07. あいつの顔が巡る

ディアウス・ピターからリンドウを助けてくれて、その後介抱してくれていた少女が居なくなってどのくらい経っただろうか。
彼女が戻って来ないと分かって、あの場所を出た。
鎮魂の廃寺と言われている場所だと知ったのは、あの場所から外へと出てからだった。
あの場所を出て、あちこち彷徨って――段々と思考が曖昧になっていくのを感じていた。
自分と別の”何か”。
それが交互に現れるような感覚とでも言えばいいだろうか。
気が付くと来た覚えのない場所に立っていたり、倒した覚えのないアラガミが目の前で倒れていたりする事があった。
今日もそうで、気付けばリンドウは、愚者の空母にいた。
辺りを探ってアラガミの気配がない事を確認して、リンドウは歩き出す。
一番奥まで歩いて、その場に座り込んだ。

こんな風に思考がはっきりしている時浮かぶのは、大体いつも同じだ。
共に過ごして来た日々の中、見てきたソーマの顔が次々浮かぶ。
殆ど表情が変わらないソーマだが、全く変わらない訳じゃないのだ。
僅かしか見た事はないが、笑った顔も見た事はある。
初めてソーマが笑ったのを見た時には、かなり嬉しかったのを覚えている。
そのくらい、ソーマは笑わない子供だったから。
掴み掛られた事もあったなと、思い出す。
差し伸べた手を何度も何度も振り払われて、構うなと、関わるなと何度も言われた。
それでもめげずに手を差し伸べ続けていた。
そうしてある日、ソーマは泣きそうな顔で掴み掛って来たのだ。
何で俺を構うんだと、叫んだ声が悲鳴に聞こえて、思わず掴み掛っているソーマをそのまま抱きしめた。
驚き、腕の中硬直するソーマが悲しかったのを覚えている。
誰かにこんな風に抱きしめられた事もないのだと、分かってしまったから。
それが悲しくて、それを誤魔化す為に強く強くソーマを抱きしめて、苦しいとあちこち叩かれたのだ。
抱きしめられるという行為にソーマが慣れるまでには、随分と時間が掛った。
髪を撫でたり抱きしめたり。
最初の頃はそんな事をしていた。ソーマを子供だと思っていたから。
子供ならばされて当たり前の事を知って欲しかっただけだった。
兄の様な気持だったんだろうな、最初は。
それが違うモノに変わったのは一体いつだったか。
気付いた時にはもう、後戻り出来ない所まで来ていた。

そんな事を思っている間に、様々な場面が、色々な顔が次々と浮かんでは消えて行く。
そうしていつも最後に浮かぶのは――泣いているソーマの姿だった。
泣いた顔なんて一度も見た事ないのにな、とリンドウは思う。
ソーマは泣きそうな顔をしても、泣く事はなかった。
出会った時既に、知っていたから。
泣いても何も変わらないのだと、そんな事で現実が変わる事はないのだと。
12の時に既に、残酷な現実を知っていた。
諦めると言う事を知っていた子供だったのだ。
悲しいと言うよりは憤りを感じた、あの時は。
一体どんな環境で過ごして来たら、こんな風になるのかと思った。
それを、ソーマの過去を知る事になるなんて、あの時は思ってなかったなと思う。
過去を知って、納得したと同時にやはり、悲しいと思ったのだ。

そんな事を考えている間も、ソーマは独り泣き続ける。
何とかしてやりたくて手を伸ばしても、それがソーマに届く事はなかった。
抱きしめてやりたいと思っても、出来ない。
それも当然だった。
此処に、リンドウの目の前にソーマは居ない。
リンドウが今居る場所は愚者の空母で、ソーマはアナグラに居るだろから。
展開される光景が現実じゃない事くらい分かっている。
分かっていても、それでも耐えられなかった。
こんな風に独り泣くソーマを見るのは。
出来る事ならば今すぐにでもアナグラに戻りたいと思った。
だがきっと、アナグラに帰りつく前に思考は曖昧になるだろう。
帰ろうとした事がなかった訳じゃない。
こんな風に独り泣くソーマの姿を見るのは――それが現実じゃないと分かっているが――今日が初めてじゃないのだ。
その度に、実際にソーマが泣いているんじゃないかと思って、アナグラへと帰ろうとしたのだ。
だが、確かにアナグラに向かって歩いていたはずなのに、気付けば違う場所に居る。
何度かそんな事を繰り返せば、アナグラに帰る事は出来ないのだと分かる。
段々と、思考がはっきりしている時間が短くなっているのも感じる。
自分の身に何が起こっているのかも、分かっていた。
いずれ”雨宮リンドウ”という存在はなくなるだろう。
それがいつかは分からないが、そう遠くない事だけは分かっていた。
覚悟はとっくに出来ている。


「ソーマ」


思わず呼んだ名に、答えが返る事はない。
分かっているのにそれが悲しくて、痛くて、リンドウは自嘲気味に笑った。

居なくなるなと、ずっと傍に居ろと。
言葉にした事はないが、ソーマがそう望んでいた事を知っている。
だが、離れる事になっても、守りたかったのだ。
生きていて欲しかった。
それがエゴだと言う事も分かっている。
それでも、守りたかったのだ。
だから、ソーマの望みを知っていながら、独りあの場所に残った。
死ぬ覚悟も、した。
泣かせたい訳じゃないのだ。
だから頼むから、泣くなと思う。
現実じゃないと分かっていても、それでも本当にソーマが泣いているような気がしてしまうから。

曖昧になっていく思考の中でもう一度思う。
泣くなと、泣かないでくれと。
今度は笑顔を見せて欲しいと、そう願いながら、リンドウの思考は途切れた。



END



2010/11/28up