■温もり
そろそろ寝るかと思いリンドウはビールを飲み干して、ソファーから立ちあがる。
寝台の脇まで移動した瞬間、扉が開く音がして、誰だと思い見れば、ふらふらと覚束ない足取りでソーマが室内へと入ってきた。
その様子を見た瞬間、何があったのか察する。
寝台の脇に立つリンドウの傍へと近付いてきて、そのまま力を失ったようにリンドウへと倒れ込んだ。
「おっと」
予想していたとは言え、電池が切れたかのように倒れるソーマの身体を、どうにか抱きとめる。
苦しげに荒い呼吸を繰り返すその身体は、異様に熱い。
やっぱりと思い、リンドウは溜息を吐きだす。
任務中に、怪我を負ったのだろう。
決して軽いとは言えない怪我を。
大概の怪我は、翌日には治ってしまう体質のソーマは、怪我をしても放置しておく事が多い。
軽い怪我の場合はそれでも良いが、それなりの怪我を負った場合、こんな風にソーマは高熱を出す。
痛みもあるらしく、怪我を修復する為か眠るソーマは眠っているにも関わらず苦しげに荒い呼吸を繰り返す。
身体の熱さに驚いたのはもう、随分と昔の話だ。
そんな時、こうして無意識にリンドウの部屋を訪ねるようになったのは一体いつからだったか。
それまでは、ただ一人部屋で、痛みと熱に耐えていた。
それに気付き、あれこれと世話を焼くようになって、そのうちこんな風に無意識にリンドウの部屋を訪ねるようになった。
一人で耐えているよりはマシだと思うが、いくら翌日には治るとは言え、ろくに手当てもしないままってのはどうかと思う。
痛み止めだって処方して貰えるのだから、そうすればもっと楽にやり過ごせるだろうに。
何度言ってもソーマは何もしないで翌日になるまでただじっと耐える。
翌日には殆どの怪我は何もなかったかのように治るから、誰もソーマが怪我を負った事にさえ気付かない事が多い。
今回も知っているのは恐らく、リンドウだけだろう。
頼る事も甘える事も知らない子供だった、出会ったころのソーマは。
最初は、誰も寄せ付けない雰囲気を纏うソーマを扱い難いと思ってもいた。
大体の話は姉であるツバキから聞いてはいたが、リーダーとなって閲覧出来る情報が増えて。
そうして詳しく知ったソーマの生い立ち。
彼の生い立ちを思えば、頼る事も甘える事も知らないのは仕方のない事だと分かる。
出会ってから6年という歳月を掛けて、やっと此処まで来たのだ。
出来れば、こんなになる前に声を掛けてくれればと思うが、無意識とは言え、これが精一杯の甘えである事も分かっているから、仕方がないかと思う。
「子供だった頃は簡単に運べたんだけどな。流石に今は簡単にはいかないな」
よっと声を掛けて、直ぐ脇の寝台に倒すようにして横にならせる。
寝台の脇に立っているときに来てくれて良かったと思っていた。
まだ子供と言える年齢の時は、今ほど身長も高くはなかったから、運ぶのもそれ程苦労はしなかったが、流石に170pを超える身長の男を運ぶのは、出来ない事はないかもしれないが、簡単にはいかないだろう。
今日もしっかりと仕事があったのだから、体力的にそれ程余裕もないから尚更だ。
寝台に横になって、何かに耐えるかのように丸まって眠る姿を見て溜息を吐きだす。
仕事へ行ったままなのだろう、普段見る服のままで、寝苦しいだろうとは思うが、怪我の具合が分からない状態でやたらに動かすのもどうかと思う。
あちこちについている血は、一体何処から流れたものなのか。
ソーマ自身のものかそれとも――それさえも分からない状態で、リンドウに出来る事などあまりない。
せめてと思い、被ったままのフードを取れば、ソーマは僅かに身じろぐ。
けれどその程度で目を覚ます事がない事も分かっていた。
髪は汗で濡れて張り付いていて、恐らくは着ている服も汗で濡れているのだろう。
張り付く髪を払って、額に手を当てれば思った通り熱くて、思わず眉をひそめる。
しばらく考えて、リンドウは部屋に備え付けてある冷蔵庫の中からペットボトルに入った水を取りだした。
「おい、ソーマ。起きろって」
肩を揺すって起こせば、ソーマは薄らと目を開く。
完全に目が覚めた訳じゃないのだろう、声を発する事もなく、呆然とリンドウを見上げていた。
ほら、と水を差し出せば、しばらくそれを見ていたソーマはゆっくりと上半身を起こす。
何も言わずにそれを受け取って、勢いよく飲み干した。
その様子からやはり喉が渇いていたのだろうと思う。
あれだけ汗をかけば無理もないが。
空になったペットボトルを無言でリンドウに押しつけて、ソーマは再び寝台の上で丸くなる。
先程より幾分か呼吸が落ちついた気がしてほっとするが、それでも額に触れてみればまだかなり熱い事が分かる。
どうにかしてやりたいと思っても、どうする事も出来ないのだ。
「俺は今日、ソファーで寝るのか?」
はあ、と溜息を吐きだす。
一人用の寝台に177pと182pの男が二人で眠るのはいくらなんでも無理だ。
ぴったりとくっついて眠ればどうにかなるかもしれないが、それは流石にどうかと思う。
恐らく、この部屋に来た事を覚えていないだろうソーマが、明日の朝目が覚めた時驚く事は分かるから。
隣になど寝ていたらどうなるか分かったもんじゃない。
そんな事を思いながら、寝台の端に腰を下ろしてただじっと眠っているソーマを見下ろす。
汗で濡れている髪に触れて、梳くように撫でた。
いつだっただろうか。
保護者的な立場で見ていたはずのソーマに対して、別の感情を抱いている事に気付いたのは。
いつの間にか抱いていた感情を、伝えるつもりはない。
伝えても理解されない可能性の方が高いというのもあるが、そう言った感情に疎いソーマに、自分の感情を押しつける気はない。
いつの日か、自然とそう言った事を理解出来る日が来るだろうから。
ただ、その時自分は――こんな風に傍に居られるのだろうか。
出会った当時、子供と言っていい年齢のソーマの瞳には諦めと絶望の色が見えて。
態度も、そして戦い方も、何もかもが12歳の子供のモノとは思えなくて。
放っておけなかったのだ。
それまで、周りにいた大人たちが、ソーマを人として扱っていなかったせいか。
自分以外の全ての人を拒絶しているように見えた。
いつでも被っているフードが、周りを拒絶するためのモノに見えた。
そんな状態だから、人に頼る事も甘える事も、するはずもなくて。
そもそもそんなことさえ知らなかったのだ。
今でも人を拒絶しているのは変わらないけれど、それは、あの頃とはまた別の意味に変わっている。
今は、自分に関わる事で仲間が死ぬ事に耐えられないから、最初から関わらないようにしているだけだ。
それが分かっていながら俺は――。
覚悟はしている。
探っている事が事だから、いつどうなっても可笑しくはない。
リンドウが動いている事など、向こうは知っているだろうから。
だから、覚悟だけはしている。
ただ、気がかりなのは。
自分に何かあったらまた、ソーマが色々言われるだろうと言う事。
こんな風に無意識とは言え、誰かに甘える事もなくなるかもしれないと言う事。
自分以外の誰かに甘えて欲しい訳じゃないが――自分が居なくなった後の事を考えたら、他の誰かにと思わずにいられない。
だから、新しく配属された新型神機適合者のあいつに、仲間になれと頼んではおいた。
あいつなら、傍に居てくれるだろうと思ったから。
出来る事ならば、自分自身がずっと傍に居てやりたいと思う。
出来る限りそうするつもりではいるが――正直今関わっている事を考えると、絶対にとは言えない。
人に託さなくてはいけないもどかしさがあっても、それでも生きて欲しいと思うから。
だから、託す。
不本意だが、仕方がない。
生き延びてくれるのならば、それでいいと思っていた。
自分が居なくなった後も、どうか生き延びてくれと、それだけを祈る。
その為ならば、もどかしかろうが悔しかろうが、何だってするつもりでいた。
こんな風に眠るソーマを見る機会は、あとどのくらいあるのか。
それでも、もう止まる訳には行かない。
自分は、それをすると決めたのだから。
たとえ二度と触れるどころか、会う事さえ叶わなくても。
それでも――決めたのだから。
「さてと、俺も寝るかね」
今のソーマにリンドウがしてやれる事は何もない。
ただそれでも。
何かあったら直ぐに目が覚めるように、浅い眠りにつく事にする。
朝まで何事もなく過ぎるだろうとは思っているがそれでも。
万が一何かあった時には、出来るだけの事はしてやりたいと思うから。
とは言え、明日も仕事がある状態で全く眠らない訳にはいかない。
そんな状態で任務へと行けば、自分以外の仲間を危険に晒す事にも繋がるのだから。
ソーマが来る少し前まで座って飲んでいたソファーにもう一度座り、リンドウは目を閉じる。
誘われるままに、浅い眠りへと落ちていった。
目が覚めて、違和感にソーマは視線を巡らす。
自室では感じるはずのない、嗅ぎ慣れた煙草の匂いを感じて、ソーマは寝台の上に半身を起こした。
「お、起きたか」
「――ああ」
途端に聞こえてくる、この部屋の主であるリンドウの声。
その声に普段通りそっけない返事を返しながらも、ああ、やっぱりと思っていた。
いつ頃からだったか。
怪我を負った日には、こんな風に無意識のうちにリンドウの部屋を訪ねるようになっていた。
以前は、リンドウが勝手にソーマの部屋に押し掛けて来ていたのだが、それも毎回必ずと言う訳にもいかない。
リンドウがソーマの怪我を知らない場合もあるからだ。
翌日には殆どの怪我は治る。
だが、怪我を修復する為にはそれなりの苦痛も伴うのだ。
発熱し、朦朧とした頭で、リンドウの部屋を訪ねたのは、いつが一番最初だったかなんてもう、覚えちゃいない。
最初は本当に驚いたが、今は……多分朝には此処に居るだろうとは思っていたからそれ程驚く事はない。
無意識の間の行動まで制御出来るはずもないのだから、どうしようもないのだ。
「お前ね、手当てくらいしろっていつも言ってるだろ」
言いながらリンドウが近付いてくる。
寝台の脇に立って、ソーマを見下ろして、そして――何処怪我したんだと言いつつ、リンドウの手がソーマへと伸びる。
その手から逃れながら、ソーマは言葉を紡いだ。
「やめろ」
「全く。あんまり心配させるな」
そのリンドウの言葉にソーマはぴたりと動きを止める。
その隙に、リンドウの手がソーマの頭へと乗せられた。
軽く頭を叩いて離れて行く温もり。
思わずそれを目で追ってしまい、ソーマは慌てて視線を外す。
悪いとは思っているのだ。
それでも、熱で朦朧とした状態の自分は、無意識のうちにこの部屋へと来てしまう。
何故此処に来るのか、それさえも分からない状態なのだからどうしようもないのだ。
「もう、大丈夫なのか」
「なんともねぇ」
「なら、風呂に入って着替えた方がいいぞ。その格好は流石にな」
言われて視線を落とせば、服のあちこちには血が飛び散っていて、その上何ヵ所か破れてもいた。
リンドウの言う通り、このままで任務に行く訳にはいかないだろう。
服の替えは、一応一着くらいなら部屋に置いてある、はずだ。
なければ作らなければならないが、素材はあっただろうかと思う。
そんな事を思いながら寝台から下りて、この部屋を後にする為に歩き出す。
扉の前で立ち止って振り返って――そして、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で何事か告げて、ソーマはリンドウの部屋を後にした。
耳に届いた言葉に、リンドウは微かに笑う。
『――悪い』
簡潔に、けれど躊躇いがちに告げられた言葉。
心配させるなと言ったリンドウの言葉に対してのモノだろう。
出会った頃には考えられなかったな、とリンドウは思う。
ソーマが出て行った後も、しばらく扉を見つめたまま思う。
出来る事ならばずっと傍に――その為にも、足掻くつもりではいるが、正直どうなるか分からない。
昨夜腕に抱きとめた温もり。
いつの日かそれを、この腕に抱く事が出来るのだろうか。
それとも、もう二度と触れる事さえ叶わないのか。
その答えが出るのは、もう直ぐ――。
END
2010/05/26up