■夏祭り
クマが女子三人と共に行ってしまい、陽介達はその場に残される事になる。
溜息を一つ吐いて、陽介は何も言わず去って行く彼らを見送っている悠へと視線を向けて問う。
「悠。お前さ、夏休み何してたんだ。クマに着ぐるみまで借りて」
「あれって、先輩だったんすか!」
どうりで様子が可笑しいわけだと呟いている完二をちらりと見て、陽介は再び悠へと視線を戻す。
気付かれていないと思っていたのか、珍しく驚いた様子を見せる悠。
「何でそれを」
「あのなあ。バイトしてるはずのクマがあんなところに居れば帰って訊くに決まってるだろ」
「そっか。そうだよな」
「センセイと約束したから言えないクマ。って言ってた」
「言ってるじゃねえか」
呆れたように完二が突っ込む。
クマが口を滑らせてしまった事に関しては、悠は特に咎めるつもりはないらしいのが分かった。
溜息を一つ零して、悠は口を開く。
「バイト、してたんだ」
「バイト? 何でバイトなんか」
「菜々子が傘を無くしたって言うから買おうかと思ったんだけど、お金が足りなかった」
「……何のバイトしたらクマの着ぐるみ着る事になるんだ?」
「色々あったんだ。本当に。……最初は、家庭教師してただけだったんだけど」
「家庭教師? 何で家庭教師なんだ」
高校生が家庭教師は普通に考えてあまりやらない。
まあ、悠の成績が良いのは知っているから出来ない事はないだろうが。
単純に疑問に思って訊いただけだったんだが、何故か悠は困ったような顔をする。
「それは――」
「なんだよ」
言い始めて口を噤んでしまう悠に何とも言えない苛立ちの様なモノを感じて。
促すように言葉を掛ける。
しばらく躊躇って、悠はやっと言葉を紡いだ。
「その、キツネに、頼まれて……」
「キツネ?」
「ああ、神社に居るっていうキツネっすか?」
完二の言葉に、ああ、と陽介も納得する。
そう言えばあの神社にはキツネが住みついているというのを聞いた事があった。
あの神社の神様の化身だとか何だとか言われて大事にされているらしいという事も。
驚いたようにしばらく陽介と完二を交互に見て、悠は言葉を紡ぐ。
「信じるのか?」
「お前、嘘言ってるのかよ」
「先輩がそんな嘘言う奴じゃないって事くらい分かってるっすよ」
陽介に続いて完二も、肯定するような言葉を紡ぐ。
ほっとしたように息を吐き出して、悠は言葉を続けた。
「そっか。おじさん達には信じて貰えなかったから」
「まあそうだろうな。普通信じないよな」
「じゃあ、なんで」
「だから。お前、そんな嘘言うような奴じゃないだろ。完二もそう言ったじゃねえか」
他の誰かが“キツネに頼まれた”なんて言っても、信じられないだろう。
だが、悠は、変な奴ではあるが、こういう嘘を言うタイプではない。
と言うよりは嘘を吐く事はないだろう。
どうやってキツネから頼まれたのかは正直想像出来ない。
まさかキツネと会話出来るはずもないが――いや、こいつなら普通に会話しそうだと陽介は思いなおす。
聞いたのは単なる好奇心だった。
「お前さ、キツネに頼まれたって、どうやって?」
「え? どうって。何か言いたそうだったから、どうしたって聞いただけだけど……」
ああやっぱり普通に会話したのか、と陽介は思う。
普通はキツネに「どうした」とは聞かないだろうとは思うが、そんな場面が容易に想像出来るのは何故だろうか。
当たり前のようにキツネと会話する悠の姿が浮かんで、思わず完二を見れば、陽介と同じように思って居るのか、微妙な表情で納得したように頷いていた。
「お前、やっぱり変な奴だよなあ」
「そうか?」
「で? なんでクマの着ぐるみを着る事になったんだ?」
「それは――」
そう言って語られた内容に、陽介も完二も驚く事しか出来なかった。
菜々子ちゃんが無くしてしまったという傘を買う為にバイトをしようとして、結局キツネに頼まれて家庭教師のバイトをする事になる。
結果、学童保育のバイトもする事になって、喧嘩した子供を止めようとして玩具を壊してしまい弁償する羽目になり、また別の日に喧嘩が収集つかない状態になり、それを納める為にクマの着ぐるみを着て。
陽介達が不審なクマに会ったのはその日だ。
引ったくりにあい怪我をしたおばあさんを助け、看護婦と知り合い。
愚痴を聞いたり、河のヌシを釣ったりと、まあ本当に凄まじい夏休みを過ごしていたようだ。
そしてそれらが祭りの日の今日、全て片付いたらしい。
「バイトしたいなら言えよ。夏休みはジュネスもバイト募集してたんだぞ」
「そうだったのか」
「ああ。人手た足りなくて、お前に頼もうと思ったのに、お前全然連絡取れないし」
「ごめん」
「大体何であの時逃げたんすか」
「あの時?」
「クマの着ぐるみ着てた時っすよ。逃げる必要なかったんじゃ」
完二の言葉に悠は「ああ」と頷いて続ける。
「菜々子には内緒にしておきたかったからな」
「え? お前、言わないの?」
「ああ。言わない」
「なんで」
「あそこまで忙しくならなかったら言ったかもしれないけど、きっと気にするだろうから」
「ああ、まあそうだろうな」
「心配掛けちゃったみたいだから、聞かれたらバイトしてたってくらいは言うかもしれないけど」
出来れば傘を買う為ってのは内緒にしておきたい。と悠は続ける。
何か考えがあっての事なんだろうし、その事についてはまあいいだろうと陽介は思う。
ずっと連絡が取れなかったのも忙しすぎてだろうし、折り返し電話するだけの気力もなかったんだろう。
取り敢えず、そんな忙しい夏休みを過ごした相棒を労わってやろうかと思う。
祭りもまだ楽しんで居ないだろうから。
女子はクマと行ってしまったから仕方ない、三人で回るかと思う。
「お疲れさん。何か奢ってやるよ」
「え?」
「お前祭りに来て直ぐ何処かに行って何も食ってないだろ」
「ああ、そう言えば」
「ほら、行くぞ」
「ありがとう」
「完二。お前は自分で出せよ」
「分かってるっすよ」
「陽介、俺も……」
「いいって。お前はそうやって金使うとまた足りなくなるぞ」
今度から何かあったら時間のあるときで良いから、メールくらいしろ。と陽介は言う。
連絡が取れない状態が続くと、正直何かあったのかと思ってしまうから。
いや実際何かあったのかとも思った。
何度か陽介も悠の携帯に連絡を入れている。
一度も繋がった事はなかったが、まあ話を聞けばそれも無理はないのだろうと分かる。
今回は、菜々子ちゃんのお陰で悠の姿を見る事が出来たからいいが。
もし連絡が取れなかった間ずっと姿を見る事が出来なかったなら――不安にかられたかもしれない。
いや、間違いなく不安にかられるだろう。
携帯が繋がらなかったあの時を思い出してしまうから。
見ないふりをしている出来ごとや感情が浮かんで来そうになって、陽介はそれを追い払うように首を左右に振る。
そんな陽介の耳に、心配そうな悠の声が届いた。
「陽介」
呼ぶ声に、我に返る。
歩きかけて立ち止ってしまった陽介を覗き込むようにして、悠が見ていた。
「どうしたんだ?」
「いや、何でもない」
「なら、さっさと行くッスよ」
先輩、何食べたいんですか。と完二が悠に聞いている声が聞こえる。
それを聞きながら、歩き出した二人を追い掛けるように、陽介も歩き出した。
浮かびそうになった出来事や感情にしっかりと蓋をして。
けれど、近いうちにそれと向き合う時が来る事を、何となく予感していた。
楽しそうな二人の隣に並んで、声を掛ける。
その後、悠が菜々子ちゃん達と合流するまでの間、三人で祭りを楽しんだ。
END
2012/01/25up