■安らぐ場所

 『私を頼む』

 そう言って、凛に“私”を託した後。
 ほどなくして単独行動スキルの有効期限が切れたのだろう。
 現界している感覚が徐々に薄くなり、見えていた景色が霞んできた。
 ―――その間中、凛は私に笑顔を見せていた。
 本当に消えてしまうまでずっと、恐らく私が知る彼女の表情で一番美しい笑顔を。

 「フゥ……さすが遠坂、といったところか」

 彼女の傍に居る間、封印していた昔の呼び名をようやく口にする。
 あの世界に呼び出された当初こそ記憶が混乱していて思い出せなかったが。
 どこをどう切り取っても、アレは私の知る遠坂凛以外の何物でもない。
 時間軸が違うから“実物”ではないが、遠坂凛の本質はその程度の誤差では変わらないのだろう。
 その彼女が、別れ際に完璧な笑顔を見せて寄越したのだ。
 たぶん、泣き崩れそうな感情を最大限、押し殺して。

 ………我慢比べ、という趣向でもないのだろうが………。
 こちらも、押し殺すのに苦労した。
 消えようとする身体をどうにかあの世界に留めて、彼女の傍に居ようとする衝動を。
 もっとも、残ったところでそこには衛宮士郎が居る。
 ヤツが居るから―――凛がヤツの傍に居るからこそ、私は清々しく還ることが出来る。
 そう言い聞かせるしかなかった。

 あの『さすが』な遠坂凛が傍に居るのならば。
 衛宮士郎は間違っても英霊になるような道は選ばないだろう。
 100を守るために1を殺し、その1を殺すために幾人もの善人を巻き込む。
 そんな本末転倒な『正義の味方』には決してならない。
 1歩踏み外せば溺れてしまう暗い理想の道を、凛がきっと照らしてくれるだろうから。
 それが私の目指した理想のひとつの形だとしたら………悪くない。
 ずっと探し求めていた答えをそこに見たような気がして、思わず笑みが漏れる。

 「―――ああ、悪くない」
 『―――ああ、安心した』

 笑みと共に発した言葉に、久しぶりに思い出した言葉が重なった。
 それは私が『正義の味方』を目指すようになった原点……生前の育ての親、切嗣の言葉だった。
 あの言葉を聞いた日は、とても月が綺麗な夜だった。
 もう切嗣の表情さえぼんやりとしか思い出せないが、それだけは覚えている。
 彼は死ぬ間際の幾日か、随分と長い時間を月を見ることに費やしていた。
 月明かりが照らす美しい世界を愛でるような穏やかな顔をしていたように思う。
 ………今ならば、あの時の切嗣の気持ちがよく分かるような気がした。

 あの当時、私はまだ子供で―――
 切嗣が『正義の味方を諦めた』と言ったのをスポーツ選手の現役引退宣言のように聞いたのだ。
 歳をとって辛くなったから正義の味方を辞めるのだ、と。
 だから子供なりに解釈して『爺さんの夢は俺が継ぐ』と言葉を返した。
 『ああ、安心した』と答えた切嗣は、後継者が出来たことを喜んだのだと思っていたのだが。
 今になってようやく、違うのだと気づいた。

 あの時、切嗣はきっと。
 美しい月明かりに照らされた縁側で誓った衛宮士郎の想いを信じたのではなかったか。
 ずっと『正義の味方』になることを理想にして精一杯、出来ることをやってきて。
 けれど頑張れば頑張るほど、成果は理想から離れていく。
 外れていく道に納得できなくて『諦めた』と言った切嗣は、あの時、何か答えを得たのではなかったか。
 ちょうど、凛の傍に居る衛宮士郎に何らかの答えを見つけた私のように。
 あの瞬間、切嗣は初めて、安らぐ場所を得たのではなかったか―――。

 「………っ………」

 不覚にも、今さら“爺さん”の死に涙を流しそうになった。
 生前、彼の葬式の時にも泣かなかったのに、だ。
 切嗣がどんなに望んでもまともに魔術を教えてくれなかったこと。
 正義の味方に妄信的に憧れる子供にいつも苦笑いを返していたこと。
 そういった思い出の欠片たちが初めて本当の衛宮切嗣を形作っていく。

 彼は、私に自分のようになってほしくなかった。
 私が、衛宮士郎に同じことを望むように。
 その想いが、今さらになって胸に滴となって落ちる―――。

 「………オレは」

 彼が私と同じように、理想と現実の差に擦り切れていたとしたら。
 おそらく、命を救った子供がその道を進もうとすることを―――
 その道を選ばせてしまったことを、後悔していたことだろう。
 だが、私は―――生前も、想いが擦り切れてしまった今でも、決して思ったことがなかった。
 “オレ”を正義の味方の道に進ませた衛宮切嗣を恨むようなことを。
 それどころか、今でもずっと憧れているのだ。
 絶対に理想は叶わない。
 最終的に絶望に至ったとしても、強い想いを持ってその道を進み続けた最高の『魔法使い』に。
 “オレ”の命を救って、そのくせ自分が救われたみたいに笑顔を見せた、くたびれた『英雄』に。

 「そんな大事な気持ちを、長いこと、忘れてたんだな」

 思わず“士郎”の口調になって、届かない言葉を“オレ”の魔法使いに向かって呟く。
 もしもあの時、誓った言葉を忘れなかったならば―――少しはマシになっていたんだろう。
 私の『英霊』としての理想の道も。
 過去は取り戻せないけれど、希望と原点を取り戻した今ならば、きっと。

 ずいぶん久しく感じたことのない安らぎが胸に広がる。
 ………いや。
 ただ忘れていただけで、私にも安らぐ場所はあったのだ。
 『正義の味方』の原点―――あの土蔵のある家の中に。
 次に『英霊』が必要とされる時が居たのならば、今までとは違う道を進めるのかもしれない。
 珍しくそんなことを期待しながら、私は短く静かな眠りについた。



END



2013/06/11up : 春宵