■俄雨

祭りの花火を見に行こう、なんて言い出したのはどちらだったか。
休日でどちらも休みな上、普段忙しく休日出勤することも珍しくない相棒がこの休日は仕事に行かないなんて言ったのがきっかけだったように思う。
大勢の人で賑わう有名な祭りの花火ではないが、それでもそれなりの人がいた。
空が茜色から濃紺へと変わっていく時間に二人で花火の上がる場所へと向かう。
その途中にあった少し小さめの神社といい、祭りの規模と言い、何となく稲羽の祭りを思い出したのは自分だけだろうか。
そんなことを思いながら隣を歩く男へと視線を向ければ、懐かしそうな表情でその神社を見ていて、ああ同じことを思っているんだなと分かる。
こんなちょっとしたことが妙に嬉しかったりするから不思議だ。
夏特有の蒸し暑さの中吹く風は決して涼しいとは言えないが、それでも風があるだけましだ。
川を渡ってくる風なのに全く涼しくないところは、稲羽とは違う。
それでもやはり、あの夏、仲間と共に行った夏祭りを思い出す。
楽しかったな――なんて、今でも思う。
嫌なことも辛いこともあった。楽しい事ばかりではなかった。
むしろ辛く苦しい事が多かったように思う。
今考えれば少し恥ずかしく思うくらいには、ただまっすぐに前に向かって進んでいた。
それでも、あの日々を思い出せば楽しかったと思えるくらいには、陽介の中で稲羽で過ごした高校の一年間は特別なものだった。
今、隣を無表情で歩く男――鳴上悠に会えたのも、あの日々があったからなのだから。

花火の開始を告げる合図が辺りに響き、次いで”ドン”と響く大きな音。
濃紺の空に広がる色とりどりの火の花は、忙しい日常を一時忘れられるくらいには、綺麗だった。
二人無言でただ空を見上げる。
そんな二人の顔にぽつりと水滴が落ちて来たのは、花火が上がり始めて一時間程が経過した頃だろうか。
「雨」だと思った途端に、ザーっと音を立てて水滴が空から落ちてくる。
家を出る前に天気予報は確認したが、雨の予定ではなかったため二人とも傘は持っていなかった。
二人と同じように空を見上げていた人達も、慌てた様子で散り散りになっていく。
その様子を見て、互いに顔を見合わせて頷き合い走り出した。
目指す場所は、ここに来る途中にあった小さめの神社だ。

ずぶ濡れになりながらどうにか神社の軒下へと駆け込む。
途端に音を立てて降っていた雨が小降りになり――止んだ。

「俄雨か」

陽介と同じようにずぶ濡れになった悠が、ぽつりと呟く。
溜息交じりのその言葉を聞いて、陽介も言葉を返す。

「そうみたいだな」

つい先程音を立てて降っていた雨が嘘のように、濃紺の空には星が見えていた。
先程雨が降ったのが幻ではないと分かるのは、地面と陽介達が濡れているからだ。
早く帰って風呂に入らないと風邪引くよな、なんて思う陽介の耳に、悠の声が届く。

「キツネがいそうだな」

唐突にそんなことを悠が呟く。
何の脈絡もないことを唐突に言い出すのは相変わらずだった。
とは言え陽介は慣れたもので――伊達にそれなりの時間を共に過ごしてはいない。
この神社の雰囲気と祭りの規模が稲羽のそれに似ていた事から、当時テレビの中を探索する際何故かついてきていたキツネを思い出したのだろうと推察する。
何故か悠にやたら懐いていたよなあのキツネ、と陽介は思っていた。

「いつの間にかいたよな、あのキツネ」
「キツネの差し出す絵馬の願いを叶えていたら、ついてくるようになった」
「そんなこと言ってたな、そう言えば。……元気かな、あのキツネ」
「あれ以来会っていないが、あの頃と変わらない気がする」
「……俺もそんな気がするわ」

どことなく偉そうであまり可愛げのないキツネを思い出す。
あれから結構な年月が経っているが、何故かあのキツネはあのままのような気がするのだ。
キツネの話をきっかけに、あの頃の仲間達の話題へと移っていく。
あの当時の話から、今の彼らの話まで。
色褪せない思い出話に花が咲く。
とは言え、いつまでもここにいる訳にはいかない。

すっかり雨の上がった空をもう一度眺める。
俄雨のお陰か先程よりは少しだけ涼しくなっていた。
というより雨に濡れたせいか少し寒い。

「……帰ろうぜ。風邪ひきそう」

陽介の言葉に何故か悠はにやりと笑う。
何となく嫌な予感がした陽介が歩き出そうとした途端、悠の言葉が陽介の耳に届いた。

「暖めてやろうか?」
「……お前時々そういう事言うよな。いいから帰るぞ」

平然と陽介は返す。
こういうことを言われて陽介が照れなくなったのは、一体いつ頃からだったろうか。
最初は本当に戸惑ったものだ。
しかも悠は、割と素でそういう事を言う。
まあ、今回はわざとだろうが、そうでない時の方が圧倒的に多いから質が悪い。

何も言わずに悠は手を差し出す。
雨上がりの空の下、ずぶ濡れの男二人が手を繋いで歩く姿を想像して陽介は思わず笑う。
そうして差し出された手を無言で取った。

先程の雨が嘘のように月が辺りを淡く照らす。
ずぶ濡れで肌寒いが、繋いだ手が少しずつ温まって、そこから熱が伝わってくる。
淡い月明かりの下、二人手を繋ぎ歩く。
ずぶ濡れの体が冷たいから急ぐべきなのは分かっているが、何となくこの時間を少し長引かせたくて、ゆっくりと歩く。
それに何も言わずに悠が合わせて――少しだけゆっくりと二人は家へと向かった。



END



2017/06/30up : 紅希