相当の衝撃を覚悟して思わず目を閉じて――けれど思った程の衝撃がなくほっと息を吐き出し目を開く。
地面とは違う温かく柔らかい感触に視線を向ければ、何故かゲオルグの姿がそこにあった。
「何でゲオルグ殿まで一緒に落ちてくるんですか」
「お前が引っ張ったからだろう」
ゲオルグに言われて見れば、しっかりとカイルの手がゲオルグの外套の端を掴んで居た。
しかも何故なのかカイルはゲオルグの腕と体半分程を下敷きにしていて――慌ててゲオルグの上から退きながら告げる。
「あー、すみません」
「いや、構わん。それより怪我はないか」
「オレは大丈夫ですよー。ゲオルグ殿は?」
「俺も大丈夫だ」
そう言うゲオルグをカイルは疑いの目で見る。
戦闘中、魔物によって崖に追い詰められ、どうにか魔物を倒したは良いが直後に体制を崩し、カイルは崖下へと落ちた。
その時手近にあったものを思わず掴んで――それがゲオルグの外套だったのだ。
カイルに外套を掴まれ引っ張られ、落ちるのに巻き込まれたはずのゲオルグは何故か、カイルを庇うようにカイルの下敷きになっていて。
そう言えば落ちる時に何かに包まれるような感覚があったような気がするとカイルは思う。
ゲオルグよりカイルの方が体格が華奢だとは言え、カイルも女王騎士。
剣を振るえるだけの体格はしているのだ。
崖はそれ程高くはないが、決して低いとも言えない。
そんな所から落ちて、しかもカイルの下敷きになって、怪我がないなどとどうしても信じられなかった。
「ゲオルグ殿――」
「カイル、ゲオルグ。大丈夫?」
ゲオルグにもう一度問おうと口を開きかけた瞬間、上から王子の声が降ってくる。
その声にゲオルグもカイルも立ち上がり、視線は上へと向けられた。
「大丈夫ですよー、王子。夜までには本拠地に帰りますから先に帰ってて下さい」
「でも……」
「大丈夫だ。二人居ればこの辺りの魔物なら問題ない。お前は先に戻って居ろ」
「うん、分かった。無理はしないでね」
カイルとゲオルグ両方に先に帰れと言われて、仕方なく王子は頷く。
王子の姿が崖上から消えて、二人はほっと息を吐き出した。
「夜までには帰るって言いましたけど……帰れますかね」
「さあな。とにかく、登れる所を探すぞ」
「ちょっと待って下さい、ゲオルグ殿」
「なんだ」
「……ほんとーに、怪我してません?」
「ああ、大丈夫だ」
じーっと探るようにカイルはゲオルグを見据える。
「じゃあ、調べさせて下さい」
「……断る」
「怪我してないなら見せて下さい」
「……」
「やっぱり、怪我してるんですね。オレを庇うからですよ。……巻き込まれて落ちたのに何でですか」
「何でと言われてもな……」
「いいから見せて下さい」
「大したことはない。だから、行くぞ」
言いながら本当に何でもないように歩き出すゲオルグの外套を、カイルは掴んで引き留めた。
「ゲオルグ殿。本拠地に帰るまで二人だけなんですから、途中で戦えないなんて言われても困るんですけどー」
「そんなことは言わん。だから放せ」
「放して欲しいなら、治療させて下さい」
「大丈夫だと言ってるだろう」
「だから、大丈夫なら見せて下さいって」
「お前も大概しつこいな」
「お互い様です。何でそんなに頑固なんですか」
カイルはゲオルグの外套を掴んだままで、互いに向かい合い睨み合う。
しばらく無言で睨み合って、どちらからともなく溜め息を吐き出した。
「こんな事をしていても時間の無駄だな」
「そう思うなら、見せて下さいよ」
「……分かった」
本当に仕方なさそうに行って、右の袖を捲りあげるゲオルグを、カイルは呆れたように見つめる。
この人は、利き腕を怪我しているのにそのまま戦いながら本拠地まで戻るつもりだったのかと思う。
本拠地まで歩いて帰れる距離だとは言え、近いとは言えない距離なのだ。
既に日が傾き始めた今からでは、日付が変わる前に帰れるかどうか。
瞬きの紋章があれば一瞬で戻れるがそれは王子が持っているのだから最悪は何処かで野宿なんて事もあり得ると言うのに。
石か何かで切ったのか、ざっくりと右腕肘の少し上辺りが切れている。
良く見れば、服も裂けていて、外套で隠していたらしいと思い当たる。
確かに大した怪我ではないだろう。
命の危険がある訳じゃない。
だからと言って痛くない訳じゃないだろうに、何だってこの人はと何故なのか無性にカイルは腹が立っていた。
「ゲオルグ殿」
だからだろか。普段よりも低い声でカイルはゲオルグの名を呼ぶ。
どうやらそれに気付いたらしいゲオルグも、一瞬驚いたようにカイルを見据えた。
「……このまま本拠地まで帰るつもりだったんですか」
「ああ。帰ってから手当てしても問題ないだろう」
「まあ確かに、この怪我で死ぬことはないでしょうけど」
「カイル。お前、何を怒っている」
「何をって分からないんですか?」
「分からないから聞いてるんだろう」
「心配してるんですよ! 何で分からないんですか、それが。心配してるのに、平気な振りして怪我隠して。しかも見てみれば利き腕じゃないですか。何考えてんですか」
「……」
何も答えないゲオルグにカイルの苛立ちは強くなる。
どうして分からないのか。
大切だと思う人の心配をするのは、当たり前だろうと思うのに。
しかもその怪我は自分を庇った為に負った怪我なのだ、何も思わないはずがない。
ぶつぶつと文句を言いつつ、その合間にカイルは詠唱をする。
水の癒しの紋章魔法がゲオルグを包み込み、一瞬にして怪我は消えた。
「終わりました」
不機嫌そうな口調でそう言われて、ゲオルグは小さく溜め息を零して告げる。
「悪かった」
「本当にそう思ってます?」
「ああ」
「なら、いいですけどー」
不貞腐れたように言うカイルの頭を思わずゲオルグは撫でる。
頭を撫でられるとは思わなかったのか、カイルはぴたりと動きを止めた。
動かなくなったカイルの頭を気が済むまで撫でて、ゲオルグは何事もなかったかのように告げる。
「行くぞ。登れるところを探さないとな」
「……」
はあ、と思わずカイルは溜め息を吐く。
反論したくても、何故なのか頭を撫でられるという行為が嫌じゃなくて、何も言う事が出来なかった。
「行きましょうか」
それ以外言えなくて、そう言い歩き出した瞬間――音を立てて雨が降り出す。
あ、と思った時には、ゲオルグがカイルの腕を掴み木陰に向かって走っていた。
二人で雨を凌げる程度の大きな木の下に立って、空を見上げる。
「なんか、ついてないですね〜」
「そうだな。……日も落ちたし移動は無理だな、今日は」
「野宿ですか、此処で」
「この辺りに街はないからな。どちらにしろ雨がやまないことにはどうにもならんが」
「ですよねー」
そう言ったカイルがぶるりと体を震わせる。
いつもなら女王騎士服を着て居るカイルは、今日に限って何故か旅装だった。
割と軽装なそれでは、雨の中寒いのだろう。
何も言わずにゲオルグはカイルの体を引き寄せる。
驚き硬直するカイルの体を、外套の中へと引き込んだ。
「な、何するんですか」
「寒いんだろう? 我慢しろ」
「……何か言ってからして下さいよ」
そう小声で抗議しては見たものの説得力はない。
寒かったのは事実だし、ゲオルグの外套の中に包み込まれて伝わる体温が心地いいのも事実だから。
外套の中ゲオルグに寄り添うようにして、カイルは空を見上げる。
「雨、早く上がるといいですね」
「そうだな」
上がらなければいいと、もうしばらく降り続いてくれたらいいと、本当は思っていた。
二人が本拠地に戻ったのは翌日になってから。
帰って来ない二人を心配した王子がビッキーに送って貰って見たものは。
木陰で寄り添い眠る二人の姿だったとか。
END
2010/05/18 拍手お礼ページから移動