■Salvation  [作者:春宵 様]

◇◆◇



 タオルで乱暴に頭を拭きながら、シャワールームを出る。
 長丁場のミッションでかいた汗を流したところでようやく一息ついた、と言ったところか。

 「じゃ、お疲れさんってことで。」

 独り言を呟きながら、冷蔵庫から冷えたビールを取り出す。
 誰にともなく乾杯の仕草をして、喉を鳴らしながら一気に半分ほどを流し込んだ。
 ミッションから帰ってシャワーを浴び、疲れた身体にアルコールを入れる。
 一連の動作はほとんど習慣と化していて、考えなくても、どんなに疲れていても、身体がそう動いた。

 四季の変化がマトモにあった昔の話。
 気温がマイナスまで下がる冬に、暖かい部屋で冷えた酒を流し込むのは至福だったと聞いたことがある。
 だが、俺にとっては年中気温が同じでも至福であることに変わりは無かった。
 ―――目にしたくないことも、嫌なことも、不満も、この時ばかりは忘れても良いと許される酔い。
 まぁ、実際に記憶を失くすほど飲めるなんて贅沢は出来た例(ためし)が無いんだが。
 このアナグラでの1日を……繰り返される日々を凌ぐには、そんな時間が無ければ耐えられなかった。

 「…と、肝心な事まで忘れちまうところだった。」

 ガラにもない事をしようとすると頭もそれを拒絶するのか。
 昔の年中行事にかこつけて誘った相手がいた事を、ものの15分で忘れようとしている自分に苦笑した。
 たしか30分後と言ったから、まもなくアイツも部屋に来る頃だろう。
 かなり強引に誘った手前、“それらしく”見せる程度の仕込みはしておかないと帰られてしまいそうだ。

 「頑張ったところで、素直に喜ぶようなヤツでもないんだがな。」

 傍から見れば、迷惑そうに。鬱陶しそうに。
 その性格を知っていれば、内心困惑して不機嫌になっていると分かるあの表情で。
 睨むようにこっちを見上げる姿が容易に想像できる。
 ……その顔が見たくてやっているのだから、仕方ないんだろうな。
 クスリ、と自嘲にも聴こえる笑みを漏らす。
 そして名残り惜しく煙草を最後まで吸い切ると、重い腰を上げて立ち上がった。


◇◆◇



 ミッションの報告をした後、一服ついでにエントランスに向かった。
 ……と言うのも自分や周りへの口実で、本当は別件で出動しているヤツの帰還を待っていた。
 今日は12月24日、クリスマス・イヴ。
 誰でも良いから朝まで一緒に居たい…と思えば、誘い方なんていくらでも思いつく。
 だが、今日は『誰でも良いから』とは思えない気分だった。

 「ソーマ!」

 ミッションから帰って来た小隊の中に無表情なフード姿を見つけて声をかける。
 おいでおいでと手を振る俺を見て、ソーマはあからさまに嫌そうな顔をした。
 フゥっとため息をついているのが遠目でも分かる。
 それでも近付いてくるあたり、無意識なんだろうが実は律儀なヤツなのかもしれないな。

 「よ。ミッションお疲れさん。」

 用もないのに灰皿の近くに来る者はそう多くない。
 それを見越して陣取った場所にソーマが来るのを待って、もう一度声をかけた。
 気だるそうに見えるのは、ミッション自体よりも新人を連れて出た気疲れもあるんだろう。
 ソーマは応える様子もなく、気だるげに『早く用件を言え』と言うような眼差しでこちらを見返した。

 「お前、クリスマスって知ってるか?」
 「……くりすます?」

 初めて聞く言葉の意味を探すように、ソーマは俺の口にした単語を繰り返す。
 『意外にも』と言うべきか、『当然』『やはり』と言うべきか。
 聖人に由来するのであろう名前の父親を持つわりに、カミサマの生誕を祝う祭りごとをソーマは知らないらしい。
 ―――もっとも、クリスマスを知らないというのは珍しい事じゃない。
 配給品でようやく食い繋いでいる今の時代に、街や木を飾りつけたり美味い物を食ったり嗜好品を贈り合ったりする年中行事を続ける余裕なんて無いからな。
 本家本元の宗教行事としては残っているらしいが、いつの間にか廃れて行った事なんだろう。

 そう言う俺も、知ったのはいい大人になってからの話だ。
 飾り付けられたモミの木。赤い衣装のサンタクロース。靴下に入ったプレゼント。
 定番だったらしい光景にも興味が無い訳じゃないが…まぁ、そういうものを信じられる歳なんてとっくに過ぎていたからな。
 やりきれない“仕事”の後。夢見が悪そうな夜。
 飲む口実や誰かを誘うきっかけになれば何でも良いと思って覚えた、ある意味やりきれないイベントだった。

 これが誰でも良いと思って誘う“誰か”なら、『2人で過ごしたらきっとハッピーな聖夜になる』なんて甘やかな言葉でも出てきたんだろうが。
 ソーマには通じないだろうし、必要もないと思って『クリスマスにかこつけて飲みたいから付き合え』とだけ言った。
 するとソーマは興味も無さそうにプイと背を向ける。

 「誘う相手が違うだろ。」

 やっぱり、と思って苦笑が漏れた。
 その態度も、他に相手がいると思われている事も、予想通りすぎていっそ可笑しかった。
 普段なら『そうか、残念だな』と言って見送るところだが、相手になってくれそうな“誰か”の誘いはほとんど全部断っている。
 我が儘だろうが、エゴだろうが、今夜はこのまま一人残されるのだけは勘弁して欲しかった。

 「そう言うなって。仮にも隊長の誘いなんだから、断るなよ。」
 「……今はミッション中でも戦闘中でもないだろ。」
 「なら、アラガミの居そうな場所に連れて行って『乾杯するぞ』って言ったら付き合うのか?」

 我ながら酔っ払いが絡むような論理だと思う。
 もともと口下手だという自覚はあるが、思った事を上手く伝えられないのは本当に厄介だ。
 隣に眠る“誰か”を探す時ならスルスルと出てくる台詞が、必死になればなるほど出て来ない。
 そんな自分に苛立って、一息つくために煙草に火を点けた。

 「……悪かった。もう行っても良いぞ。」

 ため息のような紫煙を目で追いながら、ソーマを見送る言葉を紡ぐ。
 別に誰かと一緒に過ごせないからといって、全く眠れない訳じゃない。
 一人で眠る術なら、浴びるように飲んで泥のように寝るという手段だってある。
 自分に言い聞かせて、無理矢理いつもの“いい加減な第一部隊の隊長”の表情を作った。

 分かったって。―――だから、この顔を保っているうちに、俺の前から居なくなってくれよ。

 エレベーターに向かって歩き出したソーマの後ろ姿を見るともなしに見遣りながら、心密かに念じる。
 ブーツの足音が、その足取りが、妙に遅く感じられた。






 「30分。」
 「…あ?」

 ふと振り返ったソーマが短く言った言葉に、不意を突かれる。
 早く行け、と思いながら表情を保つことに集中していたから、立ち止まる素振りに気付かなかった。
 『何だって?』と言って聞き返すと、ソーマは面倒臭そうに『30分後に行く』と言い直した。
 そうしてまたプイと背を向けて歩き出す。

 「ハ、ハ。」

 肩の力が抜ける。
 さっきまでため息のようだと思っていた煙草の煙を、笑いを含んで吐き出しているのだから、現金なものだ。
 自分から仕掛けた誘いだというのに、してやられた気分。
 ―――それが可笑しくて、心地いい。
 こんな風に、ソーマには敵わないと何度思わされたことか。
 それが何かを察しての事なのか、天然なのか良く分らないが………。

 そこに在ることで、カミサマの生誕よりもずっと、心が救われる。

 形も無い、贈った本人に自覚も無いクリスマスプレゼントをそっと胸にしまいながら、煙草を灰皿に押し付ける。
 そうして蒼いフードに身を包んだ不機嫌なサンタクロースを迎えるために、俺も部屋に向かって歩き始めた。


◇◆◇



 (……面倒、だな。)

 リンドウと別れた後、立ち寄ったラボを後にしながらソーマは内心呟く。
 榊博士が何を思ったのかは知らないが、出がけにわざわざ呼びとめて教えてくれたのだ。
 先程、エントランスで会ったリンドウの様子がおかしかった理由を。

 「そうそう。この後、リンドウくんに会う事があったら伝えてくれないかな?
  ―――飲みすぎちゃダメだよ、って。」
 「………?」

 何故ソーマにそんな伝言を託すのか、全く理解できないまま言葉の続きを待つ。
 いつもならば『他のヤツに頼め』と言って断るところだが、少し曇ったように見える榊博士の表情が気になった。
 わざと間を持たせるような榊博士の喋り方にどうにか耐えながら話を聞く。

 「リンドウくんも今日は新人を連れて任務に出たらしいんだけど……
  運悪く新人隊員ではとても対処出来ないようなアラガミに当たっちゃったらしいんだよね。」
 「…………」
 「いやぁ、そこは流石リンドウくん、と言ったところなんだろう。幸い、死者は出なかった。」
 「……死者は……?」
 「うん、死者は、ね。」

 リンドウと一緒に出た新人隊員は、重傷を負ったがどうにか一命を取り留めた。
 それだけを聞けば良かったと言っても良いのかもしれない。
 部隊の生存率が一番高いリンドウらしい逸話だと、また囃されるかもしれない。
 だが、生き残った隊員がゴッドイーターとして復帰することは無いそうだ。
 ―――戦えない程度なら、まだ良い。
 片足を失って、中枢神経が傷ついたせいで半身が動かず、顔にも痕の残る怪我をした。
 そんな女性がこの先、どうやって生きていくのか…と。
 生き残った事をどう思うのか、何を希望にしたらいいのか…と。
 医療施設に送られる前、迎えに来た母親が隊長であるリンドウに漏らして行ったという話だった。
 責任を取れと責めるのでもなく、詰るのでもなく…だ。

 ゴッドイーターになるために出ていくのを見送った時点で、多くの家族は覚悟をしている。
 死なないで欲しいと願いながら、どこかに諦めもあるのだと博士は言う。

 「リンドウくんは節度のある大人、だからね。
  内心はどうあれ、部下の家族にも、同僚にも、自分の感情は見せない。
  だけど、責められた方が、感情をぶつけられた方が、荷が軽くなるってことも…あるからねぇ。」

 榊博士はそう言って真剣な顔で眉をひそめる。
 話を聞きながら、ソーマは先程会ったリンドウの様子を思い出していた。
 何故、相手が自分だったのかは分からないが、クリスマス・イヴだから一緒に飲めと言っていた。
 今の話を聞けば、裏を返せばそれは、一人で居たくないという感情の表れだったんだろうか。

 「今夜はクリスマス・イヴだねぇ。
  赤ん坊を連想させる生誕祭も、女性という生き物も、今の彼には辛いかもしれない。」
 「…………」
 「だからキミが行ってあげると良いよ。」

 『だから』って、だから何でオレなんだ…と。
 背中に不平不満を表しながら、けれど誘いを蹴らなくて良かったかもしれないと思いながら、ソーマはラボを後にした。
 その姿を、榊博士は薄く微笑みながら見送る。

 「これが僕からのクリスマスプレゼントになると良いんだけどね。
  どっちにとっての?…………さぁ、どっちだろうね、フフフ。」



 END



2010/12/24up


春宵想月 春宵様から頂きました。
リンドウさんはソーマとはまた別の意味で、仲間との間に一線を引いてるというか。
表には出さないけど、壁を作ってるような感じがするんですよね。
だからこそ、こんな時に一緒に居たいと思った相手が、ソーマなのかなあと。
他の誰かなら、取り繕いそうな気がするんですよね、リンドウさん。
ソーマだからこそ、素で接する事が出来る。
二人の間にある、見えない何かってのを凄く感じました。
こういう関係って良いですよね、好きですよ、本当に。
互いに互いが唯一の存在って感じで。
そして、榊博士がとっても良いです! なんかもう、目に浮かびました場面が。
どっちにとってもクリスマスプレゼントになったんでしょうか。
私にとっては、一足早いクリスマスプレゼントになりました♪
頂けて本当に嬉しかったです。
また、何か書けたら是非送って下さいね。お待ちしてます!
本当にありがとうございました。