■夢の残照

満月は人を狂わせると言う。
それを裏付けるように、昔から満月の夜は犯罪が多発したらしい。
物語の中でも、狼男は満月の夜に変身する。
満月は、人の奥底に眠る何かを、呼び起こすのかもしれない。

真夜中と言っていい時間、ソーマは目を覚ます。
悪夢を見て夜中に起きる事は珍しくないが、夢を見た訳でもないのに、こんな時間に目が覚めるのは珍しかった。
だが直ぐに、その原因に思い当る。
渦巻く衝動は、覚えのあるもの。
今日は満月だと、誰かが言っていたなと思い出す。
己の内にある人ならざる部分が満月に反応するのか、子供の頃から満月の夜は眠れない夜を過ごしていた。
眠れたとしても、夜中に起きる。
最初は戸惑い、渦巻く衝動のままに行動した事もあった。
だが今は、流石にそんな事は出来ない。
渦巻く衝動を吐き出すかのように、深い溜息を吐き出す。
ふと、リンドウの事が浮かび、そういえば今はリンドウも半分アラガミだったかと思い出す。
同じように、抑えきれない衝動を抱えているかもしれないと思えば、気になって。
部屋を訪ねてみるかと思う。
だが、ソーマのような衝動を抱える事もなく寝ていたらと思えば、それも出来なくて。
気にしなければいいのに、どうしても気になって、訳の分からない感情に翻弄されそうになって苛立つ。
途端に、息苦しく感じて、ソーマは溜息を吐き出す。
最近、リンドウの事を考えると息苦しいと感じる事が多いと思っていた。
最初は気のせいかと思っていたが、流石にこれだけ続くと気のせいだとは思えない。
とは言え、そんな風になる原因には思い当らなかった。
しばらく考えて、面倒になって考える事を放棄する。
このまま此処にいても眠れないし、じっとしているのも苦痛だった。
仕方ないと思い、ソーマは部屋を後にする。
何故か、自然と足はエントランスへと向かっていた。

何故エントランスに来たのかなんて、ソーマにも分からない。
ただ、何故かエントランスに向かわなければいけない気がしたのだ。
気付けばエントランスに立っていて、誰も居ないはずの暗いエントランスには、小さな赤い光が一つあった。
無言でソーマはそれに近付く。
ソーマに気付いたのか、そこにいた人物が動く気配がして――ソーマの名を呼ぶ声が耳に届いた。



真夜中に目が覚めて、渦巻く衝動を抑え込む為に、リンドウは誰も居ないはずのエントランスへと向かった。
アナグラに戻って来てから、夜中に目が覚める事自体は珍しくない。
良く見る悪夢と言っても良い夢。
それに起こされたのは、一度や二度じゃなかった。
アラガミと化していた時に、仲間をこの手に掛けそうになった。
その時の事が忘れられないせいか、仲間をこの手に掛ける夢を、何度も見た。
中でも一番堪えたのは、大切だと思っている存在をこの手に掛ける夢。
夢の中のソーマは、襲いかかるリンドウに抵抗する事はない。
他の仲間は困惑しながらも抵抗を見せるのに、何故かソーマだけは、いつだって無抵抗のままだった。
現実にリンドウが襲いかかったとしても、恐らくソーマは無抵抗だろうと容易に想像が出来る。
同じものを抱えているからこそ、分かる事だった。
反対の立場になったならきっと、リンドウも抵抗する事はないだろうから。

ソーマがリンドウをどう思っているのかは、はっきりとは分からない。
いや、リンドウは分かっているが、ソーマ自身分かっていないのだろう。
それが分かるからこそ、一歩踏み出す事が出来ずにいる。
それでも、大切に思う存在をこの手に掛けるくらいなら、自分が――その思いは、きっと同じだろうから。
だから、あれが現実になる可能性があると分かる。
半分アラガミとなった自分がいつ仲間を手に掛けるかなんて、分からない。
そのつもりはリンドウになくとも、こんな風に内から渦巻く衝動を抑え込めずにいる現状では、その可能性はないとは言い切れなかった。
夢の残照に囚われているせいなのか、それとも別の要因故か分からないが。
渦巻く衝動は、収まる気配を見せない。
叫びたいような、何もかも壊してしまいたいような衝動に突き動かされるままに行動したなら、楽になれるだろうか。
そんな事出来る筈がないと自嘲して、煙草の煙を吐き出す。
誰も居ない暗いエントランスに人の気配を感じたのは、丁度そんな時だった。
短くなった煙草を消して、振り返る。
近付いてくる人物の名を、リンドウは普段と変わらないように気を付けながら、呼んだ。


「ソーマ。どうした? こんな時間に」
「……眠れないのか」


リンドウの直ぐ傍に立ち、ソーマはリンドウを見上げる。
そんなソーマを見下ろして、リンドウは頭を抱えたくなった。
いっそのこと、表情なんて見えなければ良かったのにと思う。
暗闇に慣れた目は、光源のないこの場所でも、昼間と殆ど変らない程に機能していた。
これも半分アラガミ化したせいかもしれないが、今はそんな事はどうでもいい。
良く見なければ分からない程度ではあるが、心配そうな色を宿して、ソーマはリンドウを見上げていた。
自惚れでもなんでもなく、その表情は、他の仲間に向けられるモノとは違っていた。
長い付き合いだから、その言葉で誤魔化すのもそろそろ限界かもしれないと思う。
特に今は――そんな顔で見ないでくれと、リンドウは思っていた。
夢の残照に囚われているせいか、何か別の要因故かは分からないが。
未だ抑え込めていない渦巻く衝動のままに、行動したくなる。
全てを壊してしまいたいとう衝動は、簡単に別の衝動へと変わるだろうから。
恐らくは、根本はどちらもそれ程変わらないんだろうなと思う。
愛しいと思うが故に、壊してしまいたくなる衝動を人は抱えたりするのだから。
いっその事全てを己のモノにしてしまえと言う声が、内から聞こえた気がして、リンドウは気付かれないように拳を握りしめる。
内から聞こえる声を、浮かぶ衝動を、どうにかして抑え込もうとしていた。
煙草消さなきゃ良かったなと思う。
新しい煙草に火をつけるのも今更な気がして、リンドウは溜息を吐きだす。
どうにか普段通りを装って、言葉を紡いだ。


「なんか目が覚めちまってな。部屋に居るのもなんだから、下りて来てみた」
「……満月らしいからな。そのせいだろ」


平然と告げられた言葉に、リンドウは驚く。
だが直ぐに、そう言う事かと納得した。
満月は人を狂わせると言う。
満月は、人が奥底に沈めている「何か」を引きずり出すのかもしれない。
奥底に沈めた、人ならざる者の本能が引きずり出されたというのなら、この抑えられない衝動にも納得出来る。
とは言え、今この状況では歓迎出来るモノではないが。
そこまで思い、ふと思い当る。
自分の状態ばかりに気を取られていたが、満月だからとソーマが平然と言い切ったと言う事は――ソーマは既に、何度も今のリンドウのような状態を経験していると言う事で。
先程まで、誰も居ないこの場所で独り衝動を抑え込もうとしていたリンドウだからこそ、その孤独がどれ程のモノか分かる。
奥底から湧きあがって来る、全てを壊してしまいたいという衝動。
自分は仲間とは違うのだと、人ならざる者なのだと、突き付けられた気がしていた。
そんな事分かっていても、改めて突き付けられるのは正直堪える。
それを、ずっと独りで抱えて来たのだろうか。
傍で見てきたつもりだった、ずっと。
だがそれでも、知らなかった。
ソーマがずっと、独りでこんな衝動と闘っていたなんて事は。


「ソーマ、お前――」
「リンドウ」


リンドウが何を言い掛けたのか悟ったのか、ソーマはリンドウの名を呼ぶ事で制する。
口を噤み視線だけでリンドウは先を促した。


「満月の夜眠れない時は、俺の部屋に来ればいい。どうせ俺も、起きているからな」


それは一体どういう意味なのか。
そんな事、考えなくても分かっている。
気が紛れるくらいの軽い気持ちだってことも、そこに深い意味なんてない事も。
分かっているが、満月のせいなのか、抑え込めない衝動を抱えている今それは――残酷だとすら思える言葉だった。
いっそのこと衝動のままに、一歩踏み出してやろうかと思う。
先程内から聞こえた声に、従ってやろうかとも思う。
そんな事出来ないと分かっていて、それでもそう思ってしまう程には、リンドウも追い詰められていた。
自分の内にある想いに気付いてさえいないソーマに、リンドウの想いを告げても困らせるだけだと分かっていても。
衝動のままに行動したくなる。
いっそ満月のせいって事にしてしまうか、とも思う。
思わず、深い溜息が零れた。
夢の残照に囚われてしまいそうになっていた事など、どうでも良いとさえ思える。
ある意味、リンドウは救われたのだ。
夢の残照に囚われて、全てを壊してしまうかもしれないという不安からは逃れる事が出来たのだから。
そんなモノよりもずっと厄介なモノがあるのだと、改めて知る。
がっくりと肩を落として深い溜息を吐くリンドウを、ソーマは怪訝そうに眺める。
怪訝そうにリンドウを眺めるソーマを見て、リンドウは再び深い溜息を吐いた。


「……なあ、ソーマ」
「なんだ」
「頼むから、いい加減自覚してくれ」
「――は?」


訳が分からないという顔をして、ソーマはリンドウを見つめる。
もう、溜息しか出ないと思っていた。
だがその代わり、抑え込めなかった衝動は、随分と落ち着いて来ていた。
良かったのか良くなかったのか、正直分からない。
ただ、夢の残照から解放された事だけは、良かったと思っていた。
訳の分からない事を言われて、明らかに不機嫌になっているソーマに手を伸ばして、そのままその身体を抱き寄せる。
突然の事に驚き無抵抗なのを良い事に、腕の中に捕らえた身体を抱き締めた。
伝わる温もりに、安堵する。
いつか夢の残照に囚われて、己の手で腕の中の存在を殺めてしまう日が来るかもしれない。
その不安は、きっとこの先もずっと付き纏うのだろうう。
半分アラガミとなってしまった以上、逃れる事はきっと出来ない。
だが今は、確かにその存在は此処にある。
渦巻いていた衝動も、嘘のように奥底へと沈み込んでいた。
我に返ったのか、逃れようと腕の中暴れ始めるソーマを、更に強く抱き締める事で、抑え込む。


「放せ!」
「ソーマ、静かにしろって。何時だと思ってるんだ?」
「お前のせいだろうが」
「満月のせいだろ」
「は? そんな訳ねえだろ」
「満月のせいだ。そう言う事にしとけって」
「訳分からねえ」


本当に訳が分からないと言うように言って、不機嫌そうに黙り込む。
だが、ちらりと見えた顔が僅かに赤かった事に、リンドウは気付いていた。
気付かれないように、リンドウは苦笑する。
大体、本当に嫌ならば何が何でもリンドウの腕を解いて逃れるだろう、ソーマの性格から言って。
それだけの力も、ソーマにはある。
逃れようと暴れはするが、それでも抑え込めば制する事が出来る程度にしか抵抗を見せない。
本人は無自覚だが、言動のあちこちに見え隠れする想いは確かにリンドウと同じはずなのに、いつになったら通じるのだろうかと思う。
目的地までの道は、果てしなく遠い。
リンドウが上手い事伝える言葉を持っていれば違うのかもしれないが、生憎ソーマを言葉で納得させる自信はない。
適当にはぐらかすのならば慣れたモノだが、自分の想いを語るのは、何よりも苦手だった。
諦めたのかすっかり大人しくなったソーマを見下ろして、小さく溜息を吐き出す。
名残惜しく思いながらも、ソーマを解放した。


「さてと、ソーマの部屋に行くか」
「……は?」
「さっき言っただろ、部屋に来ても良いって」


そのリンドウの言葉に、ソーマは反論しようと口を開き掛けるが、言葉が紡がれる事はない。
この次からの話しだと言う事は、リンドウも分かっていて言っているのだ。
散々振り回されているのだから、この程度の意趣返しは許されるだろうと思う。
しばらく考え込んでいたソーマが、諦めたように溜息を吐き出した。


「行くぞ」


それだけ告げて歩き出したソーマの後を、追いかけるようにリンドウも歩き出した。


夢の残照に囚われなくて良かったと思う。
ソーマは、リンドウがエントランスに居ると知っていて来た訳ではないのは分かっているが、それでも。
ソーマが来てくれて良かったと思っていた。
まあ、困ると思った事も確かにあったが、結果的には良かったのだろう。
独りでエントランスに居たならばきっと、朝まであの場所から動く事は出来なかっただろうから。

立ち止れば、それに気付いたらしいソーマも立ち止って振り返る。
早く来い、とその視線が訴えていた。

再びリンドウが歩き出せば、それを見てソーマもまた歩き出す。
二人の距離は、相変わらず変わる事はない。
いつの日か――そう願いながら、リンドウはソーマの部屋へと足を踏み入れた。



END



2010/12/28up