■風に吹かれて

*アニメ版の主人公名を使わせて頂きました。
今後は、アニメ版の方の名前で統一します。


川原に立って、川を渡って来る風に吹かれる。
春とは言えまだ風は冷たい。
特に川を渡って来る風は、寒いと感じるほどに冷たかった。
此処に居ると思い出すのは、あいつと、相棒とこの場所で殴りあった事。
そして、共に解決して来た事件。
どの事件も忘れることの出来ないモノだが、中でも菜々子ちゃんが攫われた事件は特に印象深い。
一番最後に攫われたからというのもあるが、一つだけ後悔している事があるからだ。
既に数日前に都会へと帰ってしまった相棒、鳴上にどうしても言いたい事がある。
何故あいつが帰る前にその事を思い出さなかったのかと思うが、どうしようもない。
良し、と気合を入れて、陽介は駅へと向かって歩く。
メールで伝えようかとも思ったが、やはり直接言いたかった、どうしても。

朝早い為、駅にもそして先程まで居た川原にも、人影はない。
始業式までにはまだ何日かあるがそれでも、向こうにあまり長く居る訳にはいかない。
日帰りは流石にキツイから宿を取って一泊してくるつもりで居るが、あいつに一言伝えられればいい。
どうしても、謝りたいのだ。

電車に乗り、陽介は菜々子が攫われた後の日々へと思いを馳せる。
いつどんな時でも冷静だった鳴上は、菜々子が攫われた後も、仲間の前では普段と何も変わらなかった。
菜々子を助ける為にテレビの中を探索していた時、焦った様子を見せた事はあったが、それも一度だけで。
放課後は今まで通り部活にも出ていた。
確か吹奏楽部とバスケ部を掛け持ちしていたのだ。
どちらに出るかはその時に気分次第だったようだが、それなりにどちらの部活にも顔を出していた。
それ以外にも、いくつかアルバイトもしていた。
そう言えば、と思い出す。
陽介は見た事はないが、学童保育のアルバイトもしていたらしく、一年生三人がこっそりと見に行ってあいつに見つかった事があった。
それは、まだ菜々子が攫われるより前で、事件も順調に解決に向かっていると思っていた頃の事だ。
その翌日、先輩のエプロン姿を見たと嬉しそうにりせが言っていて、それを聞いた里中や天城も見たいと言っていたのだ。
そんなやり取りを聞いていた鳴上が「そんなモノ見て何が面白いんだ?」と本当に全く分かっていない様子で言っていたのを知っているのは陽介だけだろう。
思い出し笑いそうになるのを堪える。
いつだって冷静で、そして的確に自分達仲間を導いてくれたリーダー。
どんな事があろうと、あいつが取り乱した姿を見た事はない。
菜々子が攫われた後でさえ、普段と何も変わらない態度だった。
そう、見せていた。
部活の友人の前でも、特別捜査隊の仲間の前でも。
だが、あいつと同じクラスだった者達は知っていた。

授業中当てられて、答えが分からなくて教えてもらうのは、いつも陽介の方だった。
だがあの頃の鳴上は、授業中ぼうっとして居る事が多く、当てられても質問の内容さえ分かって居なかった事が度々あった。
陽介は答えを教える事は出来なかったが、質問の内容を教えたり、答えは天城が教えたりしていた。
そんな時、鳴上がろくに寝てないんじゃないかと言い出したのは確か、里中だった。
確かめる為に放課後あいつの家まで行って、呼び鈴を押しても出てこなくて、それなのに玄関の鍵は開いていて。
何かあったのかと焦って家の中へと入った。
呆然と座り込むあいつを見て、本当に慌てたのだ。
結局何も無かった訳だが、その後あいつの部屋で少し話して、そうして相棒は寝ると言ってソファで眠ってしまったのだ。
仕方なくその隣で陽介も眠る事にして、一つの毛布に二人で包まった。
朝起きて、相棒がどんな顔するか楽しみだと思いながら眠ったのを覚えている。
だが、鳴上は三時間程眠っただけで起きてしまい、その後眠れない様子で、仕方なく陽介は鳴上に付き合って起きていた。
躊躇いがちに話し始めたのは、他愛もない話をしてどのくらい経った頃だったか。
家に独りで居る気になれないからと、あいつは毎日夜、バイトがある日はバイトに行って、何もない日は川原で釣りをしていたらしい。
ヌシが釣れなくて、なんて言っていたが、それが後付けされた理由だって事くらいは陽介にも分かった。
夜明け前に帰って来て多少は寝ていたらしいが、睡眠時間1、2時間では授業中ぼうっとするのも無理はない。
この頃は菜々子を助け出した後だったが、そんな事を菜々子を助け出す前からずっと続けていて、良く倒れなかったモノだと思ったのだ。
しかもこの頃は、真犯人を追ってテレビの中を探索していたのだから、尚更だ。

連続殺人事件のニュースを菜々子と共に見ていた鳴上が、怯える菜々子に「菜々子の事は俺が守る」と告げたという話を聞いたのもその時だ。
それなのに、守れなかったと言った鳴上の声はそれまで陽介が聞いた事もない程弱々しいもので。
いつだって冷静で頼りになるリーダーの面影は、全くなかった。
翌日は陽介も寝不足で大変だったがそれでも、話を聞く事が出来ただけでも良かったとあの時思ったのだ。
この時に思い出せば良かったのにと今になって思う。
一度止まった菜々子の心臓も動き出し、容体も安定していた頃だ。
だから忘れていたのだろう。
菜々子の容体が急変した時、自分が相棒に放った言葉を。

菜々子の容体が急変して、皆の見ている前で彼女の心臓が止まったあの時、あの場に居た誰よりもきっと、あいつが一番辛かったはずだ。
大切な人を亡くす辛さを陽介は分かっていたはずなのに、頭に血が上ってそこまで考える事が出来なかった。
彼女をこんな目に合わせた奴が、法で裁かれる事もなく生きている事が許せなかった。
テレビの中に人を入れたなんて話を、警察が信じない事くらいは陽介にだって分かっていたから。
精神に変調をきたしていると思われるのが妥当だろう。
陽介だって自分でテレビの中に入ってなかったら、信じなかっただろうと思うから。
事実、一番最初に鳴上がテレビの中に頭が入ったと言った時信じなかったのだから。
それが分かるからこそ、許せなかったのだ。
生田目の病室に行き、こいつをテレビの中に落とそうと言ったのは陽介だった。
菜々子ちゃんがあんな事になったのに、こいつが生きているのが許せなかった。
裁かれる事さえないだろうと思えば尚更。
法で裁けないなら、自分達がやるしかないと、あの時はそう思ったのだ。
「落ち着け」といつも通りのあいつの声が響いたのは、生田目をテレビの中に落とすという事で皆の意見が纏まり掛けていた時だった。
確かに皆、落ち着きを失っていた。
憤りの方が強かった。
だから、普段ならあいつの「落ち着け」と言う言葉で落ち着きを取り戻す陽介も他の仲間達も、中々落ち着きを取り戻す事が出来なかった。
そんな時だ、普段よりも強い口調であいつが「落ち着け!」と言ったのは。
あいつのあんな声を聞いたのは初めてだったなと、今ならば思う。
あの場に居た誰よりも一番辛かったのも憤っていたのもあいつだと言う事も、今ならば分かるのだ。
だがあの時の陽介には、そんな余裕がなかった。

冷静に「落ち着け!」と普段よりも強い口調で告げたあいつに言ってしまった言葉。
こんな時でも冷静に振る舞えるあいつに、憤りの矛先を向けてしまった。
気付いていたのに、あの時あいつが誰にも見えない位置で、震えるほどキツク拳を握りしめていた事に。
そうする事で感情を抑えていた事に、陽介は気付いていたのだ。
鳴上の拳が握りしめられていたのが見えたのは、偶然だろう。
だが、その時はもう言葉は口をついて出た後だった。
気付いた時に、謝れば良かったのだ。
だがその後菜々子が回復し、急ぎ病室に戻った事もあって、機会を逃してしまった。
その後も真犯人を追って、テレビの中の世界を探索していた為、忘れてしまっていた。
ホント思い出すのが遅いんだよな、と陽介は電車に揺られながら思う。
電車の乗り継ぎが上手くいかなかった為、鳴上が住む街の駅に着く頃には昼を過ぎるだろう。
数日ぶりに会う相棒の顔を思い浮かべる。
何の連絡もなく来たが、まああいつは驚かないだろうと陽介は思う。
目的の駅に着き、陽介は荷物を手に電車を下りた。
改札をくぐって、携帯電話を取り出す。
鳴上悠という名前を呼び出して、電話を掛けた。


「よう、相棒。久しぶり、元気か?」
「陽介? 久しぶりって程でもないだろ。どうしたんだ?」
「今俺、お前の家のある駅に居るんだけど」

しばらくの沈黙の後、深い溜息が聞こえて来る。
ああやっぱりこいつはこのくらいじゃ驚かないかと、陽介は思わず微かに笑った。

「来るなら先に連絡しろよ」
「突然来ればお前驚くかと思ったんだけどな。やっぱり驚かなかったか」

言えば再び溜息が聞こえてくる。
本当にこいつは「呆れるほどに冷静」だと改めて思う。
まあそうじゃなかったら、あんな非日常的な状況で戦い続ける事など出来なかっただろう。
リーダーの鳴上がいつだって冷静に的確に、仲間を導いてくれたから、あの事件も解決出来たのだから。
そういう意味ではあの時放った言葉は決して間違いじゃない。
ただ、あの時言うべき言葉じゃなかった事だけは、確かだった。
だからこそ、一言伝えたかった。
どうしても、直接伝えたかったのだ。
今何処に居るのか問われ、場所を伝える。

「今から行く。絶対にそこから動くなよ」
「分かってるよ」

稲羽とは違い、此処の駅は人が多い。
こんなところで陽介がこの場所から動いたら、鳴上と合流出来なくなる事くらいは分かる。
陽介だって以前は、違う街ではあるが、こちらの方面に住んでいたのだから。
しばらくして、たった数日会わなかっただけなのに、懐かしいと思えるその姿がこちらへと向かってくるのが見える。
軽く手を挙げて、陽介は近付いてくる鳴上に向かって歩き出した。

話があると言った陽介が連れて来られたのは、河原だった。
静かな稲羽の河原と違い、こちらはかなり賑やかだ。
それでも、河を渡って来る風は、多少涼しかった。
風に吹かれて、しばらく二人は無言でその場に立ち尽くす。
恐らく鳴上は、話しがあると言った陽介が話し始めるのを待っているのだろう。
ああ、変わらないなと陽介は思う。
たった数日で変わるはずもないが、それでもそのお陰で随分と気が楽になった。
そう、鳴上は変わらない。
ならば、陽介が告げた言葉に対する態度も、きっと変わらないだろうから。

「なあ、相棒」
「なんだ?」
「悪かった」
「行き成りどうしたんだ」

突然謝った陽介に動じる事もなく、鳴上は淡々と言葉を返す。
やっぱりこう返って来たかと思い、陽介は苦笑した。

「謝りたかったんだよ、お前に」
「だから、何故だ? 謝られるような覚えはないんだが」
「菜々子ちゃんが入院してた病院で、俺、生田目をテレビの中に落とそうって言っただろ」
「ああ」
「あの時、俺がお前に言った言葉、覚えてるか?」
「いや、覚えてない」
「やっぱりか」

そう言って陽介は苦笑する。
本当に覚えていないのか、覚えていてそう言っているのかは分からないが。
鳴上がこう返すだろという予想はついていた。
小さく溜息を吐き出して、陽介の言葉を待っている鳴上に告げる。

「呆れるほどに冷静だな――そう、言っただろ、俺」
「……ああ、思い出した」
「それを謝りたかったんだ」
「だから、何故だ。別にお前は謝るような事を言ってないだろ」

その鳴上の言葉とほぼ同時に、少し強い風が吹き抜けた。
陽介と鳴上の髪が、風に乱される。
乱れた髪を手で軽く整えて、陽介は言葉を紡いだ。

「謝る事だろ。あの時一番辛かったのはお前なのに、そんなお前に言って良い言葉じゃない」
「相変わらずだな、陽介は」
「どう言う意味だよ」
「気を遣いすぎだ。別に俺は、気にしてない。そもそも、お前に言われるまで忘れてたくらいだ」
「だけど――」
「ああ、分かってる」

お前の気が済まないんだろ――そう続けられた言葉に、陽介は頷く。
本当に微かに笑って、鳴上は陽介が手で整えたばかりの髪を、乱すように撫でた。

「何するんだよ」
「いや、可愛いなあと思って」
「お前、それ男に対して使う言葉じゃない」

がっくりと肩を落として言えば、珍しく鳴上は、小さくではあるが声を上げて笑った。
珍しいモノを見たなと陽介は思う。
一年こいつと共にいたが、こんな風に声を上げて笑ったところを見たのは、本当に僅かだ。
鳴上が表情を変える事は殆どない。
笑う時だって、本当に微かに笑う事が殆どだったのだから。

「電話で済む事なのに、わざわざ来るところが陽介らしいよな」
「どうしても直接言いたかったんだよ」
「分かってるよ。そう言うところが陽介らしいって言ってるんじゃないか」
「そりゃどうも」
「それで、陽介。今日はどうするつもりなんだ?」
「ホテルにでも泊まるつもりだけど」
「俺の家に泊まればいい」
「いや、だって突然で悪いだろ」
「俺以外に誰も居ないから、心配するな」

両親は明後日まで帰って来ない――そう鳴上は続ける。

「お前の家の両親、海外から戻って来たんじゃなかったのか?」
「海外での仕事の報告があって忙しいらしい。こっちに戻って来てから、二度顔合わせただけだな」

平然と当たり前のことのように言われて、陽介は肩を竦める。
だがまあそう言う事なら、わざわざホテルに泊まる必要もない気がした。

「まあそう言う事なら、お邪魔します」

その陽介の言葉を聞いて、鳴上は何も言わずに促すように歩き出す。
追いかけて、陽介は鳴上の隣に並んだ。

「陽介が来るなら、食材買って帰るか」
「もしかして、何か作ってくれんの?」
「コンビニ弁当がいいなら、そうするけど」
「作って下さい。お願いします」

そう言って笑い合う。
共に過ごした日々の中、何度か鳴上が作って来てくれた弁当のおかずを思い出す。
あれもこれもと上げていけば、誰がそんなに食べるんだと冷静に突っ込まれた。

明日には帰らなければならないのが、寂しい。
出来る事ならばずっと相棒と共に在りたいと思っていた。

「また、遊びに来ればいい。俺も、行くから」

そんな陽介の心の内を呼んだかのように、鳴上はそんな事を言う。
相変わらず良いタイミングだな、と思いながら、陽介は肯定の返事をした。
稲羽とは違う生温い風が吹く。
そのせいなのか、それとも謝る事が出来たからなのか。
鳴上の先程の言葉のせいなのか、どれが原因か分からないが、軽くなった気持ちのままに隣に並ぶ相棒と肩を組んで見る。
鳴上は嫌そうに陽介を見たが、その手を振りほどく事はなかった。

会おうと思えばいつだって会えるのだ。
そう改めて実感して――わざわざ此処まで来たのは、直接伝えたかったからというだけじゃないのだと、気付く。

「いい加減離れろ、熱い」

鳴上のいつも通りの淡々とした言葉を聞いて、陽介は肩を組んだまま笑った。
帰ったらまた、川原で冷たい風に吹かれるのも良いかもしれないと、思う。
そうしたらきっと、今日のこの生温い風を思い出すだろうから。

いい加減焦れたのか、肩に回されている陽介の手を引きはがそうとする鳴上に抵抗する。
なんなんだ、一体。という鳴上の呆れたような呟きを聞きながら、陽が傾き始めた空を見て、笑った。



END



2011/05/16up : 紅希