■雨宿り
定時を過ぎて仕事がやっと終わり、職場を後にして空を見上げる。
人工的な明かりのせいで月明かりを意識することは普段あまりないが、天気が良い日は空を見上げれば月を見ることが出来る。
けれど今日は、雲が掛かっているのか月も星もあまり良く見えなくて、雨が降りそうだなと陽介は思う。
急ぎ駅へと向かい電車へと乗り込んだ。
時間のせいか電車は空いている。
あいている席に座り、一つ溜息を吐き出した。
家に帰るまで雨が降らないといいと思いながら、窓の外を眺める。
人工的な明かりが流れていくのを、ただぼうっと見つめていた。
電車を降り、自宅へと向かおうと駅を出た瞬間、真黒な空から雨が落ちてくる。
今日、陽介は傘を持ってきていなかった。
そもそも、天気予報をチェックするのを忘れたのだ。
本降りになる前にと走りながら、思う。
高校生の時に関わった事件の時の癖で、あの時からずっと、天気予報をチェックするのは日課になっていた。
今でもそれは当たり前で、けれど今朝はその時間がなかったのだ。
そんな時に限って雨とは、本当についてないと陽介は思う。
家まであと5分程という辺りで雨が本格的に振り出し、仕方なく陽介は雨宿りが出来そうな場所へと移動した。
小さな公園の木の下へと入る。
完全に雨が凌げるわけではないが、何もないよりはましだった。
この辺りは住宅街で、近くには傘を買えそうなところもない。
家の近所にはコンビニがあるが、駅から自宅へと向かう途中の道にはなく、家を通り過ぎた先に、あるのだ。
それならば家に帰った方が早い。
駅で買って来れば良かったと溜息を一つ吐き出して、陽介は木の下から空を眺めた。
真黒な空から落ちてくる雨は、結構な量で、公園にある街灯に照らされて輝いて見える。
本格的に降っている雨は、しばらく止みそうになかった。
そう言えば、鳴上は傘を持って行ったのだろうかとふと思う。
今朝は陽介の方が先に出た為、分からなかった。
「あいつ、濡れてたりしないだろうな」
「お前と違ってちゃんと傘を持って出たからな」
「――、お前、いつからそこに……」
「陽介が公園に向かって走り出した辺り、だな」
「声掛けろよ……」
「掛けたが気付かなかったんだろ」
そう言って鳴上は傘を畳み、陽介の隣へと立つ。
何をするつもりだと鳴上を見れば、鳴上は微かに笑って告げた。
「一緒に雨宿りをするのもいいかと思ってな」
「……何でだよ。楽しいのか、これ」
「いや、楽しくはないな」
言いながら、それでも鳴上はそこを動こうとはしない。
一体何を考えているのか、陽介の隣に立ち、鳴上は真黒な空から落ちてくる雨を眺めていた。
その横顔を眺めて――浮かぶのはやはりあの日々。
あの時の思いも感情も痛みも、薄れてはいるがそれでも、忘れることの出来ない日々。
雨とあの日々は、どうしたって切り離せないものだから。
だから答えは分かっているが、聞いてみたくなった。
「なあ、鳴上」
「なんだ」
「お前、天気予報チェックしてるのか?」
「ああ、あれ以来欠かさずにな。……陽介も、だろ?」
「そうだな。ま、今朝は時間がなくてチェック出来なかったんだけどな」
「そういう時に限って雨が降るとか、陽介の運の悪さは相変わらずなんだな」
そう言って鳴上は笑う。
確かに自分でもついてないとは思ったし、あの事件を追っていた日々の中でも、何故なのか陽介は運が悪いとしか言いようのない出来事に何度か遭遇した。
ペルソナを駆使してテレビの中で戦っている時も、運のステータスが低いばかりに苦労した。
今でもそれは変わらないのか、運が悪いなと思うことは割とある。
だがそれでも、こうして大切な人と共に在れるのならば、いい。
何よりもそれが、一番重要な事なのだから。
天気予報をチェックするのは、誰もが当たり前にすることなんだろう。
けれど、陽介や鳴上にとっては少し意味合いが違う。
稲葉で起きた連続殺人事件は、雨が続き霧が出ると、テレビの中に入れられた人が命を落とす。
天気は人の命に直結していたのだ。
だから、天気予報をチェックしない訳にはいかなかった。
結局それが癖になってしまって、今でも二人は欠かさず天気予報をチェックしてしまう。
ただそれでも、時間がないからとチェックしないで出かけられる程度には、あの日々は過去になっていた。
忘れることは出来ないが、いつまでもあの日々に捕らわれたままではない。
どんな出来事もいつかは過去になるのだから。
「そう言えば鳴上、お前ここで何してるんだ?」
「玄関に陽介の傘があったからな、忘れたんだと思って来た」
「で? 俺の傘は? お前傘一本しか持ってないように見えるけど」
「持って来てないな」
「だから何で。何しに来たんだよ、お前」
「陽介を迎えに?」
「何で疑問形なんだよ」
あきれた様に陽介が言えば、鳴上は空を見上げたまま微かに笑う。
視線は空に向けたまま、どことなく楽し気に鳴上は言葉を紡いだ。
「雨宿りしていれば、雨止むんじゃないか?」
その言葉に視線を空へと移せば、確かに先ほどよりも雨足は弱まっていた。
もう直ぐ雨は止むだろう。
そう言えば、天気予報をチェックする癖のせいで、こんな風にこいつと雨宿りをしたことはなかったなと思う。
誰もいない公園の木の下、二人で雨宿りをしながらそんなことを思っていた。
そんな陽介の思考を読んだかのように、鳴上は言葉を紡ぐ。
「たまにはいいだろ? こんなのも」
「まさかお前、それで俺の傘持って来なかったのか」
「さあな」
そう言って鳴上は笑う。
それを見て陽介は自分の言った事が正解なのだと悟った。
昔からそうだ。
時々こいつは、陽介の予測もつかないことをする時がある。
玄関に置きっぱなしの陽介の傘を見て、「陽介と雨宿りしたことなかったな」とか唐突に思ったんだろう。
そしてそれを、実行に移した。
相変わらずの行動力だと、陽介は思う。
きっと、陽介を見かけて声を掛けたのだって、陽介に気づかれない程度に声を掛けたのだ。
はあ、と溜息が漏れる。
けれど、あの時のようにそれが命に関わるかもしれない事じゃないだけましかと思う。
この程度の事ならば、仕方ないから付き合ってやろうと、すっかり雨が上がった空を見て思っていた。
すっかり雨が上がった夜道を、会話を交わすこともなく、ただのんびりと歩く。
たまにはこんなのもいいかと思いながら、家へと向かった。
END
2016/07/04up : 紅希