■誓い
エントランスへとリンドウが下りると、新人の新型二人が近づいてくる。
あれこれと質問されるのに答えていると、視界の端にちらちらとこちらをうかがうソーマの姿が入った。
何か言いたそうな様子に出来れば優先してやりたいが、リンドウの仕事は新人の教育係でもある為、質問されれば答えない訳にはいかない。
仕方なく質問された事に答えていれば、しばらくしてやっと解放された。
途端にソーマが近付いて来る。
「リンドウ、話がある」
周りの様子を気にしながら小声で告げられた言葉に、リンドウは驚き、それでも促すように歩き出したソーマの後をついてエレベーターに乗り込んだ。
ベテラン区域でエレベーターを下りて、向かった先はソーマの自室。
部屋へと入れば、静かな室内に鍵を掛ける音が響いた。
促されるままにソファに座る。
何事か考えながら、ソーマもリンドウの隣に座った。
そうしてそのまま、しばらく考え込む。
俯きがちに考え込んでいるソーマの顔は、フードに隠されて見えないが、纏う雰囲気から真剣な話しなのだと分かる。
リンドウから話し掛ける事も出来ずに、ただ只管に待つ。
しばらくしてソーマは顔を上げて、リンドウへと視線を向けて言葉を紡いだ。
「……リンドウ」
「なんだ?」
躊躇いがちに呼ばれた名に返事をすれば、ソーマの視線が揺れて、リンドウから離れる。
彷徨う視線が再びリンドウを捉えて、意を決したように言葉が紡がれた。
「お前、その、何か変わった事はないか?」
「変わった事? ってなんだ?」
「……」
再び黙り込み、躊躇うような、何と聞けばいいのか迷っているかのような、そんな様子のソーマを眺める。
以前よりも感情が表情に出やすくなったソーマを、眺めながら黙って待つ。
何か余程聞き難い事なんだろうと言う事くらいは、ソーマの表情と纏う雰囲気から分かった。
「……食べ物の好みが変わったりとか、ないか?」
恐らくは、半分アラガミ化する前と比べてと言う事だろう。
だが、何故そんな事を聞かれるのかは分からなかった。
探るような視線を向けてくるソーマを真っ直ぐに見返して、リンドウは告げる。
「食べる量は増えたけどな。好みはそんなに変わらないと思うぞ」
「そうか」
ほっとしたように、ソーマは言う。
一体何がそんなに気になるのか、何を心配しているのか、分からない。
ただ、何となくこのままにしておいて良いとは思えなかった。
ソーマはどちらかと言えば、心配事も不安も、己の内に仕舞い込んでしまう方だ。
だが、吐き出した方が楽になることだってあるのだ。
たとえそれが、愚痴にしかならなくても、言うだけで楽になることだってあるのだから。
だから、聞き出そうとリンドウは思う。
「なあ、ソーマ」
「なんだ」
「お前、何をそんなに心配してるんだ」
「心配なんかしてねえ」
相変わらずな返事だと、リンドウは微かに笑う。
それが気に入らないのか、微かに赤くなった顔でリンドウを睨み、ソーマは視線を逸らした。
リンドウに背を向けるようにして顔を逸らしたソーマを眺めて、リンドウは苦笑する。
仕方ないねえと思いつつ、リンドウはソーマを背後から抱き締める。
びくりと、腕の中の体が小さく揺れて、逃れようとし始めるのを抱き締める腕を強くする事で阻止する。
片手でフードを外して、再び両腕の中にしっかりと捕らえる。
そうして、直ぐ目の前にある耳元に唇を寄せて、言葉を紡いだ。
「何か気になる事があるんだろ? 良いから言っちゃえよ」
耳元で喋ったからか、耳に届いた内容故か、再び腕の中の体が小さく震える。
リンドウの腕の中、身体を強張らせて、ソーマは喋ろうとしない。
それならばと、リンドウは更に言葉を紡ぐ。
「ソーマ」
促すように名を呼べば、諦めたような溜息が聞こえて来て、強張っていた体から力が抜ける。
それでもまだ、僅かに惑うような仕草を見せて――ソーマはやっと言葉を紡ぐ。
「研究所に居た頃にされた、研究の内容を思い出した」
「……」
「半分アラガミの俺は、人を食べたくなるのか――」
「ソーマ!」
名を呼ぶ事で、ソーマの言葉を遮る。
それだけ聞けば、ソーマが何を聞きたいのかなんて分かった。
アラガミは人を捕喰する。
ならば、半分アラガミのソーマは――前例がないからこそ、そんな研究をされたのだろう。
それを思い出し、半分アラガミ化したリンドウはどうなのか、心配になったのだろう。
聞き出した事を、後悔する。
思い出したくも言いたくもないだろう事を、リンドウを心配するが故に口にしたソーマが、その優しさが、嬉しくもあり悲しくもあった。
言いたくない事ならば言いたくないと言って良いのだと、言いたくなる。
いや、過去何度もそう言って来たはずだ。
だがきっと、ソーマは本当にリンドウが心配だったのだろう。
だから確認せずにはいられなかった。
その為ならば、自分の過去の辛い記憶さえも、口にしてしまう。
それがソーマの強さであると分かっていても、その強さは、その優しさはやはり悲しいと思った。
自分の事を一番に考えていい。
頼むからそうしてくれと思う。
でも何よりも、ソーマがそういう奴だと分かっていて、思い至れなかった己自身に憤りを感じていた。
内容までは分からなくとも、ソーマと同じ存在になったリンドウを、ソーマが心配することくらい分かったはずだ。
背後からソーマを抱き締めて居て良かったとリンドウは思う。
自分は今酷い顔をしているだろうと言う自覚があったから。
それ以上言わせたくなくて、ソーマの言葉を遮ったというのに、そんなリンドウの願いなど届かないのか、ソーマは言葉を続ける。
「……色々な研究をされたが、あの研究が一番……俺は人じゃないんだと突き付けられた気がしたな。だから、忘れてたんだろう、今まで。……シオに、一緒にアラガミを食べるかと言われた時でさえ思い出さなかったのにな」
「……もう、良いから、分かったから。それ以上言うな」
それ以上は本当にもう、言わせたくなかった。
研究と言う名の実験は、一体どれ程行われていたのか。
滅多に口にしない過去の事が、ソーマの口から語られる度に、居たたまれなくなる。
いくら「人類」の為とは言え、実の息子にそんな事が出来た今は亡き支部長も、分からなかった。
恐らくは余りの衝撃に幼かったソーマは耐えられなかったんだろう。
だからきっと、自分自身を守る為に、忘れられない研究の内容を封印した。
それなのに、リンドウが半分アラガミになった事で、思い出したんだろう。
心配してくれたのは嬉しいが、だが……そんな事を思い出させてしまったのが、堪らなく嫌だった。
何かに気付いたのか、ソーマが首だけ後ろへと向けて、リンドウを見る。
「……何でお前がそんな顔するんだ」
「……」
何を言えばいいのか分からず、リンドウは言葉を紡ぐ事が出来ない。
そんなリンドウを肩越しに見て、ソーマは微かに笑って「もう、終わった事だ」と何でもない事の様に言う。
何でもないはずがないだろうと言いたくても、言葉にする事が出来なかった。
「リンドウ」
リンドウの名を呼ぶソーマの声が耳に届く。
気遣うようなその声に、これじゃあ逆だろうとリンドウは思う。
過去の記憶を掘り起こさせただけじゃなく、その上気を遣わせたら流石に情けない。
取り敢えずは、ソーマの心配を取り除くのが一番だろうと思い、リンドウは言葉を紡いだ。
「人間が本来食べるモノじゃないモノを食べたいと思ったことは、今のところはない。だから、心配するな」
「そうか」
良かったと言う声が聞こえた気がして、戻って来られて良かったと改めて思う。
自分の存在が、ソーマに過去の記憶を掘り起こさせてしまう事はこの先もあるのだろう。
皆の前では何でもない振りをしているが、リンドウだって何も思わない訳じゃない。
アラガミ化していた時の記憶は曖昧なモノが多いが、それでも忘れられない光景がある。
仲間をこの手に掛ける所だったあの時。
第一部隊のリーダーが後少しでも遅かったなら、間違いなく己の手で仲間の命を奪っていただろう。
夢として、この手で仲間の命を奪う瞬間を見た事もある。
その夢のせいで真夜中に飛び起きた事もある。
忘れてしまいたいと思っても、アラガミ化した右手がそれを赦してはくれない。
そんな事をソーマに言った事はないが、恐らくソーマは、リンドウが抱えているモノを分かっているのだろう。
だがその代わり今ならば、リンドウもソーマが抱えていたであろう事も、分かる。
全てではなくても、人とは違う存在だという事の孤独さは分かるから。
だからこそ、今度こそずっと傍に在ると誓う。
決してソーマを独りにはしないと、改めて誓っていた。
もう二度と、諦めるつもりはない。
だから頼むから、そんな事を思い出してくれるなと。
腕の中、ほっと安堵の息を吐き出す存在を、強く強く抱き締める。
「痛い」と抗議の声が腕の中から上がるが、解放してやれそうになかった。
END
2010/12/03up