■バレンタイン

今日がバレンタインデーだと知ったのは、同じ課の女性社員から、男性社員全員にひとつづつ配られたチョコレートを見て、だった。
いくつか回ってきたそれを持って、退社する。
社の受付の辺りまでくると、いつもと違い妙に騒がしいことに気が付いた。
何だろうと思いつつ、まあ自分には関係ないだろうと、鳴上は社の出入り口に向かって歩く。

「あ、悠先輩!」

途端に辺りに響いた聞き覚えのある声に足を止めた。
近づいてくる足音を聞きながら、騒ぎの原因はこれかと気付く。
高校時代の後輩で、今では大学生となったりせ。
彼女は今でもアイドルを続けていた。
”悠先輩”と呼んだりせが辿り着く前に、鳴上は腕を引かれた。

「鳴上、お前、りせちーとどういう関係なんだよ」

同じ課の先輩社員が小声で問う。
いつの間にか鳴上の周りには人だかりが出来ていた。
同じ課の人間が多いがそれ以外の人もいる。
見たことのない人まで集まっていて、改めてりせの知名度を知る。
鳴上は未だにアイドルには興味がないため、そういった事には疎かった。

「高校の後輩です」
「それだけか?」
「それだけです」

簡潔に答える。
本当にそれだけなのかという目を向けられているのが分かる。
単なる後輩というには親しすぎるとは思うが、それ以外に説明のしようがなかった。
あの頃稲羽で起こっていた出来事の真相を話したところで、誰も信じないだろうから。

人だかりの少し手前で立ち止まり、りせは鳴上を待っている。
こんな騒ぎに慣れているのだろう、全く動じた風もなく、遠巻きにしている人たちに小さく手を振ったりしている。
高校の時悩んでいたりせを知っているだけに、良かったとは思うが、会社には来ないで欲しかったと思っていた。
こんな風に騒がれることに、一般の人間は慣れていないのだから。
周りを取り囲む人たちに頭を下げて、りせの元へと近づく。
注目を浴びていて話しづらいが、極力普通に話しかけた。

「どうしたんだ? りせ」
「先輩が全然連絡くれないから、来ちゃった」

相変わらずな物言いに内心で溜息を吐く。
辺りがざわつくのが分かったが、反応するのも説明するのももう面倒だった。
それに多分、りせは説明してはくれないだろう。
周りからどう思われるか分かっていて言っているのだから。
こういう時にはそのことには触れないのが一番いいと言うことも分かっている。
それなりの時間を過ごして来たのだ。
だから、疑問に思ったことを問う。

「仕事中じゃないのか?」
「移動の合間に寄ってもらったの」

りせの言葉を聞き、社の出入り口の方を見ればそこに、見知った人影を見つける。
小さく頭を下げるその人に、鳴上は近づいた。
『もう、先輩相変わらずなんだから』という不満気なりせの声を聞きながら、鳴上はりせのマネージャーに声を掛けた。

「井上さん、お久しぶりです」
「鳴上くん、久しぶり。悪いね、りせが突然」
「吃驚はしましたけど、大丈夫です」

話しながら井上とりせを促して社の外へと向かう。
色々聞きたそうなそぶりをしている先輩達に気づかないふりをして、鳴上は外へと出た。
明日出社したら大変なことになるだろうな、と思いながら。

「それで、どうしたんだ? 何か用事があって来たんじゃないのか?」

社の外に出て、鳴上はりせに問いかける。
本当はもっと人目のつかない場所で話したいが、移動の合間に寄ってもらったと言っていたのだから、あまり時間はないだろう。

「先輩。はい、これ」

そう言って、りせは可愛らしい包みを差し出す。
それを受け取って、ああそうだった、バレンタインデーだったと改めて思った。

「ありがとう。わざわざ届けに来たのか?」
「そう。先輩と全然会えなくて寂しかったから、チョコレート届けに来たの。あ、そうだ先輩」
「なんだ?」
「花村先輩と会ってる?」
「ああ、たまに」
「良かった。それならこれ、花村先輩に」

そう言って、先程とは違う包みを渡される。
受け取って、鳴上は問いかけた。

「陽介には直接渡さないのか?」
「今日はもう時間取れそうにないから、先輩お願い」

顔の前で両手を合わせて、可愛らしく頼む。
高校の頃と変わらないその仕草。
けれど、やはりあの頃とはどこか違って見えた。
否応なしに時間の経過を感じる。
それもそうだろう、菜々子が来年中学生になるのだから。
そう言えば菜々子からも「お兄ちゃんにチョコレート送ったからね」と連絡が来ていた。
そんなことを思っていると、りせ、そろそろ、という井上の声。
その声に頷き、りせは言葉を紡いだ。

「悠先輩にだけはどうしても直接渡したかったから、頑張っちゃった」

それだけ言って、りせは手を振り去っていく。
その姿をしばらく見送って、相変わらずだなと思っていた。
渡されたチョコレートの包みを見て、どうやら市販品らしいことにほっと息を吐く。
料理の腕も相変わらずなんだろうかと思いながら携帯電話を取り出し、電話を掛ける。
コール音が響いて、すぐに相手が電話に出た。

「陽介、今日これから時間あるか?」
「あるけどさ。……何でバレンタインに鳴上と会わなきゃならないんだよ」
「お前宛のチョコレート預かったんだが、嫌ならいい」
「嫌だなんて言ってないだろ! って預かったって誰から!?」
「りせから」
「りせ? どういう事だよ? お前会ったの?」
「詳しいことは会ってから話す。今からお前の家に行くから」
「あ、おい、鳴上!」

叫ぶ陽介の声を無視して電話を切る。
明日の事を考えると憂鬱だが、取り敢えず今は、何だかんだ言いつつ用意して待っていてくれるだろう陽介の元へと向かうことにする。
りせのチョコレートだけでは何だから、途中で何か手土産を買って行こう。
久しぶりに会った、相変わらずなりせの事でも話してやろうと思う。
近いうちに稲羽へと帰ろうと思いながら、行き慣れた道を進んだ。

今日あった出来事を話せばきっと陽介は羨ましがるんだろう。
何で自分のところには直接持ってきてくれないのかとも言うだろう。
けれどきっと、大変な思いをしたであろう鳴上を労ってもくれる。
だが何より、久しぶりにりせに会ったせいか、今どうしてもあの頃の仲間に会いたかった。
りせのチョコレートを渡すというのは口実だ。
あの頃の仲間である陽介に、会いたい。
住んでいるところがそれ程離れていないため、時々会っているにも関わらず、出来る限り早く会いたかった。

稲羽へと帰るときには陽介も誘ってみようかと思いながら進む。
仲間達の事を思い描きながら、陽介の家へと向かった。

そう言えば、高校の時のバレンタインも陽介と過ごしたなと思う。
あの時は陽介の他に完二とクマもいた。
実は鳴上は何人かの女子からチョコレートを貰っていた。
一緒に過ごしたいと誘ってくれた人もいた。
けれど、鳴上が選んだのは、仲間の陽介達だったのだ。
誰か一人を選ぶことが出来なかったと言えば聞こえはいいが、そうじゃない。
もうすぐ稲羽を離れなければならない状況で、誰かと特別な関係になるのは嫌だったのだ。
仲間としてならば、離れてもそのままの関係で居られる。
けれど、そうじゃないのならば――自信がなかった。
まあ、特別な関係になりたいと思う相手がいなかったというのもあるが。

思い出し懐かしいなと思う。
陽介と会ったら、未だに雨が降ると思い出す、あの日々の事でも話そう。
決して良い思い出ではない、あの日々の出来事。
けれど、あの日々があったからこそ皆と出会えたのだ。
それに、良い思い出だって沢山あるのだから。

チョコレートを肴に飲もうと思い酒屋へと足を向ける。
買った酒を手に、鳴上は陽介の家へと向かった。
チョコレートを肴に、あの日々の出来事を話すために。
あの日々を共に駆け抜けた仲間の一人に会うために。



END



2017/02/19up : 紅希