■晴れた日に

 幕府の正規部隊としては認識されていない新選組にも、時折、入隊志願者がやって来る。
 彼らの配属先は、大方、腕前や戦力を考慮して幹部が決めていく。
 俺が言うのも何だが、土方隊に配属されたヤツらは貧乏くじを引いたと思っている事だろう。
 だが、中には望んで志願して来る物好きもいた。

 「お願いします! 俺を土方さんの隊に入れて下さい!」

 このところ俺に纏わりついて来る隊士も、そういう者の一人だった。
 毎日毎日、顔を合わせるたびにそうやって頭を下げる。
 小犬のような…というのはこういうヤツのことを言うんだろう。
 平助の人懐っこさに総司の奔放さと新八の豪快さを足したような性格だ。
 副長という立場に媚びる狡猾さも、近付いて何事か企むような悪賢さも感じられない。
 ただ真っ直ぐに、大将と決めた相手の背中だけを見て戦いたい。
 その思いだけで突き進んでいるような男だった。

 「そろそろ入隊を許してやってもいいんじゃないかい?
  この人、と決めた大将の元で武士になりたいって想いは…あんたが一番分かってるだろうに。」
 「………そう、だな。」

 見かねた源さんにとりなされる形で配属を許可すると、隊にもすぐに馴染んでしまった。
 良く言えば『一途』、悪く言えば『馬鹿正直』。
 体力の限界まで稽古に励み、豪快に食い、よく笑った。
 俺の機嫌が良かろうと悪かろうと毎朝必ず挨拶に来る。
 何があろうと必ずそうすることを、自分に課しているようだった。
 新選組では朝飯だけは幹部全員が顔を合わせて食うという決まりごとがある。
 遅れた幹部には誰かが声をかけなけりゃならない。
 誰もが嫌がる“鬼の副長”を呼ぶ役も、そのうちそいつが勝手出るようになった。

 「土方さん、おはようございます! 朝飯、出来てますよ!」
 「……うるせぇ。朝から騒がしいんだよ、お前は。」

 ほとんど寝ていない時は、取り繕う気も起きずに不機嫌さを表に出す。
 それでもそいつは『すみません』と言いながら笑った。
 ―――正直に言えば、その明るさに暗い気分から引っ張り上げられる時もあった。


 だが、一度だけ、その笑顔が消えるのを見た事がある。
 毎日共に稽古に励んでいた同期入隊の隊士が、浪士に斬り殺された時だ。
 巡察の時に小競り合いになって怪我を負わせた浪士と、その仲間が闇討ちをしたらしい。
 視界の悪さを狙ったんだろう。その夜はしとしとと冷たい雨が降っていた。
 遺体が見つかった時には雨はやんでいたが、浅葱色の羽織はずっしりと重く濡れていた。
 せめてもの救いは、何度も執拗に斬られておびただしい出血量だったのが、雨で流されていた事だった。

 「土方さん、俺は……晴れた日に、死にたいです。お天道様の下で、胸張って。」

 友の遺体に取り縋るようにしてひとしきり泣いた後、そいつは呟くように言った。
 無様でも良いから武士として戦ってる最中に死にたい…と。
 嗚咽で途切れ掠れる声だったが、はっきりと聞き取れた。
 俺はただ『そうか』としか答えられなかった。
 ―――何度その場に臨んでも、死に慣れる事なんて無い。


 それから2、3日経っただろうか。
 鬱陶しいくらい毎朝顔を見せていたそいつが、ぷっつりと現れなくなった。
 体調が良くないらしいと隊士たちは言う。
 集団生活をしていると周りから貰うらしくて、丈夫なヤツでもたまに具合が悪くなる事がある。
 友を亡くして意気消沈していたから無理もないだろうと、その時は思っていた。
 だが、事態は最悪な方向に進んでいた。―――俺の全く知らないところで。


 「……ひじ、かたさん。」

 久々に顔を見せたそいつは、月明かりが当たっているのを差し引いても、ひどく青白い顔をしていた。
 庭に立って、縁側に居た俺の方に向かって歩いて来る。
 ゆらり、ゆらり、ゆらり、と。
 歩き方を思い出しながら進んでいるような、ぎこちない動き。
 ざわざわと嫌な予感がした。

 「どうした。体調は良くなったのか。」

 出来るだけ平静に声をかける。
 答えより先に、刀を抜く音が返った。

 「良い、とは言えませんけど…もうすぐ良くなりますよ。」
 「なに?」
 「土方さんはすごい人だ。俺の憧れだから。」
 「…………」
 「土方さんの血を飲めば、きっと、すごく強くなれます。」

 くつくつと声だけで笑う。
 その笑みは、ついこの間まで毎日見せていた楽しげな姿とは全く別人のものだった。
 刀を構えたそいつを睨みつけると、その髪が白く変じた。目も赤くぎらつき始める。
 くそっ! 馬鹿な事を……!!!
 驚きと腹立たしさに奥歯を噛みしめる。

 「変若水を飲んだのか。」
 「……強く…なるんです。土方さんも力を貸してくれますよね?」
 「力を貸す、だと?」
 「少しでいい、俺に、血を分けて下さい。」

 憧れの副長を殺したりしませんから、と言ってそいつが刀を振りかぶる。
 その動きをじっと見据えながら、自分の刀に手をかけた。
 そして振り抜きざま、胴を斬り払う。

 「馬鹿野郎が。」
 「…あ、れ?」

 斬られた腹部をぎこちなく見下ろしながら、途方に暮れたような顔をする。
 羅刹になってしまった者は、一度の太刀傷程度で死ぬ事はない。
 だからその身体にもう一度、今度は袈裟がけに刀を振り下ろした。
 非情だとは思わない。……そう思われても仕方ないだろうが。

 「ひじさん…なんで。」
 「悪いが、俺の血はやれない。」

 信じられないといった表情で左右に首を振る。
 その動作も長く続かずに、そいつは刀を放してガクリと崩れ落ちた。
 倒れようとする身体を近付いて抱きとめる。
 隊士の最期を看取る事も隊長の務めだからと、覚悟を決めて静かに息を吐いた。

 「ひじかた、さん。」
 「何故、変若水を?」
 「土方さんの、役に立てるって…言うから…」

 何事も成さずに死にたくなかった、せめて土方さんの役に立ちたかった…と。
 謝罪とともに口にする理由に怒りがこみ上げる。
 誰がそんな事を、とは問わなかった。
 他の幹部の判断を待たず、変若水を飲ませる事が出来る者など限られている。
 『君は副長の役に立ちたいとは思わないのですか?』
 その口調まで想像が出来た。

 「馬鹿野郎が。変若水なんて飲んじまったら…お天道様の下で戦う事も出来ないだろう。」
 「……そう、でした。晴れた日に、死にたいって、言ったのに。」

 すみません、と力なく言う頬に涙がつたう。
 それが最期の言葉だった。
 幕命だから仕方ないと言い訳をして続いている変若水の実験で隊士を亡くすのは、何人目だったか。
 新選組に命を預けた隊士を、武士らしく死なせてやれなかったのは、何人目だったか。
 肩に乗っかる失くした命の数が、また重みを増した。


◇◆◇



 「あ…あの…土方さん、起きていらっしゃいますか?」

 部屋の外から遠慮がちに問われる。
 “鬼の副長”の寝起きを伺うのに余程委縮しているのか、小さな声は震えているようだ。
 呼んでもいないのに平隊士が副長の自室に近づく事はまず無い。
 おそらく、山南さんあたりの言いつけで呼びに来させられたのだろう。
 だとすれば、あの人も機嫌が悪いという事か………。

 『起きていらっしゃるも何も、昨夜は一睡もしてねぇよ』

 不機嫌さに任せて口にしそうになった八つ当たりをとっさに飲み込む。
 朝から総長と副長の両方に嫌がらせを受けては堪らないだろうからな。

 「ああ、起きている。朝飯だったらすぐ行くと伝えておいてくれ。」
 「は、はいっ! 失礼しました!」

 逃げるように立ち去る足音を聞いて苦笑した。
 聞き慣れない声は、先日土方隊に配属されたばかりの隊士のものだったろうか。
 別に、無駄に愛想を振りまいて隊士の気に入られようとは思わないが。
 またしばらく、身近な隊士に怯えられる日々が続くらしい。

 チクリと胸が痛むのを感じながら、仰いだ空は青く晴れ渡っていた。



END



2011/02/11up : 春宵