■存在

11月12日、土曜日。
菜々子ちゃんが行方不明になって以来、放課後は毎日TVの中の探索をしていた。
彼女が作りだしたと思われるダンジョンは、優しくて温かくて、けれど寂しい。
まだ小学生の彼女が、この世界でいつまで耐えられるのか。
彼女の体力が尽きる前に――仲間の誰もがそう思っていた。
あの体力のありそうな完二でさえ、TVの中から救出した後はしばらく、学校を休んでいた。
ならば菜々子ちゃんは、考えだしたら不安で仕方がない。
だが恐らく自分よりももっと――そう思い、自分の前の席の男の背を眺める。
あの日、菜々子ちゃんが行方不明になった後も、鳴上は今までと変わらないように見えた。
取り乱した様子もなく、焦った様子も見せない。
今までTVの中へ入れられた者達を助けて来た時のように、冷静に行動しているように見えた。
はあ、と小さく陽介は溜息を吐く。
鳴上の普段と変わらない様子を疑う者は居ない。
それは、特別捜査隊の仲間達も、同様だった。
だが、陽介は気付いていた。
鳴上のその態度が、作られたモノである事に。
菜々子ちゃんが誘拐された事に責任を感じている事にも。
そして、鳴上の身体がそろそろ限界だろうと言う事にも。
リーダーである鳴上以外は、交代で戦う。
連日戦い続けているのは、鳴上だけだ。
比較的戦闘メンバーに入る事の多い陽介でさえ、今日までの間に二日は戦闘メンバーから外れている。
鳴上が皆の様子を見て、一緒に行くメンバーを毎回決めるからだ。
それに恐らくは余り眠れても居ないのだろうと陽介は思う。
今日は朝から鳴上の様子が可笑しい。
陽介以外誰も気付いていないようだし本人も何も言わないが、恐らく体調が悪いのだろう。
はあ、ともう一度小さく溜息を吐く。
誤魔化せると思ってるのかと内心で呟いて、普段と変わらない態度を貫く目の前の男の背を睨みつけた。

そしてまた今日も、TVの中を探索する。
戦闘メンバーは陽介、完二、そしてクマ。
陽介はいつものように、鳴上の後ろから着いて行く。
真っ直ぐに前を見据えて進むその背を、睨むように見つめながら。

現れたシャドウを倒し、先に進もうとした瞬間、ふらりと鳴上の身体が僅かに傾く。
恐らくそれを見たのは陽介だけだろう。
朝からずっと気になっていたのだ。だから気を付けていた。
だからこそ見逃さずに済んだ。
やっぱり、と思うと同時に浮かぶのは怒りに似た感情。
だがそれでも、そうまでしてでも先に進もうとする鳴上の気持ちもまた分からないでもないから。
武器を握り締めた手を、強く握り締めて小さく息を吐きだす。
ちらりとさり気なく周りの様子をうかがう鳴上に気付かれないように、陽介は勝てた事ではしゃいでいる完二とクマへと声を掛けた。
その様子を見て、ほっとしたように鳴上が溜息を吐いた事を、陽介は見逃さなかった。
ここのシャドウは雑魚とは言えかなり強い。
だがそれでも、今日は苦戦する事が多すぎる。
ナビゲーターのりせの切羽詰まった声を何度聞いたか。
苦戦の上勝つもんだから、完二とクマは異様にテンションが上がっている。
もしかしたらそれも計算のうちなのかもしれないとは思う。
苦戦して長期戦になっても、このメンバーならば体力的にどうにかなる。
直斗や雪子が居たら、そろそろ引き返さなくてはならない頃だろうから。
とは言え、これ以上進む訳にはいかないだろう。
どうにかしなくてはならないと思う。
ふぅ、と息を吐きだして、また現れたシャドウへと陽介は向かって行った。

シャドウを倒して、息を吐きだす。
少々大げさによろめいて見せれば、すぐさまそれに気付いた鳴上が心配そうに声を掛けてきた。


「陽介、大丈夫か?」
「あー、何かちょっと駄目かも」
「なら、誰かと――」
「出来れば今日はこれで帰りたいんだけど」


誰かと交代しろと言いかけた鳴上の言葉を遮って、陽介は帰りたいと告げる。
ここで誰かと交代してこのまま進むのでは意味がないのだ。


「……」


無言で探るように陽介を見据える鳴上。
そんな二人のやり取りを見ていた完二が、呆れたように言葉を紡いだ。


「もう疲れたんすか、花村先輩。だらしないっすね」
「違うっての。……ちょっと調子が悪いんだよ、風邪かもな」
「――分かった」


深い溜息を一つ落としてから、やっと鳴上は肯定の返事をする。
今日は此処までだという鳴上の言葉で戻る事になる。
ふぅ、と小さく息を吐きだして、陽介も皆の後を着いて歩き出した。

ジュネスの外で鳴上と陽介は仲間達が帰って行くのを見送る。
陽介の事を心配する皆に、鳴上が「俺が送って行くから」と告げた事でそれぞれ帰って行ったのだ。
陽介の家に居候しているクマには、陽介が先に帰るように告げた。
理由を問われたが、適当に誤魔化した。今日は多分帰らないとも告げた。
不審そうな顔をしてはいたが、それでもクマは家へと帰って行く。
そうしてその場には鳴上と陽介の二人が残された。


「……なあ、陽介」
「お前さ、誤魔化せると思ってたの?」
「何の事だ」
「調子悪いだろ、朝から」
「それは、別に……」


言いながら陽介から少し離れようとする鳴上の腕を掴み、引き留める。
鳴上の方が陽介より力は強い。
だから、この程度振り払うくらい普段ならば造作もない事なのだ。
それなのに――されるがままってのはどういう事だと陽介は思う。
溜息を一つ零して、自分よりも背の高い男の額へと手を当てれば、案の定熱くて、もう一度陽介は深い溜息を零す。


「熱あんじゃねーか」
「……」
「――帰るぞ。送って行ってやる」
「……陽介、お前調子悪いってのは」
「嘘だよ。そうでも言わないとお前、あのまま先に進んでたろ。それに、あいつらには知られたくなかったんだろ、調子悪いの」
「……ああ、まあな」


溜息を一つ零して、諦めたように鳴上は言う。
途端に陽介に体重が掛って、慌てて陽介は凭れかかってきた鳴上を支えた。


「ちょ、鳴上。重いって」
「悪い。限界、みたいだ」
「何だってこんなんなるまで頑張るんだよ」
「急がないと……菜々子、が……」
「分かってる、分かってるから。ほら、もう少しだけ頑張れ。流石にお前を抱えて家まで歩くのは無理だから」


素直に頷きどうにか歩きだす鳴上を見て、陽介は溜息を吐く。
こんな状態で先に進んでどうするつもりだったのか。
いやきっと陽介が指摘しなければ、このまま平然と家に帰っていたのだろう。
先程仲間達に言ったように、陽介を家まで送って何事もないように帰ったんだろう。
陽介にバレた事で気を張っていたのが切れて、一気に来たのだろう。
今家には独りなのに、どうするつもりだったのか。
何も言ってくれなかった事に対して怒りに似た感情が湧きあがる。
だが今は、取り敢えず鳴上を家に連れて帰る事が先決だ。

陽介に支えられて歩いていた鳴上がよろけて、陽介に体重が掛る。
ぐっとどうにか倒れずに耐えれば、気付いたらしい鳴上が「悪い」と謝る。
それに頷くだけで返して、支えて歩く。
陽介の方が背が低い為、鳴上を支えて歩くのは正直大変だ。
だがそれでも、耐えて歩く。
そうしなければ、余計な事を言ってしまいそうだというのもあった。
何故何も言わなかったのか。
鳴上にとって自分はその程度の存在なのか。
――体調の悪い相手に言う言葉じゃない事くらい陽介にも分かる。
だがそれでも、口を開いたら言ってしまいそうで、支えるのが大変だと言う振りをして、陽介はただ只管黙って歩いていた。

堂島家に着き、二階の鳴上の部屋へと行く。
本当は何か食べて、薬を飲んだ方が良いんだろうが、陽介は食事を作る事が出来ない。
何か買ってくれば良かったかと思ったが、それも無理だっただろう。
着替えて、ぐったりと布団に横になる鳴上を見て、陽介は問う。


「何か食えそうなものあるか?」
「いや、いい」
「そうか」
「悪かったな。陽介も帰った方がいい。疲れただろ」
「あのなあ、こんな状態のお前独り置いて帰れる訳ないだろ」
「……」
「今日は泊まっていくよ。明日もTVの中に行かせる気はないからな」
「……っ、陽介」


不安そうな切羽詰まったような声で、鳴上が陽介の名を呼ぶ。
横になっている鳴上の直ぐ傍らに座って、陽介は微かに笑みを浮かべて告げた。


「大丈夫だよ。菜々子ちゃんは必ず助ける。だから今は、休め」
「――ああ」


ほっとしたように頷いて、鳴上は目を閉じる。
タオルでも濡らしてこようと思い、陽介は立ち上がり部屋を出ようとする。
途端に、「陽介」と名を呼ばれて、立ち止った。


「陽介なら気付いてくれると思ってた。……ごめん、ありがとう」


たったその一言で、ずっと渦巻いていた感情は収まってしまう。
気付いてくれるというのは、体調が悪かった事なのか、それともずっと不安を抱えていた事なのか。
恐らくは両方なんだろう。
見れば、言うだけ言って満足したのか鳴上は静かに寝息を立てていた。


「全く。そう思ってんなら言えよ」


そう言って溜息を吐く。
気付かないはずがないだろう、そう心の中で思う。
むしろ、他の仲間達が気付かない事の方が陽介にしてみれば不思議だった。
鳴上が菜々子ちゃんの事を本当の妹のように可愛がっている事くらい知っている。
家族が行方不明になって、しかも霧が出るまでに助けなければどうなるか分かって居て不安にならない方が可笑しい。
天気予報を見る限り、時間はもう少しある。
とは言え、早く、そう思う気持ちも分かるし、陽介だって同じように思っているのだから。
不安を表に出さないようにしている事も、分かる。
体力的にもそろそろ限界だって事も分からない方が可笑しいだろうと思う。
戦ってる最中も、動きはいつもより鈍かったし、判断力も明らかに低下してた。
何よりも、朝学校へと来た時から様子が可笑しかったのだから。
だが、体調が悪いのだと言われたら、TVの中に行かせはしなかった。
陽介に言わなかった理由は、恐らくそれだろう。
菜々子ちゃんを早く助けたいと言う思いは、陽介だって一緒だ。
だからと言って、鳴上に倒れられるのは困る。
リーダーだからじゃない、陽介にとって鳴上は大切な存在だからだ。
もう二度とあんな思いはしたくない。

互いに互いの想いは分かってはいる。
陽介にとって鳴上は、目の前で倒れられたら取り乱す自信があるくらいに大きな存在だ。
だが、鳴上にとっての自分は――どれ程の存在なのか。
いつだってそんな不安を抱いている。
隣に立ちたいと願っても、いつだってその存在は遠くて、手を伸ばしても届かない気がするから。
向けられる想いを知っていても、不安は拭えない。
だからこそ、何も言ってくれなかった事に腹が立った。
その程度の存在でしかないのかと、思った。
だが、そうじゃないのだと分かったから。


「始めて、だったな」


先程、不安そうな切羽詰まったような声で名を読んだ鳴上を思い出し、陽介は呟く。
気付いてはいた。鳴上が、不安を感じている事にも、責任を感じている事にも。
だからこそ、焦っている事にも。
だが、それを露わにしたのは、始めてだったのだ。
こんなになる前に吐露してくれたらと思わないでもない。
だがそれでも、不安を露わにしたのは、陽介の前だったからなのだろうから。
――今はそれで満足しておいてやるよ。
そう、陽介は思う。
出来る事ならばもっと頼って欲しいとは思うけれど、あんな不安な表情を見た事があるのは恐らく陽介だけだろうから。
取り敢えず今は、それでいい。
遠かった存在に少しだけ近付けた気がして、陽介は微かに笑って、静かに部屋を後にした。



END



2011/12/09up