら気付く。


「……言っても意味がないからな」
「それってどういう意味ですかね」
「さあな。好きに取れば良い」


そのゲオルグの言葉に、ゲオルグの背中から抱きつくような恰好のまま、カイルは楽しげに笑う。
言ってもカイルが離れる気が無いのだと知ったからかそれとも、手放せないのだと気付いたからか。
どちらにしろ、もうあの言葉をゲオルグから聞く事はないのだろうとカイルは思う。
こうしてくっついているからなのか、何故なのか気持ちが伝わってくる気がして。
それが楽しくて再びカイルは笑う。
そんなカイルをちらりと見て溜息を吐きだして、それでもゲオルグはしっかりとゲオルグにくっついたままのカイルを引き離そうとはしなかった。

凍える寒さの中だからこそ、その存在を温もりをより一層感じる。
確かに此処にあるのだと、これから先も共にあるのだと、そう思っていた。

辺りを闇が支配する前に、再び辺りは吹雪になり、吹雪に追われるように二人は宿へと戻る。
僅かな時間ではあったが、互いに互いの存在を近くに感じた時間だった。

目的もあてもない旅は、まだまだ続く。
いつまでもいつまでも、共に――。



END



2010/02/06up