■居場所

降り続ける雪を、ぼんやりと眺める。
辺り一面白い景色を更に白く染め上げて行くそれを眺めて、紫煙を吐きだした。
雪が降り続ける鎮魂の廃寺の空は、灰色で。
灰色の空から降り続ける白い雪に、紫煙は直ぐに紛れて消える。
良くは覚えていないが、しばらく過ごしたこの場所だからなのか、それともこの白い景色のせいなのか。
己の存在の異質さを、突き付けられる気がする。
何も気にしていない風を装ってはいるが、何も思っていない訳じゃないのだ。
アラガミ化していたとは言え、仲間を殺しかけた。
忘れられない――いや、忘れてはならない事。
この先ずっと、背負って行かなければならない事。
あの時、あの場所に第一部隊のリーダーが現れて、アラガミ化したリンドウの攻撃を受け止めてくれなければ、この手は間違いなく仲間を引き裂いていたのだから。
罪は背負って行かなければならない。
逃げ出す事なんて、出来る筈がない。赦される筈もない。
それなのに、何もかも放り出して逃げ出したくなるのは、この真っ白な景色のせいだろうか。
吸いこまれてしまいそうな錯覚に陥るこの景色を見ていると、何もかも投げ出して逃げたいという思いが浮かぶ。
腕輪がなくなった今、恐らくこのまま姿を消せば、見つかる可能性は低い。
だが、己がしてしまった事を思えば、投げ出して逃げ出す訳にもいかなかった。
ただそれでも、ふとそんな事を思ってしまう事もある。
そんな思いを吐きだすように、紫煙を吐き出す。
白い景色の中、消えて行くそれを眺めて、もう一度溜息を吐く代わりに紫煙を吐き出した。
雪を踏みしめる独特の足音が直ぐ近くで聞こえて来たのは、そんな時だった。


「他の奴等はどうした?」
「先に帰らせた」


今回、この任務でリーダーを務めたソーマは、この任務の前にも別の任務が入っていて。
そこから直接此処へと来た為、装甲車はたまたま二台あった。
だから、先に帰らせたのだろう。
リンドウとソーマはこの後任務が入っていないが、それでも、任務を終えたのにいつまでもアナグラに戻らない訳にもいかない。
恐らく、少し戻るのが遅くなると彼らに伝言を頼んで帰したのだろう。
アナグラに戻る気配のないリンドウに、様子の可笑しいリンドウに、彼らまで付き合わせる訳にはいかないのだから。
先程の任務での仲間への指示の仕方や、こんな時の判断を見ていると、部隊長にと望まれるのも分かるとリンドウはぼんやりと思う。
リンドウが行方不明になる前のソーマでは考えられない事。
そもそも、以前ならばリーダーを任される事も、なかったのだから。
違いを目の当たりにする度に嬉しさと共に浮かぶ複雑な感情を抑え込んで、それを誤魔化す為にまた紫煙を吐き出す。
だが、その程度で浮かんだ思いは誤魔化されてはくれなかった。
ソーマの一番近い所に居るのは、己だと思っていた。
極東支部を支えているのが自分だと思っていたのと同じくらいに――いや、それ以上に。
だが、今は……分からなかった。

互いに互いの想いを口にする事は殆どない。
リンドウ自身、そう言った事を口にするのは苦手だったし、何より自分の想いってのを、素直に言葉に出来る自信もなかった。
だが、リンドウ以上にソーマはそう言った事が苦手で、言葉に出来なければそのまま口を噤んでしまう事が多い。
だから、何も言わないから何も思っていない訳じゃない事くらい分かってはいるが、それでも、自分が居なくても、ソーマの日常には何の影響もないんじゃないかと思ってしまう。
自分が居なかった間の事を、ソーマは何一つ言わない。
リンドウに対する恨み言も、居なかった間に何を思ったかも。
何も、言葉にする事はなかった。
だから何も思っていない訳じゃない事は分かっていても、以前とは違うソーマを目の当たりにすると分からなくなる。
だから何なんだと自問しても、答えなんて出なくて。
ただどうしても、このままアナグラへと帰る気にはなれなかった。
この真っ白な景色が、そんな事を思わせるのか。
だから、何もかも放り出して逃げ出したくなるのか。
分からないが、逃げ出してしまいたかった。


「何もかも放り出して逃げたいと思った事、あるか」


言葉にするつもりもなかったのに、そんな事を聞いていた。
背負って行くと覚悟していたはずだった。
赦されなくても仕方がないと、思っていた。
自分の意思ではなくとも、それだけの事をしたのだから。
それなのに、揺らぐ。
ソーマからの返答はない。
だが、最初から返答を期待して問いかけた訳ではなかったから、気にならなかった。
短くなった煙草を消して、リンドウは白い雪を降らせる灰色の空を仰ぎ見た。


「逃げたいのか」


ずっと黙っていたソーマが唐突に問いかける。
視線を空からソーマへと移して、リンドウは普段と変わらない口調で答えた。


「……出来ないって分かってるけどな。そんな事を思う事もあるさ」
「そうか、なら――」


独特の音がして、ソーマがリンドウに神機を突き付ける。
先程までただ静かにリンドウを見据えていたその目には、怒りの感情が浮かんでいた。


「独りで行くつもりなら、俺を倒してから行け」
「おい、ソーマ。何だよ、行き成り」


問えば、良いから構えろと短かく告げられる。
そう言われても、リンドウにソーマと戦う意思はなかった。
リンドウに神機を突き付けたまま、睨むように見据えて、ソーマは言葉を紡ぐ。


「俺はもう、残されるのはごめんだ」


ソーマの神機は相変わらずリンドウに突き付けられたままだ。
睨む視線にも、告げられた言葉にも、怒りの色が滲んでいて。
そこで、気付く。
戻って来たとは言え、リンドウも一度はソーマを残して居なくなった。
だが、リンドウだけじゃないのだ。
生まれて直ぐに、母親を亡くした。
そして、彼を変えてくれた少女もまた、ソーマを残して月へと行ってしまった。
唯一の肉親であった父親もまた、彼を残して彼の母親の元へと行ってしまった。
そうやって何度も、彼は残されて来た。
短い言葉の中に、どれ程の思いが詰まっているのかと思えば、独りで行くとは言えなくて。
だがそれでも、消えない思い。
いつもならば、そんな思いをまたソーマにさせたくないと思うはずなのに、今は、そう思う事も出来なくて。
逃げたいという思いの方が圧倒的に、強い。
何故なのか自分でも分からなかった。

弱音を吐いている事も分かっている。
だが、”今まで通り”のリンドウを求める者達の前では流石に弱音も吐けなくて。
此処、だけなのだ。
こんな事を曝け出す事が出来るのは。
情けないという思いはあっても、今はそんな事さえもどうでも良くて。
今すぐにでも、全てを放り出して逃げたいと言う思いは、強くなるばかり。
溜息を吐き出して、もう一本煙草に火をつけるかと思ったリンドウの耳に、小さな声が届く。
その内容に、驚いたようにリンドウは目を見開いた。
ソーマを見れば、じっとリンドウを睨むように見据えていた視線は逸らされていて、突き付けられていた神機も下ろされていた。
ああ、そう言う事かと納得した。

――傍に居る、って言っただろ。
小さく聞こえた言葉の内容をもう一度思い出す。
手を伸ばして、未だ顔を逸らしたままのソーマの身体を引き寄せる。
しっかりと腕の中に捕らえて、リンドウは告げた。


「ありがとな」


それで分かったのか、腕の中のソーマは「ああ」と短く答えた。
見失っていたのは「居場所」だったのだと気付いた。
リンドウが行方不明だった間の事などなかったかのように、仲間の態度は以前と変わらなかった。
半分アラガミ化してしまったお陰で、扱う神機も戦い方も以前とは違う。
そんな自分を変わらずに迎えてくれるのは嬉しくもあり、苦しくもあった。
以前と変わらない自分を求められている気がして、今の自分の居場所が分からなくなっていた。
周りが以前と変わらない態度で接してくれば、リンドウも以前のままのリンドウで在り続けるしかなくて。
このところ、それが苦しくて仕方がなかった。
どんなに周りが以前と変わりない態度で接してきても、リンドウはもう以前のリンドウではない。
この身は半分アラガミ化しているし、背負ってしまったものもある。
そんな”今”の自分の居場所を、見失ってしまっていた。
リンドウの居ない間にソーマは変わっていて、そこに確かにあったはずの以前のリンドウの居場所さえも無くなってしまったかに見えた。
それが間違いだったと知る。
以前のリンドウだろうが今のリンドウだろうが、ソーマには関係ないのだ。
多分ソーマは、リンドウがゴッドイーターじゃなくなったとしても、変わらない。
第一部隊の隊長だったリンドウでも、ゴッドイーターであるリンドウでもなく。
雨宮リンドウを、見続けてくれるだろう。この先もきっと。
それは自分だって同じはずなのに、以前とは違うソーマに戸惑い、そんな事さえ分からなくなっていた。
此処には、己の居場所が確かにある。
リンドウの居場所が、あるのだ。
他の何処になくとも、此処にだけはこの先も変わらずにあるのだと、実感していた。
それにしても寒いなと思い、リンドウはソーマを抱く腕に力を込める。
逃れようとするかのように身を捩って、ソーマは言葉を紡いだ。


「いい加減離れろ。帰るぞ」
「寒いから、もう少しこのままでいいだろ」
「いつまでもこんなところに居るからだ」


相変わらずこの場所は雪が降り続いている。
灰色の空から降って来る白い雪は、真っ白なこの場所を更に白く染め上げて。
ずっとこの場所に立っていたリンドウとソーマも、薄らと白くなっていた。
寒い訳だと思いながら、微かに笑う。
途端に、腕の中から温もりが消えた。
強引にリンドウの腕の中から抜け出したソーマは、装甲車に向かって足を進めて、ふと立ち止まり振り返る。


「本気で逃げたいなら、仕方ねえから着いて行ってやるよ」


だから、その時は言え。と微かに笑って告げて、ソーマは再び歩き出した。
白い景色の中遠ざかって行く背を眺めて、リンドウは苦笑する。
その一言で、僅かに燻っていた感情さえも、全て消え去っていた。
全く、敵わねえな、と思いながら笑う。
変わらない、と思う。


「二人で逃げるってのが、どう言う意味か分かって言ってんのかね」


微かに笑いながら、小さく呟く。
恐らくは、分かっていないとは思うが、後で聞いてみるかと思う。
その時のソーマの反応が容易に想像出来て、リンドウは楽しげに笑った。

まあそれも、悪くないかと思いながら、白い雪が落ちて来る灰色の空を仰ぎ見る。
互いの隣に互いの居場所がある。
何が変わろうと、それだけは変わらないのだと思いながら、リンドウも装甲車へと向かって歩き出した。



END



2011/02/06up