■昼間の森

森を歩いている最中、ふと気配を感じて足を止めた。
人里には近づかないようにしていたが、森の奥まで迷い込んだ者でも居たか。
太い幹を選んで身を潜ませ、気配を辿るために目を閉じた。

『この……化け物がっ!』

何者かの足音を捉えるより先に、言われ慣れてしまった罵声が耳に蘇る。
深手を負っても死なない身体。
不思議な力があると言われる血。
見た者の意思を奪い魅了する瞳。
『化け物』と呼ばれるに相応しいこの身は、望まなくても諍いを起こしてしまう。

太陽が昇らなくなったとは言っても、昼間の森には茜色の光が射しこみ明るさが増す。
騒ぎが起これば、駆けつける者も多いだろう。
気配の主が誰であれ、姿を見られる前に去った方が良いのではないか。
分かっていながらこの場を離れられないのは、『もしや』と思ったからだ。
―――感じた気配が巫女に似ていた気がする。
その僅かな期待に足を動かせずにいる。

「……愚かな……」

つい先頃、巫女の前で口にしたばかりの言葉を苦笑いとともにこぼした。

俺が『化け物』と呼ばれる理由を目の当たりにしながら、それでも受け入れようとした愚かな女。
誰も傷つけないように一人で居ると決めたのに、女を突き放せなかった愚かな『化け物』。
愚かな者同士、共に過ごすのも良いかもしれない、と。
想いを通わせたのは、焦がれるほど時を置いた昔のことではない。

だが、もう会いたいと思っている。
不確かな気配に期待してしまうほど巫女を想っている。
愚かな自分の愚かな想いを笑えば、耳にこだましていた罵声が聞こえなくなるのも可笑しかった。

「……巫女……」

今度は頬に巫女の温もりを感じた気がして、彼女を呼びながら目を開いた。
民人を魅了する瞳に、思わず探した巫女の姿は映らない。
ただ、森の木々の隙間から茜色の光が射しこみ頬に当たっていただけだった。

「くっ……」

ならば、先程感じた巫女の気配も木漏れ日だったか。
正体を知って、一人で納得をして、今度は声を出して笑った。

太陽が昇らなくなった茜色の世界でも、森に射す光は明るく頬に微かな温もりをもたらす。
太陽を取り戻すために現れたと言われる伝承の巫女は、その使命を果たすよりも先に小さな太陽を取り戻した。
……この、化け物の、闇と孤独しかなかった世界に。
暗い森に射しこんだ光と温もりが巫女に似ていると思ったのも、その在り方が似ていたからかもしれない。

「明日のことなど考えた事もなかったが……お前に会える日が、待ち遠しいな」

頬に当たる、彼女のような温もりに微かな幸いを感じながら、今度は躊躇うことなく帰路に向かって足を踏み出した。




END



2018/07/28up : 春宵