■海

リンドウがアナグラへと戻って来た直後に、コウタが第一部隊の皆で海か山へ行こうと言う話をしていた。
第一部隊全員が休みを取れるとは、その時は思っていなかったから、現実になるとは思っていなかった。
だがそれは、現実となり、今第一部隊の皆とリンドウは海へとやって来ていた。
アーク計画の阻止と、リンドウがアナグラへと戻って来れるよう尽力した為らしいが、だからと言ってこの為に装甲車二台をあっさりと貸すのもどうかとは思うが、今更だ。
既に海へと着いているのだから。
海か山かどちらかという話だったのが海に決まった理由は、リーダーが海が良いと言ったかららしい。
何故海が良いと言ったのか聞いてみたら、コンゴウは仲間を呼ぶから面倒くさい、という答えが返ってきた。
確かにそうだが、その理由もどうかと思う。
泳いだ事がないため、多分泳げないだろうと思っているソーマは、どちらかと言えば山が良かったと思うが、仕方がない。
一応今季節は夏だが、アラガミに喰い荒されたこの世界は、昔のように季節の移り変わりと言うモノがあまりない。
気温も年中それ程変わらないが、それでも夏はやはり他の季節よりは暑かった。

過去、まだアラガミなんてモノが居なかった時代に、海水浴場として栄えていたこの場所。
海の家なんてものもあったらしいが、当然そんなものはない。
殆ど誰も利用しないからというのもあるだろうが、砂浜も海も、綺麗だった。

砂浜の端に停めた装甲車の陰で、着替えていたらしいサクヤとアリサが姿を現せば、やっぱり海に来て良かったと、コウタが興奮気味に言う。
それをぼんやりと聞きながら、ソーマはただ只管海を眺めていた。

「ソーマは着替えないの?」
「……ああ、俺は良い」
「そんな事言うなよ。せっかく来たんだからさ」

海を眺めたまま立ち尽くしているソーマにリーダーが声を掛けて、その会話に気付いたらしいコウタがそれに加わる。
ソーマは、泳げないだろうと思っていたから、水着を持って来ていないのだ。
そもそも最初から持ってもいない。
どちらにしろ、誰か一人はアラガミが出た時の為に待機していなければならないのだから、自分がそれをすればいいと思っていた。

「全員で泳ぐ訳にいかないだろ。アラガミが出たらどうするんだ」
「そんなの交代で見張ればいいじゃん」
「俺は良い。水着なんて持って来てないからな」
「それなら大丈夫だ。俺がちゃんと用意しておいたからな」

いつの間に傍に来ていたのか、リンドウがソーマに向かって水着を差し出す。
無理矢理手渡されて、思わずソーマはそれを受け取る。
渡されたそれは、ごく普通の水着だが、多分泳げないだろうと思っているソーマは着替える事を躊躇していた。
それを見たコウタは、着替えて来いよ、と告げて、リーダーと共に海へと向かって行く。
その後ろ姿を眺めて、ソーマは立ち尽くしていた。

「泳げないなら教えてやるから、着替えろよ」
「……」

リンドウの言葉に、ソーマは無言でリンドウを睨むように見上げる。
その視線を受けて苦笑して、リンドウは言葉を紡いだ。

「泳いだ事ないんだろ? まあ俺達だって、それ程泳いだ事があるって訳じゃあないが。子供の時は近所の川とかで皆泳いだりしたからな」
「アラガミがいるのに、か?」
「大人から見れば危ないと思うような事をするんだよ、子供ってのは。そう言う事の方が面白そうに見えるんだよなあ、不思議と」

懐かしそうに言うリンドウを見て、ソーマはそう言うモノなのか、と思う。
研究所で過ごしていたソーマは、子供の遊びと言うモノを殆どした事がなかった。
研究所にいたのは大人ばかりだったし、たまに研究員が自分の子供を連れて来た事もあったが、ソーマに近付くなとでも言われていたんだろう。
誰もソーマに話しかけて来る者はいなかった。
一度だけ同じ年くらいの子供に話しかけられた事はあったが、それも決して良い思い出ではない。
未だにたまに夢に見るくらいなのだから。

「まあ、取り敢えずは泳ぐのはもう少ししてから、だな。誰かは此処で見張ってた方が良いだろう」

そう言われて見れば、リンドウもまだ着替えていないようで、辺りの様子をうかがっている。
それを見て、ソーマもアラガミの気配を探ってから、言葉を紡いだ。

「俺が此処にいるから良い。お前は泳いで来ればいいだろう」
「ソーマが泳ぐって言うなら、行くけどな、俺も」
「……」

訳が分からないと言う様子でリンドウを見るソーマを見て、リンドウは溜息を吐き出す。
海からは、楽しげな仲間の声が聞こえて来た。
その声に、海へと視線を移せば、楽しげに遊ぶ仲間の姿が見えて、ソーマは微かに笑う。
休日を、リンドウ以外の者と過ごすのは、今回が初めてだった。
無理矢理連れて来られた訳でもなく、ソーマはソーマの意思で、彼らと共に海へと来たのだ。
泳げなかろうと何だろうと、正直構わなかった。
こんな風に少し離れた場所から、楽しく遊ぶ仲間を見ても、疎外感を感じる事もない。
泳げないからと言って、楽しんでいない訳でもないのだから。
アラガミの気配が近くにないかどうか探りながら思う。
だからこそ、アラガミなんかに奪われる訳にはいかなかった。
仲間も、この時間も。
だから、泳げない自分が、此処で見張ればいいと言うのは自然な事だと思うのに、何故リンドウまで此処に居るのか分からない。
溜息を吐く理由も、分からなかった。

「リンドウ?」
「あのな、俺が、此処に居たいんだよ」
「……」

怪訝そうにリンドウの名を呼べば、それに答えるかのように言葉が返って来る。
だがやはり、何故なのか、分からなかった。
再びリンドウは溜息を吐き出す。
一体何なんだと思い睨めば、もう一度溜息を吐かれて、「まあ、ソーマだからな」とかなんとか聞こえて来る。
それは一体どういう事だと言おうとした瞬間、リンドウの手がソーマの腕を掴み引き寄せる。
驚き見上げれば、耳元でリンドウの声が聞こえた。

「お前の傍に居たいって言ってるんだよ」
「――っ、」

掴まれていた腕を放されて、思わずソーマは僅かにリンドウから離れる。
そのままリンドウから視線を逸らした。
別にそう言われた事がイヤと言う訳じゃないのだ。
互いの殆ど口にした事はないが、互いの想いは知っているし、それなりの時間を共に過ごしてもいる。
だが、だからこそ、何だってこの男はこんな時に限って、と思うのだ。
普段はそう言った類の事をあまり口にすることがないのに、突然さらりとこんな事を言う。
その度に翻弄されるのが悔しいとは思うが、どうにもならない。
視線を逸らしたまま、ソーマは言葉を紡ぐ。

「勝手にしろ」
「おお、勝手にするわ」

神機を担いだままリンドウへと視線を向ければ、リンドウの視線は海で遊ぶ仲間へと向けられていて、その視線を辿るように海へと視線を向ければ、コウタがこちらに向かって叫んでいるのが見えた。

「おーい、交代な!」

そのコウタの言葉に、リンドウは片手を上げて答える。
辺りのアラガミの気配を探りながら、それを見ていれば、リンドウの視線がソーマへと向けられた。

「だそうだ」
「……だから、俺は」
「着替えられないなら、手伝ってやろうか?」
「そんな訳あるか!」
「なら、さっさと着替えろよ。ほら、あいつらこっちに来るぞ」

その言葉通り、コウタとリーダーがこっちに向かって歩いてくるのが見える。
溜息を一つ零して、ソーマは仕方なさそうに着替え始めた。

リンドウに促されて、仕方なく海へと入ってはみたが、やはりソーマは泳げなくて、だが、教えるというリンドウの申し出を頑なに拒否する。
結局、ただ海の中に入っているだけ、というような状態でしばらくの間過ごしていた。

どう言う訳か、アラガミが現れる事はなく、今皆は茜色に染まる海を砂浜から眺めていた。
皆で休みを取れたのは今日だけで、だから今日中にアナグラへと戻らなければならない。
だから、それ程ゆっくりはしていられないが、それでもまだ、多少時間に余裕はあった。
しばらく景色と、それを眺めている仲間を見て、ソーマはふらりとその場から立ち去る。
少し皆から離れた場所に立って、独り茜色に染まる海を眺めていた。
振り返れば、アラガミに喰い荒されて荒廃した景色が広がっているというのに、今目の前に広がる光景は、そんな事さえ忘れさせるような景色だった。
愚者の空母に行けば、似たような景色が見れるし、見た事もある。
それなのに、あの場所から見た景色はこれ程綺麗だとは思わなかったのだ。

「綺麗、だよな」

いつの間に傍に来ていたのか、直ぐ隣からリンドウの声が聞こえて来る。
視線をそちらへと向ければ、茜色に染まる海を眺めているリンドウの姿があった。
しばらくリンドウを見て、ソーマは再び海へと視線を移す。

「アナグラでゆっくりしていた方が良いとも思ったが、来て良かったな」
「ああ」
「また、来ような。今度は二人で」
「……そうだな」

微かに笑って告げた言葉に、リンドウも微かに笑う。
それきりどちらも言葉を紡ぐ事無く、ただただ茜色に染まる海を眺めていた。
そろそろ帰るとリーダーに声を掛けられるまで、ただずっと、二人はその光景を眺めていた。
また、いつか――そう願って、日常へと戻っていった。



END



2011/02/17up : 紅希