■願い(side:S)

自室のソファに座り、流れてくる音楽に耳を傾ける。
今日はもう、任務はない。
緊急の任務でも入れば別だが、まずそんな事はないだろう。
フードを外して、目を閉じる。
途端に、ドンドンと勢い良く扉を叩く音がして、ソーマは目を開き、眉間に皺を寄せた。
続いて聞こえてきた声に、溜息を吐き出す。


「ソーマ、開けてくれよ」


リンドウのその声に続き、ドンドンと更に扉を叩く音が響く。
煩いと思いつつ立ちあがり、ソーマは仕方なく部屋の鍵を開けた。


「うるせえ」


扉を開けて、不機嫌そうに言い放ってみても、全く堪えた様子はない。
それどころか、入口付近に佇むソーマを部屋の中へと押し込むようにして、リンドウはソーマの部屋の中へと入った。
そうして、部屋に鍵を掛ける。
突然抱き竦められて、ソーマはリンドウの腕の中硬直した。
触れられる事に、ソーマは慣れていない。
というよりは、触れられる事にあまり良い思い出がないのだ。
研究所に居たころ、ソーマに伸ばされる手は、いつだって研究対象に向けられたもので。
子供であったが故に感じ取ってしまったモノは、冷たい感情でしかなくて。
伸ばされる手が、触れられる事が、嫌だった。
何かにつけて触れてくるリンドウには随分と慣れた方ではあるがそれでも、こんな風に突然触れられるとどうしても身体は硬直する。
強く強く抱き締められて――リンドウの様子が可笑しい事に気付く。


「何か、あったのか」


問うと同時に、強張っていたソーマの身体から力が抜ける。
両手をそっとリンドウの背へと回して、けれど、それをどうすればいいのかが分からなかった。
様子が可笑しい事が分かっても、宥める方法も、慰める方法も知らない。
かと言って、今更背に回した腕を引くのも躊躇われて、ソーマはそのまましがみつくように抱きつく。
抱き締めているのか抱きついているのか分からない状態で、けれどそれがソーマの精一杯だった。
そんなソーマの行動に、リンドウが詰めていた息を吐きだすのが分かる。


「思った以上にお仕事が大変でな。流石に疲れたわ」
「……そうか」


嘘だ、と思った。
けれど、それを言う事は出来なかった。
この程度の嘘にソーマが誤魔化されるとは思っていないだろうが、本当の事をリンドウが悟られたくないと思っているのもまた、分かったから。
恐らくは、自分に関する事なのだろうと、ソーマは思う。
以前、リンドウと共に居る時に、ソーマに対する陰口が聞こえてきた事があった。
いつものことだった、ソーマにとっては。
何も思わない訳じゃないが、それでもそれは日常でしかなかった。
だが、リンドウは違ったようで、纏う空気が一瞬で変ったことに、ソーマも困惑したのだ。
何故、と思った。
言われているのはソーマで、リンドウじゃない。
ソーマの事でリンドウがそれ程までに憤る理由が分からなかった。
それに関しては今も分からない。
恐らく、ソーマに関する何かなのだろうと分かっても、それはリンドウが気にすることじゃないと思うからだ。
抱き締める腕に更に力ら込められて、息苦しさに呻くような声が漏れる。
けれどそれでも、その腕が緩む事はなかった。
抱き締める腕の強さがリンドウの心情を露わしているかのようで――振り解く事も、出来ない。
仕方ないと思いつつ、ソーマはリンドウの好きにさせていた。

とは言え、いつまでこんなところに立っていればいいのかと、ソーマは思い始める
それなりの時間が経過していた。
リンドウの纏う空気が普段に近いモノに変わった事に気付いて、ソーマはリンドウの背を軽く叩く。


「いい加減、離れろ」
「イヤだ」
「……リンドウ」


ガキかと思いつつ、呆れたようにリンドウの名を呼んでいた。
まさか、イヤだと即答されるとは思わなかったのだ。
思わず深い溜息が零れる。
それでも、やはり無理矢理この腕の中から逃れる気には、なれなかった。


「もう少し、良いだろ」


抱き締めたまま言われた言葉に、ソーマは溜息を吐き出す。
仕方ないと諦めて、ソーマは再び抱きつくようにリンドウの背に腕を回した。
それを了承と取ったのか、ソーマを抱き締めたままのリンドウがふぅと息を吐き出す。
本当に分からなかった。
何故ソーマの事でリンドウが此処まで思うのか、分からない。
リンドウと出会うまで、ソーマの周りにはそんな人間は一人も居なかったから。
だから、分からないが、分かる事もある。
イヤだと思った。
こんな風にソーマの事でリンドウが心を痛める事が、イヤだと思う。
だから、こんな風にリンドウがソーマの事で心を痛めるような事がなくなれば良いと願う。

何を言われても仕方がないと思っているのだ、ソーマは。
事実なのだから。
だから、言われる事は構わない。
何も思わない訳ではないが、それでもそれは仕方がないと思っているから。
ただ、リンドウの耳にそれらが届く事がなければいいと、それだけを願っていた。



END



2010/12/21up