■夢現

目を覚まし、ぼんやりと、今日は朝一番で任務が入っていたなと思う。
どちらかと言えば寝起きが良い方ではないソーマは、目を覚ましても直ぐに起きる事が出来なかった。
しばらくぼんやりと過ごして、やっと起きようかと思う。
身体を起こそうとして出来なくて、驚く。
けれどそれは一瞬の事で、ここ最近の出来事を思い出した。
案の定、しっかりと拘束するかのように身体に回された腕の感触。
そして、嗅ぎ慣れた煙草の匂い。
溜息を一つ吐き出して、ソーマは、しっかりとソーマを抱きしめて眠る人物の名を呼ぶ。


「おい、リンドウ」
「ん? なんだ?」
「放せ。俺は朝一番で任務が入ってるんだ」
「もう少し、いいだろ」
「良くない。放せ」
「そんな事言うなよ」


言いながら更に強くソーマを抱きしめる。
アラガミ化したリンドウの手は、以前よりも力を増していて、痛いと感じる程強く抱きしめられて、ソーマは深い溜息を零した。
元々人より力があったソーマだが、今ではリンドウも変わらなくなっている。
体格差を考えたら、むしろリンドウの方が力があるかもしれない。
だから、その腕の中から自力で抜け出す事はかなり困難なのだ。
本当にいい加減放してくれ、と思う。
けれど強く出られないのは、ここに戻って来るまでの事を思えばこそだった。

ディアウス・ピターからリンドウを救ったのはシオだと言う事は聞いた。
そして、シオのお陰でアラガミ化が抑えられていた事も。
だが、シオは此処、アナグラに居て。
それ以降、リンドウはずっと独りでアラガミ化していく自分と闘っていたのだ。
ソーマも、リンドウが居なくなって色々な思いをした。
けれどそれでも、ソーマの傍には仲間が居たから。
独りではなかったのだと、リンドウが居ない日々の中で気付いた。
それまでずっと、独りだと思っていたから。
だからこそ分かる。
どれ程孤独だったのかが、分かるのだ。
分かるからこそ突き放せない。

アナグラへと戻って来てからのリンドウは、やたらとソーマに触れたがった。
リンドウの部屋は、リンドウが戻ってきた次の日には決まったが、結局三日間リンドウはソーマの部屋に泊まったのだ。
正直その三日間、ソーマは疎ましく思っていた自分の身体に感謝したい気分になった。
リンドウが泊まっていた三日間、体力の限界まで求められた。
拒めなかったのだ、まるで確かめるかのように触れてくるその手に。
何度も何度もソーマの名を呼ぶその声に。
拒む事など出来なかった。
任務を無事こなせたのは、ソーマの人並み外れた回復力のお陰だろう。

リンドウが部屋に泊まった三日間、ソーマは通常通り任務があったし、部屋の前で帰ってくるのを待たれるのが面倒で、合鍵を渡した。
その結果がこれ。
自分の部屋へと戻ったその日から、真夜中にこうしてソーマが眠っているベッドへと潜り込むようになったのだ。
最初のうちは気付いたが、それも毎日続くと慣れて、今では朝目が覚めて動けないというのが当たり前になっている。
けれどそれが、ただ独り闘い続けた日々のせいだと思えば、来るなとも言えないのだ。

あの時、リーダーが独りエイジスでハンニバル侵喰種と戦っていたあの時。
駆けつけた時には戦いは終わっていて、そして――覚悟は出来ているというリンドウの言葉を聞いた。
死ぬな生きて帰れと言い続けた男が、死を覚悟しているという事実に、何も言えなかった。
それと同時に浮かんだ感情は、憤りに近いものだったが。
ふざけるなと言えるものならば言いたかったのだ。
自分の出した命令も守れないのかと、言えるものならば言いたかった。
だが、言えなかった、何も。
アラガミ化していく恐怖も、自分が自分で無くなって行く恐怖も、分からない。
リンドウもあまり語ろうとはしないし、何か知っているらしいリーダーも、その事に関してはあまり語ろうとしなかった。
ただ一つだけ。
タツミ達を助ける為に向かった先で、リーダーはハンニバル侵喰種の攻撃を装甲で受けた。
その光景を、その場にいたソーマは確かに見ていた。
そして、あの黒いハンニバルには何かが混ざっていると、感じたのだ。
だがそれが、リンドウだとは流石に分からなかったが。
あの時、リンドウはアラガミから仲間を守る為に他のアラガミを倒して、そして――。
その後、仲間であるタツミ達へと向かって行くのを、止められなかったと、逃げてくれとどんなに願ったか分からないと。
それだけをリンドウから聞いた。
任務中に仲間が死ぬのを見るだけでも、嫌なものだ。
それなのに、自分自身の手で仲間を――なんて、想像もつかない。
相当辛いだろうとは思うが、正直本気で仲間に剣を突き付けた事などないソーマには、分からなかった。
分からないからこそ、尚更突き放せない。
縋るような仕草を見せられれば、どうしたって突き放す事など出来ないのだ。

はあ、とソーマはもう一度深い溜息を吐く。
流石にそろそろ行かなければまずい。
昨夜入った情報が曖昧で、調査と駆除、それが朝一番のソーマの任務だった。
調査もしなければならないから、偵察兵のコウタに同行を頼んである。
そして、たまたまその場に居た第一部隊のリーダー、ユウトも同行することになっていた。
独りの任務ならば、多少の時間の遅れはどうにでもなるが、同行を頼んでいる以上そうもいかない。
どうにか抜け出そうとしてみるが、そうすれば尚更ソーマを拘束する腕は強くなって。
仕方なくソーマはもう一度リンドウの名を呼ぶ。


「リンドウ」
「……なんだ?」
「任務だと言ってるだろ。放せ」
「……ん? ああ、そうか。悪い」
「悪いと思うなら放せ」
「もう少し……」
「……リンドウ」


リンドウの名を呼ぶソーマの声が明らかに低くなる。
不機嫌さを隠そうともしないその声に、流石にリンドウも目を覚ました。
視線を巡らせて、しっかりと腕の中に捕えているソーマを見て、困ったような苦い表情をする。


「あー、悪い。また、ソーマの所に来たのか」
「やっと起きたか」
「お前、任務だろ?」
「ああ」


言いながら、やっと緩んだ腕から逃れて、ソーマはベッドから降りて着替え始める。
着替え終わって、未だ苦い表情のままベッドの上に居るリンドウへと視線を向けて、ソーマは告げた。


「別に、迷惑だなんて思ってねえ」
「……そう、か」
「ああ」


来たいなら来ればいい。――やっと聞こえるくらいの小さな声で紡がれた言葉に、リンドウは瞠目した。
何か声を掛ける前に、ソーマの姿は部屋から消える。
ソーマの部屋に独り残されて、リンドウは苦笑した。

情けないと思っていた。
未だ消えない、あの時の孤独と恐怖。
自分が自分で無くなって行く恐怖、仲間をこの手に掛ける恐怖。
そして――誰も、自分以外の誰も居ない底知れない孤独。
今此処に居るのが、確かに取り戻した存在が、全て夢なんじゃないかと。
これは夢で、現実は未だに独りアラガミ化していく自分と闘い続けているのではないかと。
ふとした瞬間に浮かぶのはそんな不安。
覚悟はしていたのだ、確かに。
自分の死も、そしてもう二度とこの腕に大切な存在を抱く事などないのだと言う事も。
覚悟していた。
するしかなかった。
だが、覚悟して諦めたモノを取り戻してしまえば――今度は尚一層失くすのが怖くなる。
今が現実なのか、それとも夢なのか、分からなくなって。
確かに取り戻したはずのモノをまた手放さなければならない恐怖に囚われる。
特に夜、独り部屋で眠った後に、強い不安に襲われるのだ。
このまま寝て起きたら、取り戻した全てが消えてしまう気がして。
確かめずに居られなくなる。
そうしてリンドウは、真夜中にソーマの部屋を訪ねるのだ。
鍵を開けて部屋の中に入って、ベッドで眠っているソーマを見て、これが現実だと安堵の息を吐く。
けれど、それだけでは足りなくて、ソーマが眠っているベッドへと潜り込み、その存在を、その温もりを感じてやっと落ち着くのだ。
それと同時に浮かぶ眠気に勝てなくて、そのまま眠ってしまい、朝ソーマに起こされるのがリンドウの日常になっていた。


「情けねえな」


ぽつりと呟き、自嘲気味に笑う。
ソーマはそんなリンドウを受け入れてくれて、拒まれないのを良い事に、それは毎晩続いていた。
本当は、ソーマを甘やかせてやりたいと思っているのに。
リンドウが居なくなった事で、ソーマが何を言われたかなんて聞かなくても分かる。
けれど、何を思っていたかは、分からないのだ。
ソーマは、リンドウが居なかった間の事をあまり語ろうとはしない。
だから、想像することしかできない。
辛い思いをさせただろうから、目一杯甘やかせてやりたいと思っているのに。
これじゃあ反対だとリンドウは思う。
だがきっと、今夜もまたリンドウはソーマの部屋へと来てしまうのだろう。


「いっそのこと此処に住むか、俺も」


思いっきり嫌そうな顔をするソーマが浮かんで、リンドウは思わず笑った。
どうしたって夜中に此処へと来てしまうのだから、今は、今だけは甘えてしまおうと思う。
その代わり、この不安が恐怖が消えたなら今度は――嫌だと言おうが思いっきり甘やかせてやろうと思っていた。

リンドウの今日の仕事は昼近い時間からで、まだまだ時間はある。
もう一眠りするかと思い、リンドウはソーマのベッドへと横になった。

その温もりがなくても、ここならば不安にも恐怖にも囚われずに済むから。
これが現実だと信じられるから。
大切なモノを確かにこの腕に取り戻したのだと思いながら――夢に囚われる事もなく穏かな眠りへと落ちて行った。



END



2010/11/14up