■雨

極東は、他の場所に比べて強いアラガミが多い。
前支部長が秘密裏に進めていたアーク計画で育成されていたノヴァに引き寄せられて集まってきたせいだと言われている。
だが、アーク計画が潰えて、ノヴァが月へと行ってしまった後も、極東には強力な新しいアラガミが現れ続けていた。
その為、フェンリル極東支部の神機使い達は相変わらず忙しく、休みを殆ど取れない者も多かった。
そんな中、他支部から応援要請が入る。
極東では普通に討伐出来るアラガミだが、他支部では見掛ける事も殆どなく、討伐が困難らしい。
そのアラガミが最近増えた為、応援に来て欲しいと言うモノだった。
極東は確かに強いアラガミが多いが、その他の支部の神機使いのレベルが低いと言う訳でもない。
ただ、対処の仕方が分からない為、討伐が困難なだけなのだ。
部隊を指揮出来る者が一人居れば、どうにかなる。
どの場所にアラガミを誘導すれば、こちらが有利に戦えるか。
場合によっては一旦引く、と言う事も重要になる。
そのアラガミの特性を良く分かっていなければ出来ない事。
そう言った指示が的確に出来る者が一人居れば、全く経験のない新人ばかりで任務に当たるのでもない限りは討伐出来るはずなのだ。
だからこそ応援要請も、指揮出来る者を一人、なのだろう。
サカキ博士に呼ばれて、第一部隊の皆とリンドウが支部長室へと集まる。
そこには、ツバキの姿もあった。
ツバキが簡単に説明をして、誰か一人行って欲しいと言う。
リーダーであるユウトかソーマが適任だろうと言う事は誰もが分かっていた。
万が一の場合、アラガミを引きつけて戦える者。
そうなると、遠距離式の神機では難しい。
遠距離式の神機を扱うサクヤやコウタが行くなら、近接式の神機を扱う者をもう一人一緒に行かせる必要があるだろう。
だが、極東でもまた新たなアラガミが現れたりしている今、それ程の人員を割く事は出来ない。
とは言え、リーダーかソーマどちらかと言われても、簡単には答えは出ない。
どちらもが休みもろくにない状態で働いているのが現状で、抜けられると困るからだ。
どうするかと皆が考え込む。
その沈黙を破ったのはリンドウだった。


「俺が行くわ」
「……それが、一番だろうな」


リンドウの言葉にツバキが答える。
答えに躊躇したのは、リンドウが行くのが一番だと分かっていても言えなかったのは、リンドウの右腕がアラガミ化しているからだ。
見て分からないモノならばどうにでもなる。
だが、どうやっても隠す事が出来ないモノだし、見れば直ぐに分かるのだから。
他支部へもその辺りの事は伝わっているだろう。
極東支部外秘の扱いになっているのは、レンの事と前支部長関連の事のみなのだから。
リンドウの実力は他の支部も分かっている。
だがそれでも、どんな目で見られるか、何を言われるか分からない。
だからこそ、ツバキもサカキもそれが一番だと分かっていて言えなかったのだ。
皆が躊躇しつつも、それしかないと結論を出しかけた時、ソーマの不機嫌そうな声がその場に響く。


「待て。……俺が行く」
「お前ね、此処の現状分かってない訳じゃないだろ」
「分かってないのは、お前だ」


ソーマの言葉に呆れたようにリンドウが告げて、それに対してソーマがリンドウを睨むように見て、苛立ったように告げる。
そのソーマの視線が一瞬リンドウのアラガミ化した右腕に落とされて、リンドウはソーマが何故自分が行くと言い出したのか察する。
心配してくれているのだろうと分かり、リンドウは微かに笑う。
それに気付いたソーマの視線が更に鋭くなって、リンドウは思わず肩を竦めた。
アラガミ化した右手を軽く振って、言葉を紡ぐ。


「これの事なら大丈夫だって」
「……いい、俺が行く」
「だから、お前が行ったらこっちが困るだろう」
「……」
「ソーマ、大丈夫だって」
「……」


黙りこみ、頑なにリンドウの言葉を拒否するソーマに、他の仲間もツバキも溜息を吐き出す。
ただ独り、サカキだけがその光景を楽しそうに見ていた。
皆それぞれに任務がある為一旦解散となる。
他支部へと行くのは、一週間後だ。
それまでに、誰が行くのか決めなければならない。
第一部隊の皆が支部長室を去った後、残されたのはツバキとサカキ、そしてリンドウだった。


「俺が行くと返事しておいて下さい」
「だが、ソーマのあの様子では、な」
「どうにかしますよ、大丈夫です」
「そうか。なら、任せたぞ」


それに頷いてリンドウも支部長室を後にする。
間違いなく不機嫌なソーマの部屋を、夜訪ねるかと思いながらリンドウも任務へと向かった。

夕食を終えて、リンドウはソーマの部屋を訪ねる。
ノックをして、ソーマの名を呼べば、少しして鍵を開ける音が聞こえる。
次いで扉が開いて、そこには明らかに不機嫌だと分かるソーマが無言で立っていた。
入るぞ、と断ってリンドウはソーマの部屋へと入る。
背後で扉と鍵を閉める音が聞こえた。


「なあ、ソーマ」
「遠征の話なら、聞かねえぞ」
「もう、俺が行くって伝えて貰ったからな」
「……」


無言でソーマはリンドウを睨みつける。
部屋の中央辺りに立った状態のまま、少し下から睨み上げて来るソーマを見下ろす。
手を伸ばしてソーマのフードを外して、現れた銀糸をそっと撫でた。
途端に嫌そうに顔を顰めるソーマを眺めて、リンドウは微かに笑って告げる。


「そんなに心配するなって」
「誰も、心配なんかしてねえ」
「相変わらず、素直じゃないねえ」


髪を撫でるリンドウの手を払って、ふいっと横を向いたソーマを見て、リンドウは苦笑する。
ソーマが何を心配しているかは、分かっているつもりだ。
此処、アナグラの皆は、半分アラガミ化して戻ってきたリンドウに対して、以前と変わらずに接してくれる。
それを苦しく思う事がない訳じゃないが、それでもありがたいと思っている。
だからリンドウは、異質なモノを見る目で見られた事が今のところないのだ。
恐らくは、ソーマは何度か経験した事があるだろうそれ。
リンドウも今回の遠征で経験することになるだろう。
その時、何を思うのだろうか。
決して良い気分ではないのだろう事は、リンドウが遠征に行く事をどうにか阻止しようとするソーマを見ていれば分かる。
だがそれでも、此処、極東支部の現状を見ても、リンドウが行くのが一番なのだ。

横を向いたままのソーマに手を伸ばして、リンドウはその身体を抱き寄せる。
腕の中一瞬硬直した身体から力が抜けて、小さな、責めるような声が届く。


「お前は、何も分かってねえ」
「分かってるって。大丈夫だ、ソーマ」


そう言って宥めるように軽く背を叩けば、「馬鹿野郎」という小さな呟きが聞こえて来る。
縋るようにリンドウの服を掴むソーマの手が、多くを語らないソーマの想いを表わしているような気がした。
心配してくれる事は嬉しいと思う。
正直言えば、どんな目を向けられるのか、何を言われるのか、気にならないと言えば嘘になる。
だがそれでも、こんな風に心配してくれるソーマの前でそれを言う訳にはいかなかった。
さっさとお仕事を終わらせて、帰って来るかと思い、腕の中の存在を強く抱き締める。
苦しいのか己の腕の中、身を捩るソーマに気付かない振りをして、腕の中に確かにある存在を実感していた。
大切だと思う存在が傍に在る限りは、何だって出来る気がするから不思議だった。
どちらにしろ、いずれは通らなければならない道。
アラガミ化した右腕と付き合って行くのならば避けられない道なのだから。
ならば、さっさと済ませてしまうに限る。
いい加減放せ、と腕の中から抗議の声を上げるソーマを無視して、リンドウはその存在を確かめるように何も言わずに抱き締め続ける。
解放する気がないと悟ったのか、ソーマが溜息を吐き出して、諦めたように身体の力を抜くのが分かった。

一週間後。
朝食を終えて、任務の準備をするソーマの部屋の扉をノックする音が響く。
訝しく思いながらもソーマは扉を開いた。
扉を開いたまま、呆然と立ち尽くすソーマを見て、リンドウは苦笑して部屋の中へと入る。
我に返ったのか、扉を閉めて近付いてくるソーマが言葉を紡いだ。


「お前、今日遠征じゃなかったのか」
「それがな、雨降っててなあ」
「――は?」
「雨でヘリが飛ばないから、今日の遠征は中止だそうだ」


そう告げて、リンドウは苦笑する。
装甲車で行ける範囲ならば、天候など関係ないのだろうが、流石にヘリは雨だと飛ばないらしい。
小雨程度ならば良いのだろうが、結構激しく雨が降っているのだ。
今まで遠征の時に雨が降った事がなかった為、雨でヘリが飛ばない、というか飛べないという状況に皆が驚いていた。
それもそうだろう。
リンドウ自身、雨で任務が中止になるなんて経験は、神機使いになって始めてなのだから。

しばらく驚いたようにリンドウを見ていたソーマが、あからさまにほっとしたように溜息を吐き出すのが見える。
やっぱりまだ心配してたのかと思い、リンドウは微かに笑って、ソーマに向かって手を伸ばした。
その手を避けて、ソーマは扉へと向かって歩き出す。
避けられた事を少し残念に思いながら、リンドウはその背に向かって声を掛けた。


「任務か?」
「ああ。こっちは雨だからって中止にはならないからな」
「んじゃ俺は、休ませて貰うかね」


言いながら、ソーマのベッドへとリンドウは横になる。
それを見て溜息を吐き出して、ソーマは部屋を後にした。
珍しく「出て行け」と言われないなと思いながら、リンドウはアラガミ化した右腕を上げて眺める。
今回は雨でヘリが飛ばず、遠征は中止にはなったが、いつかは行かなければならないだろう。
その時、この右腕を見た者達は一体どんな反応をするのか。
異質なモノを見る目を向けられた時、自分は何を思うのか。
此処、極東支部の仲間達のように、以前と変わらずとはいかないだろう。
だが、この右腕とこの先も付き合って行くのならば、避けては通れない道だ。

しばらく右腕を眺めて、リンドウは目を閉じる。
此処からでは雨の音は聞こえない。
外を見る事も出来ないから、雨が降っているのかも分からない。
雨はまだ降り続いているのだろうか。
だとしたら、任務に行ったソーマはきっと濡れて帰って来るだろう。
きっと思いっきり嫌がられるだろうが、帰ってきたら温めてやろうと思いながら、リンドウは眠りへと落ちていった。



END



2011/06/30up