■また、明日

2月もそろそろ終わりに近付いている。
あともう少しで、終業式だ。
そしてそれは、鳴上との別れを意味している。
二度と会えない訳じゃない。
いつでも来ればいいと鳴上自身も言っていたし、陽介だってそのつもりでいる。
相棒と呼べる関係を、これきりにするつもりなんてない。
だがそれでも、学校に行けば会えていた今までとは違う。
別れる時の挨拶が「また、明日」ではなくなる。
休日にこんな風に簡単に訪ねて行ける距離でもない。
それが、寂しいと思う。
だからなのだろうか。
2月に入ってからというもの、陽介は休日の度に堂島家へと向かう。
連絡もなしに訪ねて来る陽介に最初のうちは多少驚いていた鳴上も、今では呆れたような反応さえ見せなくなっている。
そして今も鳴上は、連絡もなしに訪ねてきた陽介を見ても表情一つ変える事無く、中に入るように促していた。
二階の鳴上の部屋へと通されて、いつものように珈琲が目の前へと置かれる。
そうして、ソファに座っている陽介の隣に座って、鳴上は本を読み始めた。
それも、いつもの光景。
本を読んでいる鳴上をちらりと見て、陽介は珈琲を一口飲む。
そうして、部屋の中を見渡した。
この部屋へと来る度に、鳴上がこの部屋で過ごした形跡が少しずつなくなっていく。
引っ越すのだから当然だが、荷物は纏められて、大量にあった本でさえもう僅かしか残っていない。
代わりに部屋の片隅に積んである段ボールが目につく。
あと少しすればその段ボールさえもなくなるんだろう。
そして、今隣にいる鳴上も、いなくなる。
二度と会えない訳じゃない。
そんな事は分かっている、分かっていても――寂しさは拭えない。
鳴上は、何も聞かない。
毎週何の連絡もなく訪ねて来る陽介に、一度も理由を聞いた事がない。
こいつの事だ、多分分かってるんだろう。
何故陽介が毎週訪ねて来るか、なんて。


「なあ、鳴上」
「なんだ?」
「何で何も聞かねーの」


何故そんな事を聞いたのかなんて、分からない。
陽介が訪ねて来る理由を、鳴上がわざわざ聞く必要もないし。
陽介だって聞かれたいと思っている訳じゃない。
寂しいなんて、どうせそんな事素直に言える訳もないんだから。
なのに何故こんな事を聞いているのか、陽介は自分でも良く分からなかった。
本から視線を上げて、鳴上はじっと陽介を見つめる。


「……」
「普通何の連絡もなく毎週訪ねて来たら、理由聞かないか?」
「理由なんて必要ないだろ」
「――は?」
「お前は、友達の家を訪ねるのに、いちいち理由が必要なのか?」


はあ、と深い溜息を吐きだして、呆れたようにそれだけを言って、鳴上は再び本を読み始める。
驚いたような表情でしばらく鳴上を見つめて、陽介は笑い出した。
突然笑い出した陽介に、鳴上は煩いと言わんばかりの視線を向ける。
友達の家を訪ねるのに理由なんて必要ない。
そんな当たり前の事に何故気付けなかったのか。
会いたい、ただそれだけでもいいのだ。
そう思っていたはずじゃなかったか。
鳴上が引っ越してしまっても、会いたいと思えば会えるのだ、と。
そうそして、分かってしまった。
何故毎週何の連絡もせずに鳴上を訪ねるのか、を。
実感したかったのだ、連絡もなく訪ねて、受け入れて貰えるのだと言う事を。
物理的な距離ではない近さを、確認したかったのだ。
離れてしまっても大丈夫なのだと、実感したかった。
この街に越して来る前の友人のように、いずれ連絡が途絶えてしまうような関係じゃないのだと、今と変わらない関係がずっと続くのだと確認したかった。
はあ、ともう一度深いため息が聞こえてくる。


「大体陽介は、考えすぎなんだ」
「そっか? 何も考えてないって言われるけどな」
「まあ確かに、な」
「お前ね、そういう時はそんな事無いって言うもんだろ」
「余計な事ばっかり、無駄に考えるからな陽介は」
「何だよそれ」
「言っただろ。いつでも来ればいいって。――相棒、だろ?」


いつの間に本を閉じていたのか、読んでいた本は閉じられていて、鳴上は不敵な笑みと表現するのがぴったりな表情で陽介を見ている。
ああ、敵わないなこいつには、と陽介は思う。
離れてしまう距離に不安を感じていた事も、寂しいと思っていた事も、気付かれていたのだ。
もうこんな風に気軽に家を訪ねる事も出来ない。
そう思ったからこそ、今はまだそれが出来るのだと証明するかのように、その距離の近さを確かめるかのように。
陽介は何の連絡もせずに突然、鳴上を訪ねていたのだ。
そうして、距離の近さを実感していた。
鳴上の中に確かに己の存在があるのだと、実感したかった。
こんな風に確かめるまでもなく、鳴上が示していてくれていた事にさえ気付かずに。
だから、無駄に考えると言われるんだろうが、仕方がないと思う。
大体分かり難い鳴上も悪いのだ、そう陽介は結論付ける。
誰に対しても鳴上は同じように接する。
特別捜査隊の仲間には多少気を許しているのは分かるが、それでも誰かを特別に扱う事はない、と思う。
りせには鳴上の態度は陽介にだけ違うのだと言われた事はあるが、自分では良く分からない。
だから実感したかったのだ。
物理的な距離が離れてしまうからこそ、実感したかった。


「分かってないのはお前くらいだ」


呆れたように呟かれた言葉は、何に対してなのかは分からない。
ただ、珍しく鳴上が不機嫌だと言う事だけは分かった。


「大体陽介が言ったんだろ、相棒だって」
「そう、だけど」
「なら、責任持て」
「責任って、なんだよ」
「自分で考えろ」


それだけ言って鳴上は立ち上がる。
何処へ行くのかと慌てて立ち上がろうとした陽介に、鳴上が紙を押し付ける。
押し付けられた紙を見て、陽介は部屋を出て行こうとする鳴上に問いかけた。


「おい、これって」
「俺の家の住所。――責任持って訪ねて来い」


それだけを言って、鳴上の姿は部屋から消えた。
しばし呆然と押し付けられた紙を見て、陽介は力が抜けたようにソファへと座り込む。
はは、と乾いた笑いを漏らして、呟く。


「こんな住所だけで訪ねて行けるかよ」


陽介も都会に住んでは居たが、鳴上の家がある住所とは違う街だ。
鳴上の家がある街へは一度も言った事がない。
だから、住所だけではどうやったって辿り着けるはずがないのだ。
それでも、渡された住所が、嬉しかった。
住所を渡されたからと言って、この先ずっと今のような関係が続く保証になった訳じゃない。
それでも、何故なのか大丈夫なのだと思えたのだ。
じっと渡された住所が書かれた紙をしばらく眺めて、それをポケットにしまう。
そうして立ちあがって、陽介は下に行ったきり戻って来ない鳴上の元へと向かった。

また、明日。
そんな別れの挨拶をかわせるのも、後少し。
でも、だからと言って全てが終わってしまう訳ではないのだ。
物理的な距離が遠くなっても、関係が変わる訳じゃない。
毎日顔を合わせる事が出来なくなっても、友と相棒と呼べる関係が変わる訳じゃないのだ。
そんな事を思いながら下りて行けば、菜々子と二人で何かを作って居たらしい鳴上が気付き、振り返る。


「何やってんだ?」
「あのね、お兄ちゃんと一緒にご飯作ってるの」


嬉しそうに菜々子が答える。
見ればどうやら、鳴上が菜々子に料理を教えているようだ。
鳴上はあまり手を出さないようにしているようで、だからこんな時間から昼食を作っているのだろう。
明らかに昼食を作り始めるには早い時間だ。
だが料理に慣れていない菜々子が作るのならば、妥当な時間だろう。
鳴上が帰ってしまっても、菜々子が料理を作れるように、なのだろう。
以前なら鳴上が主に作って菜々子が少し手伝う程度だった。
今までとは少し違う光景。
こんな事からも、鳴上がもう直ぐここ稲羽から居なくなるのだと実感させる。
けれど、この家に来たばかりの時のような寂しさはない。
いや、寂しいと思わない訳じゃないのだ。
ただ、寂しさの種類が違う。
変わらないのだと、もう分かったから。
そんな事を思いながら二人に近付けば、すかさず鳴上が言葉を紡ぐ。


「出来たら呼ぶから上で待ってろ」
「お前ね、邪魔にするなよ」
「仕方ないだろ。ここに三人は無理だ」


まあ、確かに。
そう思い、陽介はテーブルの方へと向かう。
ちらりとそんな陽介の様子見て、鳴上は再び菜々子へと意識を戻した。
料理する二人を眺めながら、実感する。
きっとまたいつか、こんな光景を見る事が出来るような気がする。
陽介が鳴上の家を訪ねるように、きっと鳴上もここ稲羽へと来るだろう。
今日この家へと来たばかりの頃には全く思う事もなかった事を思いながら、陽介は思わず微かに笑った。

また、明日。
その別れの挨拶が出来なくなっても、「またな」という別れの挨拶は出来るのだから。



END



2011/11/19up