■消えない不安

リンドウが他の支部からの要請で行ってから、一週間が過ぎた。
あと、2、3日で帰れそうだと、昨日ソーマの携帯端末にメールが届いた。
用件のみの簡潔なメール。
リンドウもソーマも、メールは余り得意ではないが、帰る日が分かれば、リンドウはこんな風に簡潔な用件のみのメールを送って来る。
ソーマが長期任務で離れた時も、いつ帰れそうかと問うメールがリンドウから送られて来るのだ。
ソーマからメールをする事はまずない。
送られて来たメールを見る事はあっても、それに返信しようと思った事はなかった。
それなのに、今ソーマは昨日届いたメールを見ながら、返信しようかと考えている。
ちょうど任務のない時間で暇だというのもあるが、理由はそれだけではなかった。

リンドウがアナグラに戻って来てから長期任務は今回が初めてで。
以前だって何度か長期任務に行っているはずなのに、漠然とした不安がつきまとって落ち着かない。
どうしても思い出してしまうのだ。
リンドウが行方不明になってから戻ってくるまでの、時間を。
そんなはずがないのに、このまま戻って来ないんじゃないかと言う不安がどうしても抜けない。
あと、2、3日で帰るというメールを貰っても、それでも不安が完全に消える事はなかった。
だから返信してみようかと思ったのだ。
とは言え、一体何を書けばいいのかも分からずに、ただただ携帯端末を見つめたまま時間だけが過ぎて行く。
しばらく端末をただじっと眺めて、ソーマは溜息を吐き出して、端末をテーブルの上に放り投げるように置いた。
そしてそのまま、ソファへと沈み込み目を閉じる。
消えない不安も、それを言葉にすることが出来ない事も。
大丈夫なのかと確認する簡単なメールさえ送れない自分にも、苛立っていた。
だがそれを無理矢理抑え込んで、眠る。
そうしなければ、不安に押し潰されそうだった。

目の前で展開される光景に、またか、とソーマは思う。
これが夢だと言う事は分かっていた。
ここの所毎日のように見る夢。
そのせいで、此処しばらく満足な睡眠を得られていない。
眠れば夢を見ると分かっていて、それでも他に不安を抑え込む方法が分からなかった。
自分の身を犠牲にして、ソーマを守り、倒れるリンドウの姿。
夢だと分かっていても、喪失感に襲われる。
もう二度と手放したくないと願っている存在が目の前で失われて行く。
夢だろうが何だろうが、見たくない光景だった。
形振り構わず名を呼び繋ぎとめようとしても、どうにもならなくて。
絶望に支配される。
夢だと分かっていても、失う事に耐えられなくて。
どうにかその存在を繋ぎ止めたくて、必死に名を呼び手を伸ばす。


「ソーマ!」


その手が届く前に、名を呼ばれ身体を揺すられ、意識が覚醒した。
目を開ければ、目の前には先程夢の中で失われた存在。
肩に置かれている手から伝わってくる温もり。
呆然と見上げていれば、ほっとしたように息を吐き出して、リンドウはソーマの隣に腰を下ろした。

ぼうっとした様子のまま、視線だけはリンドウを追う。
それに気付いたリンドウがソーマへと視線を向けて、手を伸ばして、被ったままのフードを取り去って、現れた銀糸をかき混ぜるように撫でた。


「随分魘されてたけど、何の夢見てたんだ?」
「お前……何で此処に」


リンドウの問いには答えずに疑問を口にしたソーマに苦笑して、リンドウは言葉を紡ぐ。

「お仕事が終わったから帰って来たに決まってるだろ」
「後、2、3日で帰るって……」
「急いで終わらせたんだよ」


何となく嫌な予感がしたから、というのは口に出さなかった。
だが、急ぎ仕事を終わらせて戻ってきたのは正解だったと思う。
ソーマは部屋に居るはずだと聞いて、部屋まで来て。
扉をノックしても、声を掛けても何の応答もなくて――正直かなり焦ったのだ。
急ぎ合鍵を取り出して鍵を開けて部屋の中へと入れば、己の名を呼ぶソーマの、その声の必死さに驚く。
眠っているらしい事は分かったが、どちらにしろ普通の状態ではない事だけは確かだと思い、その場で直ぐにリンドウは携帯端末でユウトに連絡を取ったのだ。
この後のソーマの任務の予定を聞いて、出来ればキャンセルしてくれと頼み、了承して貰った。
リンドウが詳しい事を何も言わずとも、分かりましたと逡巡する事もなく告げたユウトに驚いたと同時に、浮かんだのは複雑な感情。
以前、ソーマの事を頼んだのは自分なのに、理不尽だと自嘲していた。
その後ソーマを起こして、今に至る。

突然音を立てて、先程までぼうっとリンドウを見ていたソーマが立ちあがる。
驚き立ちあがったソーマを見上げて、リンドウは思わずその腕を掴んだ。


「ソーマ。お前何処に行くつもりだ?」
「……任務だ」
「ああ、それならキャンセルしたぞ」
「――は?」
「だから、キャンセルした。同行頼まれてたんだろ? リーダーが代わりに行ってくれるそうだ」
「はあ? 何でそんな話しになってんだ?」


見下ろすソーマの腕を掴んだまま引っ張って、ソファに座らせる。
仕方なさそうに座ったソーマの視線が、説明を求めていた。


「お前の様子が可笑しかったからな。そんな状態で任務に行っても良い事ないだろ」


勝手な事を、と呟きソーマは溜息を吐き出す。
けれど、リンドウの言う事もまた、分かってはいた。
夢見が悪く殆ど眠れていないのも原因だろうが、普通の精神状態だとは流石に言えなかった。
とは言え、その理由を誰かに言う気にはなれない。
ましてやその原因とも言えるリンドウになど言えるはずもなかった。
無事に戻ってきて良かったと思うのに、素直に喜ぶ事も出来ない。
今回の長期任務で思い知ってしまったから。
いつかまたあの時のように居なくなるんじゃないかと言う不安から、逃れられていないのだと。
未だにあの日々に囚われたままなのだと言う事を。
思い知ったからと言って、どうする事も出来ない。
どうすればいいのかなんて、分からなかった。

考え込んでしまった様子のソーマを眺めて、リンドウは小さく溜息を吐き出す。
ソーマが今何を思っているかは、大体分かっていた。
片手を伸ばして、ソーマの後頭部へと回し、ぐいっと引き寄せる。
突然の事に何の対処も出来ずに、ソーマは引っ張られるままに、リンドウの胸の辺りに額を押し付けるような体勢になる。
そのままもう片方の腕が回されて、しっかりと腕の中にソーマを捕らえた。


「なあ、ソーマ。俺は、此処に居る。何処にも行かない」


そのリンドウの言葉に、腕の中のソーマの身体がびくりと揺れる。
それを見てリンドウは、やはりと思っていた。
もう既にリンドウの中では、終わった事だった。
過去の事になっていた、あの時の事も。
だが、ソーマにとっては違うらしい。
不安も憤りも、自分の中に抱え込んでしまう性質だと言う事は分かっていた。
そして、不安を解放する方法を知らない事もまた、分かっていた。
自分の生い立ちと言った過去を、リンドウの居ない間に過去の出来事として折り合いをつけていたが。
それに関しては、どうやって折り合いをつけたのかリンドウは知らない。
だから、同じ方法を提示してやる事は出来ない。
それでも、どうにか不安を取り除いてやりたいとは思っていた。
その不安の原因が己にあるからこそ、尚更。


「約束する。お前を置いて行ったりはしない」


言いながら片腕でソーマの身体をしっかりと拘束し、もう片方の手で宥めるようにソーマの背を軽く叩く。
リンドウの腕の中、ソーマは微かに身じろいで、ぎゅっとリンドウの服を掴んだ。
その肩が微かに震えて、そして――静かな室内に、堪え切れない嗚咽が時折響く。
静かに、声を立てずに泣くソーマを、リンドウはただただ抱き締めていた。

これでやっと、ソーマもあの出来事を過去の事に出来るだろうと、リンドウは思う。
泣くと言う事は、その出来事を現実として受け入れる事が出来たと言う事だから。
それにしてもと思い、リンドウは視線を落とす。
リンドウの腕の中、泣き疲れたのかそれとも寝不足がたたったのか、眠るソーマを穏かな表情で見つめて思う。
ソーマが泣いたところを初めて見たな、と。
それなりの年月共に在るが、リンドウはソーマが泣いた所を見た事がなかったのだ。
それ程までに、あの時の出来事はソーマを追い詰めていたのだろうと分かる。
眠ってしまったソーマを見つめて、もう一度「二度と、置いて行ったりはしない」と心の中で誓った。

よっと小さく言って、リンドウはソーマを抱え上げて立ちあがる。
こういう時、アラガミ化した片腕は本当に役に立った。
そのまま移動して、ベッドへとソーマの身体を下ろす。
身体を起こそうとして、何かに引っ張られるような感覚に、リンドウは視線を落とした。
視線の先には、リンドウの服の端をしっかりと掴んだままのソーマの手が映る。
その手から服を解放しようとするが、思いの他しっかりと握られていてそれも出来そうにない。
仕方ないと溜息を吐き出して、リンドウはソーマの隣に横になる。
まだ外は、夜と言うには早い時間で、この時間から寝るのもどうかと思うが仕方ない。
仕事を大急ぎで終わらせて来た事もあって、リンドウも疲れてはいるのだ。
ソーマもどうやら寝不足らしいし、まあいいかと思う。
しっかりと腕の中にソーマを抱き込む。
この状態で目が覚めたらきっとソーマは驚くだろう。
リンドウの前で泣いた事もあって、ベッドから蹴り落とされるくらいの覚悟はしておいた方が良いかもしれない。

不安が完全に消えたかどうかは分からないが。
この部屋に入った時に見たソーマと比べたら、今腕の中で眠るソーマは随分と穏やかな顔をしているから。
少しでも不安を取り除けたのならそれでいいと思う。

目が覚めたら蹴り落とされる覚悟をして、リンドウも目を閉じた。
消えない不安が完全に消える事を願いながら、眠りへと落ちていった。



END



2010/12/19up