■安らぐ場所
人は予知能力なんかなくても死期を悟るように出来ているらしい。
当然、例外もあるだろうし、もしかしたら悟る方が例外的なのかもしれない。
死者に尋ねることが出来ない以上、確かめることは出来ないが。
予感も予兆もなく突然訪れた死を受け入れざるを得なかった者も多いはずだ。
死期を悟らせることなく幾人もの命を奪ってきた僕が言うのだから、間違いない。
だが、僕の場合は―――もう魔術がほとんど使えない『魔法使い』でも死期が分かった。
その時がすぐ傍まで迫っている、と。
「ああ、今夜も月が綺麗だ」
縁側で空を見上げながら呟いて、力なく微笑みを作る。
夕食の後、こうして夜空を見上げるのもすっかり日課になってしまった。
と言うより、今の僕にはこうして空を見上げているくらいしか出来ることがない。
それくらいしか生きる力が残っていない。
そう表現した方が真実に近いだろう。
だけど………残念ながらと言うべきか、幸いと言うべきか。
僕には、この世に思い残すことがもう無い。
思い残すような願望はすべて破れ、叶わないものとなってしまったからだ。
『正義の味方』として闘争のない世界を作ろうとしたけれど失敗した。
僕の理想と秤にかけて、大切な人たちの命までをも奪い続けた。
最後に残った希望―――娘に一目会うこともきっと叶わないまま終わる。
けれど、それも仕方がないことだ。
僕の命は、本来、冬木の町に大惨劇が起こったあの日に失われていたもので。
今、生きている時間は文字どおりの意味で『余生』なのだから。
「なんだ、またここに居たのか?」
声をかけられて、視線を月から言葉の主の方に移した。
夕飯の後片付けを終えた士郎が盆にお茶を載せてこちらに歩いてくる。
ちゃっかり自分の分と2つ持ってくるのが彼の性格の特性だと思う。
もちろん、食い気がどうこうと言う話じゃなくて―――
死期が近い『爺さん』と過ごすことを自分に課している、という意味で。
「もういい加減、月見するには寒いだろ?」
「でも……今夜も良い月だよ」
「ったく、ぼーーーっと月見てる暇があるなら、もっと魔術のこと教えてくれよな」
士郎は不満を漏らしながらも僕の隣に座って、お茶を差し出す。
僕も笑ってそれを受け取ると、一口啜って喉を潤した。
一時は死にかけた小さな子供が、こうして元気に生きている。
いつしか僕より器用に家事その他諸々をこなし、何かと世話を焼いてくれる。
実の娘に会うことが出来ない僕にとって、それは残された数少ない幸いのひとつだと思う。
そして、これも士郎のもたらした幸運なのか。
彼と出会ってからこの方、僕の周りで誰も命を落としてない。
僕が生きた人生の中で、こんなにも命を失わない時間を過ごしたことは無かった。
こんなにも、穏やかな時間を過ごしたことがなかった。
そして何より―――
「この前、約束したろ? 俺は『正義の味方』になるんだ」
「………………」
「爺さんの代わりに」
士郎が僕にもたらしてくれた安らぎ。
衛宮切嗣にという『魔法使い』に純粋に憧れて背中を追いかけてくる。
ただそれだけならば、僕は彼の生き方に危険を感じ続けただけだろう。
例えば士郎を救ったという意味では英雄的だったとしても………僕は世界にとっての英雄じゃない。
その手の英雄に憧れて『正義の味方』を目指すのだとすれば止めなければならない、と。
僕と同じ過ちを繰り返させてはいけない、と。
キラキラした眼差しで魔術を教えてくれとせがんでくる彼に、ロクな術を教えなかった。
だけど―――この間、僕が『正義の味方』になりたかったんだと吐露した時。
今日と同じような澄んだ夜空に浮かぶ明るい月の下、士郎が約束してくれたのだ。
『正義の味方』に憧れて諦めた僕の夢を、士郎が継いでくれる、と。
その誓いにほだされたのは“息子”に情が湧いてという理由ではなかった。
同じ目をした、かつての少年を思い出したのだ。
眩しい太陽の下、この美しい世界に大切な人が優しい笑顔で生きていられる世界を作りたい。
そんな『正義の味方』でありたいと、純粋に誓った遠い昔のことを。
―――かつての自分と今の士郎が同じ想いを共有したあの夜も。
こんなにも世界は美しいのかと感動するほど、月が綺麗だった。
こんな空の下で誓った想いを、士郎はずっと胸に抱いて『正義の味方』で在ろうとするだろう。
その行程はきっと、僕が歩んだ絶望の道とそう大差がないものだと、自分の経験からよく分かる。
けれど、士郎はきっとあの月の下、憧れの『魔法使い』と誓った想いを忘れない。
『ああ―――安心した』
思わず漏らした僕の言葉に、士郎は誇らしげにしていたけれど。
僕もその時、誇らしく思っていた。
死期を悟った人生の終盤、本当の意味で安らげる場所に辿り着けたことを………。
もう少し僕の魔術回路が働いていたら、今こそ本当に後を継がせても良いのかもしれないと思う。
けれど、それを願うには僕に残された力はあまりにも少ない。
「士郎、月は魔力を増幅させるって聞いたことがないかい?」
「………知らないけど。それ、本当なのか?」
「うん、本当だったら良いなと思って、月の光を浴びてるところなんだ」
「はぁ………仕方ないから、俺も付き合ってやるよ」
もし本当に魔力が増幅するなら損は無いしな、と言って士郎が僕の隣で月を見上げる。
その横顔を眩しい想いで見つめながら、美しい月明かりごと僕の胸に刻み込んだ。
―――同じ光景が彼の胸にも刻まれてくれることを祈りながら。
END
2013/06/08up : 春宵