■この日常がずっと

夕方と言うには少しばかり遅い時間。
陽は落ち、空は既に茜色から濃紺へと姿を変えつつあった。
そんな中、アナグラへと帰還する姿。
その姿を視界に収めて、ヒバリは声を掛けた。


「ソーマさん」
「……なんだ」


呼び止められ立ち止り、不機嫌そうな短い言葉をソーマは返す。
けれどそれはいつもの事なので、ヒバリは大して気にした風もなく、言葉を続けた。


「ミッション、リンドウさんと一緒でしたよね?」
「ああ。リンドウなら先に戻って居るはずだが」
「……やっぱり、避けてますね、リンドウさん」
「……おい、まさか」
「その、まさかです」
「またか……」
「先日のミッションの報告書に不備があったんで、直して至急再提出して下さいとお願いしたんですけど」
「分かった。言っておく」
「お願いします」


そう言って頭を下げるヒバリに対しソーマは答えを返す事はなくて。
けれど、それでもソーマがきちんとリンドウに伝えてくれる事を知っている。
伝えてくれるだけじゃない事もまた、知っているから。
デスクワークが苦手と言う訳ではないようだけれど、リンドウはあまりデスクワークが好きではないようで。
こういう事が割と良くあるのだ。
サクヤに頼んだ事もあったけれど、上手くいかず。
たまたま、一緒のミッションだったソーマに頼んで――ソーマがリンドウを引きずるようにしてヒバリの元へと連れて来て無事報告書を提出してくれてから、ソーマに頼むようにしていた。
今では全部を言わなくとも分かる程度には、同じようなやり取りを繰り返している。
きっともうしばらくすれば、ソーマに引きずられるようにしてリンドウがやってくるだろうから。
去っていく背を眺めて、ヒバリは安堵したように息を吐きだした。

自室の前で、しばしソーマは逡巡する。
一度自室に戻ってから行くかそれとも――。
溜息を吐きだして、そのままソーマはリンドウの部屋へと向かった。
ノックをすれば「開いてるぞ」といつも通りの声。
無言でソーマはリンドウの部屋の扉を開いた。


「お、ソーマ。今帰ってきたのか?」
「……報告書」
「――あ、」
「さっさと書け」


それだけ言ってソーマは何も言わずに部屋の中へと入って行って、ソファへと腰を下ろす。


「なんだよ。珍しくソーマが俺の部屋訪ねて来たと思って喜んだのになあ」


言いながら仕方なさそうに報告書を書き始めるリンドウを眺めて、ソーマは溜息を吐きだした。
決して出来ない訳ではないのに、何故やらないのかと思う。
まあ、確かに面倒な作業である事は認める。
ソーマ自身もデスクワークはあまり好きではなかった。
だから、分からないでもないが、こう毎回だと流石に溜息しか出ない。
そもそも何故自分は、此処までしているのかとも思っていた。
最初にヒバリに頼まれた時、あまりにも困った様子だったため断れなくて。
恐らくはあれが原因だろう。
オペレーターという立場故だろうが、彼女はソーマに対しても普通に接してくる。
だから、断り切れなかったのだ。
関係ないと、突き放す事が出来なかった。
その結果が、これ。

考え込んでいたソーマの耳に、ペンを置く音が届く。
リンドウが報告書を書き終わったのだと分かった。
報告書を書き終えて、ビールへと手を伸ばすリンドウの手を素早く掴む。
そうして立ちあがらせて、ソーマはリンドウを引きずるようにして歩き出した。


「ビール一本くらい飲ませてくれって」
「終わらせてから飲めばいいだろ」


尚も、ビール一本くらいと言い続けるリンドウを無視して、ソーマはリンドウをヒバリの元へと引っ張って行った。


「ありがとうございます。ソーマさん」

構わないと告げて立ち去ろうとしたソーマの腕を、リンドウが掴む。


「なんだ」
「ちゃんと報告書書いたんだから、付き合えって」
「さっさろやらないからだろうが!」
「そう言わずに付き合えって」
「いいから、離せ!」


先程とは逆に、今度はリンドウがソーマを引きずるようにして歩いて行く。
いつもの光景にヒバリは微かに笑っていた。
こんな光景がこれから先もずっと続けばと、そう願いながら。

リンドウに引きずられるようにして結局また、リンドウの部屋へと戻ってきたソーマは、仕方なさそうにソファへと腰を下ろす。


「ソーマはビール飲めないんだよなあ。なに飲む?」
「何でもいい」
「お前ねえ。何でもいいって、いつもそうだよなあ」
「無理矢理連れて来るからだ」


はいはい、と適当な返事をして、リンドウは珈琲を淹れる。
そうしてソーマの前に置いて、リンドウもソーマの隣に腰を下ろした。


「何で此処に座るんだ」


他に空いている場所があるのに、わざわざ隣に座る必要はないだろうとソーマは思う。
まあまあ、と適当な返事をするばかりで、リンドウは明確に答える事はない。
人と常に距離を置くソーマに此処まで近付くのは、リンドウくらいだ。
その事に対して浮かぶ感情を押し込めるように、ソーマは珈琲を飲んだ。

望んでも、得られない事は分かっている。
欲しいと思ったモノを、与えられた事などないのだから。
傍に常に誰か居ても、誰一人としてソーマを見ていた者は居ない。
研究対象としてしか見てはいなかったのだから。
父親である支部長も、アラガミを屠る為の道具くらいにしか思っていないのだろう。
アラガミを殲滅する為に存在するのだと、はっきりとソーマに告げたくらいなのだから。
過去のそれらの記憶が、近付いて来る者を遠ざける。
距離が近づけば、望んでしまいそうになるから。
けれどきっと、望んでも手にする事は出来ない。
望んで得られなかった時の絶望を知っているからこそ、望む事も手を伸ばす事も出来ない。
だから、ソーマに対するリンドウの距離が――近すぎる距離に、戸惑う。
無言で珈琲を飲むソーマの隣で、同じようにリンドウが無言でビールを飲む。
それは、日常と言っても良い程度には見られる光景で、ずっとこんな日々が続けばと思ってしまう。
望んでも得られないと知っているのに――それでもと思う自分に内心で自嘲していた。
もう一本飲むつもりなのかテーブルの上に置いてあるビールの缶に、ソーマは無言で手を伸ばす。


「なんだ、飲みたいのか?」


それに明確な答えを返すことなく、ソーマはビールの缶を開けた。
一口飲んで、眉を潜める。
何故こんなものをリンドウは好んで飲むのか、ソーマには分からなかった。
それでも今は――飲んで寝てしまいたい気分だった。
此処がリンドウの部屋だとかそんな事もう、どうでもいい。
どうせ得られないと分かっているのに、手を伸ばしたくなるから。
だからもう、何も考えずに寝てしまいたかった。
部屋に戻ればきっと色々と考えてしまうだろうから。
ソーマのリンドウに対する距離は、他の者に対するモノとは違い、かなり近いとソーマはまだ気付いていなかった。
ソーマ自身は距離を置いているつもりでいるのだから。

嫌そうに、ビールを飲むソーマをリンドウは何も言わずに眺める。
そんなに嫌なら飲まなければいいと思うが、何か思う事があるのだろう。
ソーマは決して多くを語らない。
それでも、それなりに長い付き合い故に、あまり良くない事を考えているのだろうと言う事は分かった。
小さく溜息を零して、リンドウはビールを飲み干す。
見れば、ビールの缶はテーブルの上に置かれていて、ソーマはソファに深く沈みこんで、眠りへと落ちていた。
テーブルに置かれた缶を手に取ってみればそれは、まだ半分以上残っている。
この程度で酔うのかと思い、リンドウは声を立てずに笑った。

フードを外して現れた髪を掻きまわすように撫でる。
鬱陶しいのか、眉間に皺を寄せて、髪を撫でるリンドウの手をソーマの手が払う。
それでも起きる気配がない事に、リンドウは再び声を立てずに笑った。
ビールを飲んだとはいえ、こんな風にリンドウの部屋で無防備に眠ってくれるだけまだ良いのだろう。
それだけ、ソーマとの距離を縮める事は出来ているのだと分かる。
けれどこれ以上は――難しいのかもしれない。
ソーマの生い立ちを、「死神」と呼ばれる原因となった事を知っているからこそ、難しい。
何も知らない方が躊躇いなく踏み込めるだろうから。
だから――もうすぐ入ってくると言う新人に、期待していた。
何も知らない新人ならば、もしかして、と。
このアナグラの中で恐らくはリンドウが一番ソーマに近い場所に居るだろう。
出来る事ならばずっと傍に――けれどきっとそれが叶う事はない。
それでも思う。
この日常がずっと続けば、と。

ソーマが飲みかけたビールを飲み干して、リンドウは眠っているソーマに寄りかかる。
この状態で寝たらきっと、明日の朝起きて相当怒るだろうと思いながら。
重いのか身じろぐソーマを見て、それでも起きる気配がない事を確認して、目を閉じた。
互いに寄りかかるようにして、互いの温もりを分け合って、眠る。
この日常がずっと続けばと――叶わないと知りつつ、願いながら。



END



2010/10/16up