■移り香
エントランスへと行き、オペレーターのヒバリにミッションの確認をする。
自分でミッションを受注する時もあるが、最初からメンバーが指定されているモノもある。
どうやらメンバーが指定されているミッションがあるようで、ソーマは自分以外の名前を確認して小さく溜息を零した。
恐らくはこのミッションはリンドウがメンバーを決定したのだろう。
コウタとリンドウ、そしてソーマの三人でのヴァジュラ討伐。
ヴァジュラ以外にコクーンメイデンが居るようだが、ソーマ独りでも問題のないレベルのミッションだった。
まだ入って間もないコウタを補助する為だろう。
通常ならば、独りかせいぜい二人で受ける程度のミッション。
ただ、新人と共にミッションに出る場合は、補助出来る者が多い方が良いのは確かだった。
もう一度溜息を零して、ソーマは出撃ゲートへと向かう。
先にミッションを確認して居たらしいコウタが、ソーマを見て名を呼んだ。
「ソーマ。一緒のミッションだろ? よろしくな」
近付いてきてそう告げる。
「ああ」と短い返事を返せば、大して気にした風もなく、リンドウさん遅いなと更にコウタは言葉を続けた。
そろそろ来るだろうと、内心で思う。
けれどそれを口に出す事はなかった。
そんなソーマの耳に、コウタの怪訝そうな声が届く。
「あれ? ソーマって煙草吸ったっけ?」
「……吸わない」
「だよなあ。何でソーマから煙草の匂いするんだ? そう言えばこの匂い何処かで――」
そこまで言ってコウタは考え込む。
ソーマから煙草の匂いがする理由を、もちろんソーマ自身分かっていたが、知らない振りをする事にする。
ヘビースモーカーと言って良いリンドウの服にも部屋にも、煙草の匂いは染みついてしまっているから。
その部屋で長時間過ごせばどうしても匂いが移る。
まして、共寝したのだから尚更だ。
早目に起きてシャワーを浴びたが、染みついたそれは取れなかったようだ。
いつもなら、朝から誰かと共にミッションに行く事は殆どない。
あったとしても現地で集合する事が殆どで、わざわざアナグラからソーマと共にミッションに行く者など居ないから。
だから、他の者に分かる程に香りが移っているなんて、分からなかったのだ。
ソーマが小さく溜息を吐きだす。
途端に響いた声に、ソーマとコウタはそちらへと視線を向けた。
「悪い。待たせた」
丁度良いタイミングで、リンドウがその場に現れた。
「遅いですよ、リンドウさん。――って、あれ?」
「ん? どうした?」
「これ、リンドウさんの煙草の匂い?」
言いながらコウタはソーマへと視線を投げる。
フードを目深に被ったまま、ソーマはその視線に気付かない振りをしていた。
「なんだ? 煙草の匂いがどうかしたか?」
「ソーマからリンドウさんの煙草の匂いがするんですけど」
「あー、それか」
言いながらリンドウはちらりとソーマへと視線を向ける。
目深に被ったフードの下からリンドウを見据えて、ソーマは余計な事を言うなと視線で告げていた。
とは言え、一体どう誤魔化せばいいのかとリンドウは思う。
と言うよりも、この状況で気付かないコウタも大概だと思っていた。
朝一番と言っていいこの時間に、ソーマからリンドウの煙草の匂いがするというのがどういう事なのか。
考えれば答えは一つしかないだろうに。
苦笑して、視線を巡らす。
コウタは答えを待っているのかじっとリンドウを見ていて、ソーマもまた鋭い視線をリンドウへと向けていた。
「取り敢えず、ミッション行くぞ」
「あ、誤魔化した」
コウタの抗議するような言葉は聞こえない振りをして、リンドウは出撃ゲートをくぐる。
それに続いてソーマもそしてコウタも、出撃ゲートをくぐった。
コウタがヴァジュラに対峙するのは、今回が初めてだった。
無事にミッションを終え、三人はアナグラへと帰還する。
アナグラへと戻って、エントランスに居た仲間達と話し始めるコウタを横目に見て、ソーマは自室へと足を向けた。
自室に向かうソーマを、リンドウが呼びとめる。
後でリンドウの部屋へと来るようにと告げれば、ソーマは一瞬躊躇った後頷いた。
そうして、去っていく背を眺めて、リンドウはミッションの報告をする。
今日はこれでリンドウもソーマも夕方までミッションの予定はなかった。
報告を終えてリンドウは自室へと向かう。
自室に入りしばらく待てば、扉をノックする音が聞こえた。
返事をするまでもなく扉は開いて、ソーマがリンドウの部屋へと入ってくる。
入口付近に佇んだまま、それ以上中へと入って来ないソーマを見て、リンドウは訝しげに声を掛けた。
「どうした?」
「用はなんだ」
「特に用がある訳じゃないんだけどな。良いからこっちに来いって」
「用がないなら戻るぞ」
「ちょっと待てって」
部屋を出て行こうと踵を返すソーマを、リンドウは慌てて引き留める。
いつもならば用がなくともソーマはリンドウの部屋で特に何をする事もなく過ごす。
それなのに何故今日は出て行こうとするのか。
ソーマの腕を掴み引き留めて――引き留められて不機嫌そうな表情でリンドウを見るソーマを見つめる。
「どうしたんだ、一体」
「……放せ」
睨むようにリンドウを見据えて、ソーマは簡潔にそれだけを告げる。
「ミッションは夕方までないはずだろ? 何か用事でもあるのか?」
「……いいから放せ」
言いながらどうにか掴まれている腕を外そうとしてみる。
ミッションの前にコウタがあんな事を言わなければ、恐らくソーマには分からなかっただろう。
それ程に、この部屋に馴染んでしまっていたし、同様にこの部屋やリンドウに染みついているこの匂いにも馴染んでいた。
だから分からなかったのだ、コウタに言われるまで、他人から分かる程に匂いが移っている事に。
分かった以上、そのままでは居られない。
ソーマと共に在れば、リンドウの印象も悪くなる可能性がある。
自分が何を言われようとどうでもいいが、自分のせいでリンドウが色々言われるのは、嫌だった。
ソーマには、聞きたくなくとも聞こえてしまうから、尚更だ。
そんな事をリンドウに言うつもりはないが。
腕を掴んでいるリンドウの手を引き離そうとするソーマを見下ろして――掴んでいる腕を引き、その身体を腕の中に捕える。
逃がさないとばかりに、腕に力を込めれば、一瞬腕の中でその身体が強張り、諦めたようにソーマの身体から力が抜けた。
「お前は……いいのか」
何が、と思いリンドウは腕の中のソーマを見下ろす。
俯いたまま身じろぎさえしないソーマをしばらく眺めて――リンドウは朝の出来事に思い当った。
ああ、そうか。と思う。
何を気にしているのか、それに思い当れば先程からのソーマの行動にも納得がいった。
「言いたい奴には言わせておけばいい」
的確に、ソーマが気にする事を悟って、そうリンドウは告げる。
びくり、と腕の中のソーマの身体が震えて、俯いていた顔が上げられた。
じっと睨むようにソーマはリンドウを見据える。
しばらくじっとリンドウを見ていたソーマは、諦めたように溜息を吐いた。
そうして、しっかりと身体に回されているリンドウの腕を強引に解き、無言でソファの方へと歩いて行く。
どうやら納得したらしいと思い、リンドウはソファに座るソーマを眺めて、微かに笑った。
微かに笑いながら近づいてくる男を眺めて、心配して損したとソーマは思う。
けれど、安心したのも事実で。
今更もう、手放す事なんて出来ないのだ。
にやにやと性質の悪い笑みを浮かべてソーマの隣に腰を下ろす男を眺めて、こういう奴だったなそう言えばと思う。
当たり前のように肩に回される腕を乱暴に振り解いて、ソーマは本当に微かに笑う。
今更だな、と改めて思っていた。
その存在が隣に在るのが当たり前で、この部屋にも服にも染みつく匂いにさえ馴染んでしまっているのだから。
乱暴に振り解いたはずの腕がソーマの腕を掴み、引き寄せる。
今度は、抵抗する事なく、引き寄せられるまま身を任せた。
END
2010/10/26up