■再び始まる日常

先程までの喧騒が嘘のようにエントランスは静まり返っていた。
リンドウとユウトが帰って来た事で先程まで此処は、歓迎ムードで賑やかだった。
やっと皆が部屋に戻った今、この場に残ったのはリンドウとソーマ、そして疲れきってぐったりとソファに沈み込んでいるユウトだった。


「おい、大丈夫か。こんなところで寝るなよ」
「大丈夫、って言いたい所だけど流石に疲れた」


ソファに沈み込んだまま目を閉じてそう返したユウトに、ソーマは溜息を吐き出す。


「何をしたんだ」
「何って、アラガミ退治?」
「それでそんなに疲れるか?」


アラガミ退治ならば、普段の仕事と変わりはない。
通常の仕事の延長みたいなものだろうと思ったらしいソーマの疑問に、ユウトは溜息を吐き出して答える。


「……スサノオにウロヴォロス、そんな奴等ばっかり相手にしてた人に言ってくれるかな」
「あー、悪かったな」


ずっと黙っていたリンドウが、苦笑を浮かべて答える。
リンドウとユウトが戻って来るまでの間に何があったのか、ソーマは知らなかった。
何があったんだと言わんばかりにリンドウとユウトを見るソーマを見て、説明するのが面倒だなと思ったユウトはリンドウへと視線を向けて言葉を紡ぐ。


「そう言えばリンドウさん、今日何処で寝るんですか?」
「ソーマの部屋に泊まる予定だ」
「勝手に決めるな。俺は許可してねえ」


戻って来たばかりのリンドウの部屋はまだ決まっていない。
第一部隊のリーダーにはユウトが既についているし、他の部隊の隊長も空きがない。
リンドウの実力を考えれば部隊長にしない訳にはいかなくて、その調整がまだついていないのだ。
その為、部屋はまだ決まっていない。


「俺の部屋にリンドウさんの私物があるんで、部屋が決まったら取りに来て下さいね」
「ああ、分かった。ま、俺はずっとソーマの部屋に居ても良いんだけどな」
「許可してねえって言ってるだろ」
「さっきは仕方ねえなって言っただろう、ソーマ」
「あー、痴話喧嘩は後にして貰えませんか?」


リンドウの言葉に反論しようとするソーマを遮って、ユウトは疲れたように告げる。
本当に疲れているのだ。
出来る事ならば此処でこのまま寝てしまいたいと思うくらいには。
「悪い、悪い」と言うリンドウを見て、ユウトは溜息を吐き出す。
そうだ、と思い付いて、微かに笑ってリンドウの名を呼んだ。


「そうだ、リンドウさん」
「ん? なんだ」
「ご褒美くれませんか?」
「……何が欲しいんだ?」


リンドウのその問いにユウトは微かに笑って――性質の悪いその笑みに、リンドウは嫌な予感がする。
ちょっと待て、とユウトを制止しようとするがそれは間に合わなくて。


「ソーマを下さい。俺に」


静まり返ったエントランスに、ユウトの声が響いた。
そのユウトの言葉に、ソーマは驚いたような顔をしていて。
珍しいモノを見たなとユウトは思う。
ソファに座り込んだまま、驚いたようにユウトを見ているソーマに向かって手を伸ばして。
その手がソーマに届く前に、リンドウの声が響いた。


「駄目だ」


その言葉と共に、ソーマをユウトから引き離すかのように、しっかりと腕の中に捕えて、リンドウはユウトを見据える。


「えー、何が欲しいって聞いたのリンドウさんですよ?」
「欲しいモノをやるとは言ってないだろ」
「欲しいモノ貰えなかったらご褒美にならないじゃないですか」


大変だったんですよ、とユウトはソファに座ったままリンドウを見上げて主張する。
大変だったのは認めるし、感謝もしているが、それとこれとは別だとリンドウは告げる。


「他のモノにしろ、他のモノに。とにかく、ソーマは駄目だ」
「何でですか」
「お前、本気か?」


そのリンドウの問いにユウトが答えようとした瞬間。
リンドウの腕に捕えられていたソーマが強引にリンドウの腕から逃れて、怒りも露わに二人を見据える。


「勝手にやってろ」


それだけ言い捨てて、ソーマは独りエントランスを後にする。
エレベーターに乗り込んで、その姿は完全に見えなくなった。


「追わなくて良いんですか? 部屋に入れて貰えませんよ、あの調子だと」
「だろうな。だが、それよりお前に聞きたい事がある」
「何ですか」
「本気なのか」
「そうだって言ったらどうします?」


挑発的な視線を、ユウトはリンドウへと向ける。
その視線を難なく受け止めて、リンドウは笑みを浮かべて告げた。


「悪いな。譲る訳にはいかないんでね」
「……それなら奪えば良いって事ですね」
「出来るモノならやってみろ」


本気の声と本気の視線。
それを受けて、流石だなとユウトは思っていた。
スサノオやウロヴォロスを独りで倒すだけの事はある、と。
万が一本気のリンドウと対峙することになっていたら……敵わなかっただろう。
それに、これならば――今度こそもう大丈夫だろうと思う。
独り夜空を見上げるソーマなんてらしくないモノを見る事も、ないだろう、と。


「――冗談ですよ」
「なら、良いけどな。ま、ビールくらいなら奢ってやるぞ」
「要りません。どうせなら食事にして下さい」
「何だ、お前もビール飲めないのか」
「飲めますけど、要りません。……それより、行かなくて良いんですか?」
「お前を独り此処に置いて行く訳にもいかないからな」
「俺なら大丈夫です。単に疲れてて動きたくないだけなんで、少し休んだら部屋に戻りますよ」


だから、行ってくれと告げる。
しばらく考えて、リンドウはエレベーターに向かって歩き出した。
エレベーターの手前で振り返って、告げる。


「ちゃんと部屋に戻って寝ろよ」
「分かりました」


その言葉を最後に、リンドウの姿もエントランスから消えた。
今部屋に行けば、ソーマの部屋の前にいるリンドウと鉢合わせするし、そうなれば尚更ソーマは頑なにリンドウを部屋に入れないだろうと言う事も分かるから。
しばらく経ってから部屋に戻った方がいいと思う。
それに、本当に疲れていて直ぐに動きたくもないのだ。
少しだけ寝てから部屋に戻ろうと思い、ユウトは目を閉じる。
疲れていた身体は直ぐに眠りへと落ちていった。



案の定ソーマは鍵を掛けて部屋の中に居て、リンドウが外から声を掛けても扉が開く気配はない。
とは言え、ソーマがまだ寝ていないのはリンドウには分かっていた。


「おーい、ソーマ。開けてくれって。お前が中に入れてくれるまで、俺は此処に居るからな」


僅かに躊躇うかのような間があって、扉が開く。
視線だけでさっさと入れ、と告げられた。
中に入って辺りを見渡して、リンドウは言葉を紡ぐ。


「お前の部屋に入るのも、久しぶりだな」
「いいからさっさと寝ろ」


寝台を指されてみれば、寝台の上に無造作に置いてあったはずの古い神機は、部屋の隅に置かれていた。


「久しぶりだってのに、冷たいねえ、ソーマは」
「……お前が、居なかっただけだろ」
「悪かったって言っただろ」


言いながらそっと抱き寄せれば、抵抗される事もなく、大人しくソーマはリンドウの腕の中に収まる。
自分が居なかった間のソーマの様子を、リンドウは知らなかった。
何を思っていたのかも、どんな様子だったのかも。
ソーマ自身、どんな思いで居たのかを語ろうとはしないし。
だからなのか、傍に居たはずのユウトも、その辺りの事についてリンドウに何も言う事はなかった。
ユウトの事を思い出して、先程のエントランスでのやり取りを思い出す。
冗談だとユウトは言ったが、本当は――そこまで思い、浮かんだ思考を追い払う。
今度こそ本当にもう二度と、手放す気はない。
だからそんな事を考えるだけ無駄だと思っていた。
思考を追い払い意識を戻した途端、聞こえてきた本当に小さな声。


「もう何処にも行かないなら、許してやってもいい」


その言葉に、リンドウは肯定の返事を返した。
もう二度と、何処にも行くつもりもない。
もう二度と、この腕の中の温もりを手放すつもりはないのだから。


少しだけ――そう思ってエントランスで眠りに落ちたユウトの目が覚めたのは、辺りが明るくなり始めた頃。
早朝と言える時間に目を覚まし、ユウトはソファから立ち上がり部屋へと戻る。
そうしてもう少しだけ寝ようと、寝台へと沈み込んだ。

再び、戦い続ける日常が、始まる。



END



2010/11/07up