■綺麗なもの

酔い潰れてしまった陽介を、鳴上のアパートに連れ帰り寝かせ、鳴上は溜息を一つ吐き出す。
彼女に振られたから付き合えと、もう何度目かのそんなメールを受け取り指定された場所へと行ったのは、何時頃だったか。
こうなると言う事は分かっていた。
彼女に振られる度に、陽介は週末に鳴上を呼び出し、酔い潰れるまで酒を飲む。
一番最初はいつだったか、もう覚えてはいないが。
最初は酔い潰れた陽介を、ここからそう離れていない陽介のアパートへと連れて行ったのだ。
だが、完全に酔い潰れている陽介にアパートの鍵を出させるのは本当に大変で、どうにか陽介を寝かせ帰ろうとした途端、寝ているはずの陽介に服を掴まれ引き留められた。
かなりの力で掴まれている服をどうにか陽介の手から離すのにかなりの時間が掛かり、それ以降鳴上は酔い潰れた陽介を自分のアパートへと連れて帰る事にしたのだ。

眠っている陽介を眺めて、深い溜息を吐き出す。
冷蔵庫から缶ビールを一つ取り出して、煽るように飲んだ。
陽介のように酔い潰れるまで飲めたら楽だろうかと、そんな事を思う。
どのくらい飲めば酔い潰れるのか、鳴上は自分の限界をまだ知らなかった。
そうなる前にどうしても自分で自分にブレーキを掛けてしまう。
酔い潰れた者達を介抱しなければならないと、思ってしまうのだ。
損な性分だと思いながら、缶ビールを煽る。
いい加減どうにかしなければと、眠っている陽介を眺めて思う。
だが、あの頃、高校生の頃、立て続けに起きた事件に立ち向かっていたあの頃のように、簡単には踏み出せない。
根拠のない自信が、あの頃は確かにあった。
未来を、信じていられた。
挫折がなかった訳じゃない。
けれど、あの頃は挫折しようと壁にぶつかろうと、再び立ち上がるのに今ほどの時間は要しなかった。
今はあの頃のようにはいかない。
踏み出すのも、立ち上がるのも、そう簡単ではないのだ。

あの頃確かにあった、きらきらとした綺麗なものは、いつ失くしたのだろうか。
経験不足だったのだと今ならば分かる。
経験値が足りなかったからこそ、どうにかなると、何とかすると、そう思えたのだ。
大人になり、経験を積み、どうにもならない事など沢山あるのだと知り。
そうすると、あの頃のようには簡単に踏み出せない。
未来を信じ、前だけを見て進む事が困難になる。
それでも――このままでは居られない。

あれから十年近い時が流れ、それでも鳴上と陽介の関係は変わらない。
この先も変わらないのだと、何故なのかそれだけは無条件に信じる事が出来た。
けれど――。

実は鳴上も、数日前に付き合っていた彼女に振られたばかりだ。
どうしたって、上手く行かない。
相手が悪い訳じゃない、原因は鳴上にあるのだと、鳴上自身気付いている。
そして、恐らくは陽介も。
「貴方が一番好きなのは、私じゃない」
鳴上も陽介も、彼女と別れる時に言われる台詞はいつも同じだ。
彼女達の言う「一番」が誰なのか、鳴上も陽介ももう分かっている。
だが、鳴上から行動を起こさない限り、現状は変わらないだろう。

缶ビールを飲み干して、再び溜息を吐く。
鳴上は陽介が自分と同じ想いを抱えて居る事に気付いている。結構前から。
だが、陽介は気付いていないのだ。
鳴上が陽介と同じ想いを抱えて居る事に。

「なんで気付かないんだろうな」

だから、ガッカリ王子だなんて言われるんだ、と思う。
相棒――親友。
そんな言葉では物足りなくなったのは、一体いつだっただろうか。
恐らく、共に事件に立ち向かっていたあの頃には、そうだったんだろう。
ただ、気付かなかっただけで。
必死だった、あの頃は。
次々起こる事件を、その被害者を助ける事に必死で。
なんとかなると、どうにかすると、ただただ未来を信じ駆け抜けた日々。
あの頃に気付いていたならば、こんな事になってなかったんだろう。
あの頃ならば、今よりもずっと簡単に踏み出せたはずだから。
あの頃確かにあったはずの、綺麗なものを失くしてしまったから簡単に踏み出せないのか。
経験を積んだ代わりに、失くしてしまったモノ。
もう二度と、手にすることの出来ないモノ。
失くしたモノの代わりに得たモノ。

はあ、と何度目かの深い溜息を吐き出す。
踏み出して、失敗するとは思っていない。
ただ、互いの想いは同じでも、それが叶っても、その先を思えば、どうしても躊躇する。
なんとかなると、信じる事は出来ないのだ。
あの頃の、ように――。

「とは言え、いつまでもこのままって訳にはいかない、な」

鳴上も陽介も、今まで付き合ってきた彼女を好きじゃなかった訳じゃない。
ただ、一番じゃなかっただけ、なのだ。
お互いに、その時付き合っていた彼女の事は、好きだった。
最初の頃は、彼女達が自分の中の一番になる日が来るんじゃないかと、そんな事も思った。
だが、結果はこれだ。
こんなことをいつまでも繰り返すわけにはいかない。
いい加減覚悟を決めるしかないんだろう。
あの頃簡単に出来たことが、今ではかなり困難だ。
覚悟を決めて前に進む――それにどれだけの労力が必要なのか、嫌ってほど知っている。
あの頃知らなかったことを知る度に、あの頃簡単に出来たことが出来なくなっていくのだ。
その代りに手にしたものも、多いが。

立ち上がり冷蔵庫からもう一本缶ビールを出す。
このまま酔い潰れて寝てしまえたら――眠っている陽介を眺めて、そんな叶わない事を思う。
煽るようにビールを飲み干して、立ち上がる。
起きる気配のない陽介を眺めて、鳴上は自室へと向かった。
今日はもうどうしようもない。
行動を起こすにしても、明日だ。
どうせ陽介は、明日一日この家で過ごすだろうから。


翌日。
目が覚めた陽介にかなり遅い朝食――昼食と言った方がいいかもしれないが――を摂らせ、陽介がつけたテレビを見ながらのんびりと、休日を二人で過ごす。
それはいつもの当たり前の光景だった。
誰と居る時よりも心地よく穏やかな空間。
そんな中響いたのは、陽介の言葉だった。

「何なんだよ、貴方の一番は私じゃないって、俺は、ちゃんと――」

そこまで言って陽介は黙り込み、溜息を吐き出す。
――俺はちゃんと、彼女が一番好きだった。
そう言おうとして言えなかったんだろう。
何故ならそれは嘘だから。
自分を騙し嘘を吐き続けられたなら、お互いに変わっていたのかもしれない。
だが、どうしたってそれが出来なかったのだ。
だからもう、いいだろう。

「陽介」
「――え?」

鳴上は自分でも自分の行動に驚いていた。
驚いた顔で見上げる陽介を見下ろして、ああ俺、陽介を押し倒したのかと理解する。
踏み出すしかない、もう後戻りは出来ない。
一番の座は、どうしたってもう、変わらないのだから。

「好きだ」

それだけを言い、驚き目を見開く陽介に口付ける。
見開かれていた目が閉じられるのを確認し、思考を閉じた。

僅かに顔を離し見下ろせば、しばらく陽介はじっと鳴上を見つめ、僅かに顔を赤くして、視線を逸らす。

「お前が結構手が早いのは知ってたけど、さ……」

いくらなんでも、告白と同時にこれはないだろ、とかなんとかぶつぶつ言う陽介を鳴上は何も言わずにじっと見つめる。
キスをしたくらいで何を言ってるんだと思いながら、ぶつぶつ言う陽介を無視し、服へと手を掛ける。
辺りはまだ明るいが、もうどうでもいい。
陽介に考える時間を与えたら、ここから先に進むのはいつになるのか分からない。
手が早いと陽介に言われたが、それはその通りで、逆に陽介は遅いのだ。
色々考えてしまうのか、中々先に進めないらしい。
付き合いが長い分、陽介の事は良く知っている。
勢いでこのまま進めてしまうのが、一番いい。
勝手な言い分だが、ここに到るまでに相当な時間が掛かっているのだ。
進んでしまった以上、後戻りなど出来ない。
ならば、行けるところまで行ってしまった方がいい。
困難な道を進む覚悟をする為にも。

行き成りの展開に思考が追いついていなかった陽介が、どうやら現状に気付いたらしく慌てだす。

「なっ! 鳴上、ちょ、ちょっと待てって!」
「何だ。言いたい事があるなら言えばいい」
「だから、その手を止めろ。心の準備ってもんが――」
「そんな時間をお前に与えたら、いつになるか分かったもんじゃない」
「――は? いや、でも……」
「答えも、聞かなくても分かってるしな」
「……いつから、だよ」
「さあ、な。いつ、だろうな」
「……ま、俺もいつからと言われても、分からないんだよな」

諦めたのか抵抗を止めた陽介の服を、剥ぎ取って行く。
陽介がつけたテレビの音はもう、二人の耳には届いていなかった。

あの頃確かに持っていた綺麗なもの。
失くしてしまったそれの代わりに手にしたのは――かけがえのない、もの。



END



2013/09/18up : 紅希