■手

最初のうちはずっと、違和感を感じていた。
己の手をじっと見つめる事も、あった。
以前は確かにこの右手に握られていたはずの神機は、今はない。
もう二度とブラッドサージをこの手にする事はないだろう。

アラガミ化した右腕を可変式神機へと変えて、戦う。
近接でしか戦った事のなかったリンドウは、最近まで遠距離の攻撃に慣れなかった。
近接攻撃でも、違和感はあった。
ブラッドサージとは明らかに重さが違う。
最初の頃はアラガミへと神機を振り下ろすタイミングが合わなかった事もあった。
やっと最近、違和感を殆ど感じなくなった。
だがその代わり、どうしようもなく恐怖に囚われる事がある。
違和感がなくなるにつれて、それは逆に増していった。
以前とは違い、アラガミ化したこの手は、簡単に仲間の命を奪う事が出来るだろう。
神機に変形させる必要もなく、簡単に。
いつの日か――そんな思いが、違和感がなくなるにつれて強くなっていた。

任務を終えてアナグラへと戻って、エントランスで仲間と話をしているソーマをちらりと見て、リンドウは声を掛ける事もなくエレベーターへと乗り込む。
そのまま自室へと戻って、ソファへと沈み込んだ。
新人の教育係と言う事になっているが、それ以外の任務が入らない訳でもない。
人手不足なのは、相変わらずなのだから。
だから疲れていると言うのもあるが、どちらかと言えば精神的な意味で疲れているのだろう。
戦いの最中に感じる高揚感。
それは以前もあった事だが、最近時々それに全てを呑みこまれてしまいそうな感覚に陥る事があるのだ。
どうにか自分を保って戦ってはいるが、そのせいで余計に疲れる。
深い溜息を一つ零して、リンドウはアラガミ化した右手をじっと見つめた。
やはりこのせいなのだろうかと思う。
そうだとするならば――もう二度と手放せないと思った存在を、また手放さなければならないかもしれない。
じっと右手を見つめたまま、再び深い溜息を吐き出す。
リンドウが行方不明になったあの出来事で、イヤと言う程思い知った事があるのだ。
この手で掴めるモノなど、それ程多くはないのだと。
この手で護れるモノなど、限られているのだと。
だからこそ、大切だと思うモノを、手放してはいけないのだと、思い知ったと言うのに。
また、手放さなければならないかもしれない。
ふぅ、と息を吐き出して、天井を仰ぎ見る。

「どうするかね」

そんな言葉を口にしてみても、答えなど簡単に出るはずもなかった。
しばらく天井を見つめて、目を閉じる。
疲れているはずなのに、眠気は訪れそうになかった。

扉をノックする音に、リンドウは目を開く。
扉へと視線を移して、言葉を紡いだ。

「開いてるぞ」

言えば、扉が開いて、部屋に入って来たのはソーマだった。
驚いたが、それを表には出さずに、部屋には入ったが入口付近で立ち尽くすソーマを見て言葉を紡いだ。

「そんな所に立ってないで、こっちに来いよ」

リンドウの声が聞こえていないはずはないのに、ソーマはその場から動かない。
ソファに座っているリンドウを睨むように見据えて、無言で立っていた。
そんなソーマを見て、リンドウは溜息を吐きたくなるのをどうにか堪える。
どうやらソーマは、かなり機嫌が悪いらしい。
まあ、思い当る節がない、とは言わないが。
此処しばらく、エントランスや食堂でソーマを見掛けても、声を掛ける事はなかった。
そんな事は、ソーマと出会ってから初めてと言ってもいいかもしれない。
あからさまに無視している訳でもないが、とっくにソーマも気付いていただろう。
だが、話し掛けてしまえば手を伸ばさずにはいられなくて。
そう簡単に呑みこまれるつもりはないが、それでも躊躇する。
いつどうなるかなんて、誰にも分からないのだから。
右手へと視線を落とす。
無言でそれを見ていれば、直ぐ傍に気配を感じて、顔を上げればソーマがリンドウの隣に腰を下ろす所だった。
機嫌は直ったのか? と思い見ていれば、ソーマが言葉を紡ぐ。

「俺は、簡単に殺されてやるつもりはねえよ」
「――っ、お前」
「当たり、か」

つまらなそうに言ったソーマを見て、リンドウは溜息を吐き出す。
何だってこんな時ばかり鋭いのかね、と思い苦笑を浮かべた。
そして相変わらずだが、直球だ。
回りくどく外堀を埋めて行くやり方を、ソーマは好まない。
好まないというよりは、出来ないのだろう。
だからと言ってもう少し他にと思いはするが、ソーマだからと思えば納得もしてしまう。
機嫌が悪かったのは、このところリンドウがソーマを避けていた事に気付いたからだろう。
そしてこの部屋へと来たのは、怒りとそして心配。
俺の事なんか放っておけばいいのに、とリンドウは思う。
そう思うのに、隣にソーマの姿がある事に安堵もしていた。
手を伸ばして、温もりに触れてしまえばもうどうにもならなくて。
引き寄せて腕の中に捕らえる。
伝わる温もりに安堵して、失いたくないと改めて思う。
この手でその命を奪うなんて、冗談じゃないと思っていた。
そんな事になるくらいなら――誰か、俺を。

「――生きろ」

腕の中から聞こえて来た言葉に、びくりと身体が揺れる。
僅かに腕を緩めて見下ろせば、ソーマが真っ直ぐにリンドウを見つめていた。

「そう、俺に命令したのは、お前だ」

ああそうだったと思い出す。
命令するなら自分も守れ、そう何度も言われていた。
今ならば分かる。
あの時、ソーマがどう思っていたのかも。
どんな思いを抱えていたのかも。
それでも、もし今あの時と同じ状況になったらば、やはり同じ命令をするだろう。
生きていて欲しい、その思いは本当なのだから。
ならば、守るしかないだろう。
不安も恐怖も消えた訳ではないが、随分と落ち着いていた。
呑みこまれる訳にはいかない。
己の意思で、逆に抑え込むしか方法はないのだ。
ならば、やるしかない。
だがれでも、万が一 ……その思いが零れ落ちる。

「なあ、ソーマ。もしこの先俺が――」
「その時は、俺がこの手で殺してやる」

言い掛けたリンドウの言葉を遮って、ソーマは言い切る。
ソーマにそんな事をさせるつもりはないが、それでも。
その言葉で、安堵している自分が居るのも確かだった。

「……そんな事させられるか」
「そう思うなら、せいぜい足掻くんだな」
「ああ、足掻いてやるさ」

そう言えば、ソーマは微かに、けれど満足そうに笑う。
リンドウにだって分かっていたのだ。
足掻くしかないのだと。
だがそれでももし、あの時のように仲間を、ソーマをこの手に掛ける日が来るのならば。
その時は、仲間の前からも、ソーマの前からも消えるだろう。
仲間をこの手に掛ける苦しみは、分かるから。
未遂とは言え、未だにあの時の事を忘れる事は出来ないのだから。
あんな思いをさせる訳にはいかない。

もしもその時が来てしまったら、この手を放すしかない。
こんな思いも、己の命も背負わせたくはないから。
だから、やるしかないかと改めて思う。
手放す事などもう出来ないと、誰よりも己自身が分かっているのだから。
手放す覚悟をしたあの時よりは、マシだと思う。
ずっと張り詰めていたものが、緩むのが分かった。
途端に眠気に襲われて、そう言えば此処しばらく良く眠れていなかった事を思い出した。
今ならば、隣に大切だと思える温もりがある今ならば、良く眠れる気がする。

「悪い、ソーマ。……夕食の時間になったら起こしてくれ」
「おい、俺に寄り掛かって寝るな! 部屋に戻れないだろうが」
「良いだろ。眠いんだよ、俺は」

触れあう場所から伝わる温もりに安堵する。
心地よい眠りへと落ちる直前に「仕方ねえな」と溜息交じりに呟いた声が、聞こえた。

しばらくして目が覚めた時にはすっかり夕食の時間も過ぎていて、リンドウの隣ではソーマがリンドウに寄り掛かられた状態のままで眠っていた。
後で軽く何か作るかと思い、リンドウは再び目を閉じる。
夕食の時間に間に合わなかったのならば、もう少しこの心地よい眠りの中にいたい。
こんなところじゃなく、ベッドに移動した方がいいなと思いながらも、伝わる温もりに誘われるように再び眠りに落ちる。
互いに久しぶりに得た、心地よい眠りだった。



END



2011/02/12up : 紅希