■心音

 服、よし。
 財布と券はバッグに入れたし。
 ケータイは明日。髪も明日。
 あとは早く寝て、早く起きる!

 学校から帰ってから何度も指さし確認したことを、もう一度、確かめる。
 今日、行事で登校した振替で、明日の月曜は学校が休み。
 部活も自主練になったその日を狙って日野ちゃんを遊園地に誘ったのは、1週間も前の話で。
 そこからずっと、オレの中では大騒ぎだった。
 何を着ていこうかとか、昼飯はどうしようとか、遊園地で遊んだ後はどうしようとか。
 アトラクションの回数券をくれた兄貴や日野ちゃんを知る同級生には、からかわれるから相談なんて出来ないし。
 1人で『これで行こう!』『いや、でも』『あー、分かんない!』とか暴れまくってたんだ。
 けど、それも今日で終わり。
 いよいよ明日が当日だと思うと、緊張より楽しみな気持ちの方が大きくなるのがオレらしいでしょ?

 ドクン、ドクン。
 明日がどんな1日になるのか、考えただけで心音が大きくなる。
 ホッと息を吐いて『落ち着け心臓…』と念を込めた。

 10時に待ち合わせだから、7時には起きよう。
 もっと遅くても全然間に合うけど余裕を持って出たいんだ。
 先に着いて待ってるって、先輩っぽいし。
 日野ちゃんはきっとオレの姿を見つけて走ってくるだろうから……

 『慌てなくても大丈夫だよ』

 そう言って笑いかけてあげよう。
 柚木みたいに優雅(?)な仕草は出来ないけど、楽しい気分で始めたい。
 初めての遊園地“デート”。―――その、特別な1日を。

               ◇◆◇

 「ああもう…何が先に着いて待ってよう、だよ!」

 息を切らせて待ち合わせ場所の駅に向かって全力疾走する。
 さんざん悩んで決めた服も、乾きかけの髪も、全然カッコよく出来てないけど仕方ない。
 とりあえず遊園地の回数券だけ持って行けば良いや…って。
 とにかく急いで家を飛び出すしかなかった。

 だって、昨夜、あんなに真剣にシミュレーションして早めに寝たのに、今朝起きたのが9時過ぎ。
 寝坊したって気づいた時には心臓が爆発するかと思ったよ。
 全力疾走してる今も爆発しそうだけど。
 でも、このペースならギリギリ間に合う。
 オケ部に入った後も陸上部時代みたいに走ってて良かった。
 『遅れるかもm(_ _)m』なんてカッコ悪いメールを送らなくて済むから。

 「あっ! 日野ちゃーーーん!」

 待ち合わせ時間の1分前。
 ようやく見えてきた駅の前に立っている日野ちゃんに気づいて、大きく手を振った。
 ちょっと遠いけどオレの声は届いたらしくて、キョロキョロと周りを見て探してる。
 見つけた、って感じで笑う日野ちゃんに笑顔を返しながら、最後の全力疾走!

 「ごめんね、オレ、寝坊して、こんなギリギリに、なっちゃって」

 息を整えながら、先に来ていた日野ちゃんに謝る。
 待ち合わせ時間ピッタリだったんだから謝ることなんかない。
 日野ちゃんはそう言ってくれるけど、オレの方が先に来て彼女を迎えるはずだったのに。
 しかも日野ちゃんの方が余裕を持って来てくれてたみたいで、電車時間とかもスラスラ教えてくれる。
 先輩としても“デート”の始まりとしても大失敗は確実で、思わずもう一度謝った。

 「ほんと、ごめんね。誘ったオレがいろいろ調べなきゃいけなかったのに」
 「そんなの全然気にしなくて大丈夫ですよ。…あ、ほら、電車が来たみたいですよ」

 あー、やっぱり立場がシミュレーションと逆転してる。
 ガッカリしながら乗った電車は、平日で通勤通学時間から外れてる事もあって結構空いていて。
 隣同士で座ってようやく、今日初めてまともに日野ちゃんを見た。
 落ち着きかけた心臓が、ドクンと心音を響かせる。

 制服でも学校ジャージでも演奏用のドレスでもない、私服。
 そういう格好を見たのは、実は初めてだと思う。
 ウチは男兄弟だから女子のファッションの事はよく分かんないけど。
 ひらひらした素材も色合いや模様も女の子らしくて、日野ちゃんの雰囲気によく似合っていた。

 それに、さりげなくオレが好きな色が入ってる。
 もしかして知ってて選んでくれたのかな。
 昨日オレがさんざん悩んで服を選んだみたいに、日野ちゃんもいろいろ考えてくれてたりして。
 偶然かもしれないほんの小さな事に胸が温かくなる。

 「私服、可愛いね」
 「えっ………ありがとうございます……」

 『可愛い』とか、普段、頭の中で考えたら恥ずかしくて言えそうもない言葉が、するっと出てきた。
 言った自分に照れて、おまけに嬉しそうに顔を赤らめる日野ちゃんを見て、オレまで顔が熱くなる。
 また、ドクンと心音が響いた。

 「でも、本当にいいんですか? 火原先輩、一緒に行く友達とか他にたくさん居そうなのに」

 妙に気恥ずかしい間を取り繕うように、日野ちゃんがそう言う。
 先週、自分が行ってきた時に余らせた遊園地の回数券をくれたのは、うちの兄貴で。
 あそこの遊園地はフリーパスが無くて、やりたいアトラクションだけ回数券で利用するタイプだから友達大勢と行って遊ぶ場所じゃないんだよね…とか。
 そんな事を考える前に、一緒に行きたいと真っ先に思ったのが日野ちゃんだった。
 だから、オレも正直に答える。

 「本当にいいんですかも何も……オレ、日野ちゃんと一緒に行きたかったんだよ」
 「……………」
 「…………あ」

 ―――なんだか、今日は後から考えると恥ずかしいような事ばっかり言ってる?
 また、2人で照れて、ちょっと無言の間が出来る。
 その間、また心音バクバク。
 でも不思議と、いやな感じはしなかった。………する訳ないか。
 日野ちゃんはただ遊園地に付き合ってくれただけだけど、オレはきっかけがあったら、こんな風に2人で出かけてみたいって前から思っていたから。

 兄貴に『女子と行くならデートだ』ってからかわれて、オレも自分の中でつい『デート』と呼んでたけど、日野ちゃんの中ではたぶん、ただ『先輩とお出かけ』っていうノリなんだと思う。
 でも、思い切って誘った甲斐はあったかも。
 『学校行事の振替休日なら平日だから、いつもは混む遊園地でも待ち時間も短く遊べるだろ』
 そうアドバイスをくれた兄貴に珍しく感謝してみる。
 ま、ありがたさの3倍くらい、からかわれた恨みの方が大きいんだけど。

 それでも嬉しいと思う。
 たぶん、彼女とデートだとか、からかわれた事まで含めて。
 それで、今日1日一緒に過ごして、ちょっとで良いから日野ちゃんもオレと同じように心音バクバクになってたら、もっと嬉しい。
 ………なんてね。


 今日1日は、始まったばかり。
 遊園地“デート”も、始まったばかり。
 出だしは失敗したけど、まだまだ先は長い…つもり。
 だからこれから2人で楽しもう。
 仕切りなおして、目的地の駅で止まった電車から降りた。

 ―――はじまりは、ここから。



END



2012/12/12up : 春宵