■願い(side:R)
そこを通りかかったのは、たまたまだった。
聞こえてきた言葉に、リンドウは思わず拳を握りしめる。
死神だの何だのと、ソーマに対する陰口。
それを聞いたのは今日が初めてという訳でもない。
だが、何度聞いても気分の良いモノじゃない。
浮かぶ憤りを、どうにか抑え込んだ。
出来る事ならば、その言葉を発している者達を全員、張り倒したい気分だった。
それをして、恨みや憎しみと言った感情がリンドウへと向くのならいくらだってやってやると思う。
だが、たとえリンドウがそれをしたとしても、その矛先はやはりソーマへと向かってしまうのだ。
それが分かっているから、聞かなかった振りをして耐える。
エレベーターに乗り込んで、その壁を思いっきり殴りつけた。
それでも、憤りは収まってはくれない。
溜息を吐き出して、ベテラン区域で下りる。
何故なのか、無性にソーマに会いたかった。
今聞いた事を悟られたくないと思い、それなら会わなければいいと思うのに、足は勝手にソーマの部屋へと向かう。
ソーマの部屋の前に立ち、ドンドンと部屋の扉を叩いた。
「ソーマ、開けてくれよ」
ドンドンと扉を叩きながら、中に居るであろうソーマの名を呼ぶ。
しばらくそれを続けていれば、鍵が開く音が響いて扉が開く。
「うるせえ」
不機嫌そうな表情で、そうソーマは告げた。
扉を開けたまま入口に佇むソーマを押すようにして部屋の中に入り、鍵を掛ける。
そうして、リンドウはそのまま無言でソーマを抱き締めた。
突然の事に腕の中のソーマの身体が強張る。
過去の出来事故に、ソーマは触れられる事に慣れていない。
嫌悪していると言っても良いだろう。
それでも、回した腕を振り解かれない程には、許されている事を実感する。
それが、リンドウのみに許されている事も、分かっている。
それに甘えている事を自覚しつつ、リンドウは強く強くソーマの身体を抱き締めた。
「何か、あったのか」
遠慮がちに問う声が、リンドウの腕の中から聞こえる。
それと共に、強張っていたソーマの身体から力が抜けて、そっと両手がリンドウの背へと回される。
リンドウの背に回された手が、所在なさげに彷徨って、リンドウの身体を抱き締めるような位置で落ち着く。
リンドウの様子が可笑しい事に気付いての行動なのだろう。
そんなソーマの行動に、リンドウは詰めていた息を吐き出した。
「思った以上にお仕事が大変でな。流石に疲れたわ」
「……そうか」
恐らくは、それがリンドウの嘘だと分かっているのだろう。
ソーマは意外とそう言った事に敏い。
だから、これで誤魔化されてくれたとは思っていない。
だがきっと、追及はされないだろう。
言いたくない事だと言う事もまたきっと分かっているだろうから。
言えるはずがなかった。
言えばどういう答えが返ってくるかも分かっているから。
「気にしていない」と言いつつ、本当は傷付いている事も分かっているから。
だから、嘘だとバレてもいいから、本当の事だけは悟られる訳にはいかない。
思い出すだけで憤りが渦巻いて、自然とソーマを抱き締める腕に力がこもる。
苦しいのか、微かに呻くような声が聞こえるが、それでも腕を緩めてやる事は出来なかった。
何かを察しているのだろうソーマは、文句を言うでもなくリンドウの好きにさせている。
どのくらいそのままで居たのか。
部屋の入口付近に立ったまま、それなりの時間が経過していた。
どうにかやっと落ち着いたと、リンドウは小さく息を吐き出す。
途端に、トントンとリンドウの背に回されていたソーマの手が、リンドウの背を軽く叩いた。
「いい加減、離れろ」
「イヤだ」
「……リンドウ」
呆れたようにリンドウの名を呼び、ソーマは深い溜息を零す。
それでも、無理矢理離れようとしないのを良い事に、リンドウは言葉を紡いだ。
「もう少し、良いだろ」
リンドウのその言葉にソーマは再び溜息を零す。
そうして、リンドウの背を叩いていた手が、再びリンドウを抱き締めるような位置で落ち着いた。
それを了承と取り、リンドウはソーマを抱き締めたままふぅと息を吐き出す。
渦巻いていた憤りは、すっかりと奥底へ沈んでいった。
それでも、どうしてもこの温もりを解放してやることが出来ない。
情けないと思っていた。
守りたいと思っていても、先程のような言葉から守ってやる事は出来ない。
傷付いていると知っていても、出来る事は傍に居てやる事くらいなのだから。
だから、願う。
この場所がソーマにとって優しい場所になれば良いと、ただそれだけを願う。
ソーマを理解してくれる仲間が増える事を、願っていた。
この時は、その願いが叶った時に自分がどう思うかなんて、分かっていなかった。
何とも複雑な感情を抱く事になると分かっていたならば、願わなかっただろうか。
――きっと、それでも願っただろう。
本心からの願いなのだから。
END
2010/12/21up