■痛み

菜々子ちゃんを助け、無事病院に運び、今病院の外で帰って行く仲間を鳴上と共に見送った。
この病院から帰るには、バスを使うのが一般的だが、歩いて帰れない距離ではない。
バスも頻繁にある訳じゃないし、仲間たちは皆歩いて家へと向かったようだ。
今この場に残っているのは、陽介と鳴上。
11月も中旬を過ぎ、そろそろ終盤に近い今は、こんな風に外に立っていると流石に寒い。
だが、帰る素振りさえ見せない鳴上を置いて帰る事は、陽介には出来なかった。
菜々子ちゃんは鳴上にとって、実の妹同然の存在だ。
菜々子ちゃんと鳴上の二人を見て、本当の兄妹だと言われても誰も疑わないだろう。
実際二人の周りに居る人間は、二人の事を本当の兄妹のように思っていた。
鳴上自身もそう思っているのは陽介だけじゃなく仲間達もそして、特捜隊以外の友人達も知っている。
だからこそ、普段と変わらない表情で綺麗な星空を見上げている鳴上を、ここに置いて行く事なんて出来なかった。
仲間達が菜々子ちゃんをもっと早く助ける事が出来ればと後悔する中、鳴上は普段通りに落ち込む仲間達に声を掛けていた。
何も思っていないはずなんてないのに。
冷静で頼りになるリーダー。
そんな普段通りの鳴上にしか見えなかった。
けれど、そんな鳴上に何となく違和感があった。
どこがと言われても答えられないが、それでも何かが可笑しいとずっと思っていた。
いつからだろうと思い返してみると、途中のシャドウとの戦闘の時からだったように思う。
いやまあ、それ以前から鳴上が普段より冷静さを欠いてるなとは思っていたが、それは当然だ。
家族が被害にあって冷静で居られる奴なんているはずがない。
必死に普段通りを装ってはいたが、流石に陽介を欺く事は出来ない。
そんな事は、鳴上自身も分かっているだろう。
だから違和感はそれじゃない。
それ以外に何か違和感があるのだ。

「陽介、帰らないのか。クマが待ってるぞ」
「先に寝てろって言ってあるから大丈夫だろ」
「クマの事だから待ってると思うけどな」
「お前が帰るのを見届けたら帰るよ」
「……俺は、お前が帰るのを見届けたら帰るつもりだったんだが」
「お前、帰らずにずっと此処に居そうだからな」
「流石にそれはない。寒いしな」
「どうだか」

誤魔化されるかよ。そんな思いを込めてじっと鳴上を見れば、降参だと言わんばかりに手を上げて見せる。

「やっぱりお前、帰る気なかっただろ」
「家に帰っても誰も居ないからな」
「何なら、今日は俺が一緒に居てやろうか」
「いや、いい。……クマが心配する」
「お前、さっきからクマの事ばっかりだな」
「そんなに心配しなくても、一晩中此処に居る気はない」

だから先に帰れと告げる鳴上に、陽介は深い溜息を一つ零した。
さっきから一度も菜々子ちゃんの事に鳴上は触れない。
菜々子ちゃんの名前さえも出さない。
思う事があり過ぎて、口に出す事が出来ないんだろうと言う事は容易に想像がついた。
恐らくは、病室の前で後悔を口にした仲間の誰よりも、鳴上は後悔しているんだろう。
菜々子ちゃんを助けに行く間ずっと、鳴上は普段より冷静さを欠いていたから。
手強いシャドウ相手に、かなり強硬な手段を講じる事もあった。
その辺りの事は、陽介以外の仲間も気付いていただろう。
だが、菜々子ちゃんを早く助けたいという思いは皆一緒だったし、鳴上が焦る気持ちも分かったから誰も何も言わずに、鳴上の指示に従っていた。
その事も後悔しているだろうが……陽介達の知らない何かが、あるんだろう。
かなり深い後悔を鳴上が抱えている事に、陽介は気付いてはいた。
菜々子ちゃんを助ける為にテレビに入った時からずっと、鳴上の様子は普段とは違っていたから。
いや、その前からだ、鳴上の様子が普段と違っていたのは。
表面上は普段と変わらない素振りをしていたが、陽介を誤魔化す事など出来ない。
伊達に相棒を名乗って居る訳じゃないのだ。
警察署の一室に閉じ込められた鳴上の元を訪ねた時から、鳴上の様子はどこか可笑しかった。
恐らくは陽介以外誰も気付いてはいないだろうが。
あの時からずっと鳴上は深い後悔を抱えていたんだろう。
一体何があったのか。
言えば楽になる事もあるというのに、まあこいつの性格上簡単に話はしないだろう。
上手く聞き出す事も出来るが、今はそれ以上に気になる事がある。
何かが可笑しいのだ。
違和感がある。
だがその違和感がどうしても分からない。

「俺は、お前が帰るまで帰らないからな」
「陽介」

呆れたような困ったような口調で鳴上は陽介の名を呼ぶ。
だが、そんな事くらいで陽介は折れるつもりもなかった。
無言でじっと睨むように鳴上を見れば、諦めたのか深い溜息を一つ吐いて、それ以上帰れとは言わない。
しばらくそのままで居ればやっと諦めたのか、鳴上が帰る素振りを見せる。

「陽介も直ぐに帰れよ。それじゃあ、また」
「ああ。何かあったら言えよ」
「分かってる」

そう言って帰って行くのを見届ける。
大丈夫か、そう思い帰ろうとした途端、鳴上がよろけたのが見えた。

「なんだ?」

直ぐに体制を立て直して何でもない振りをして歩き出すが、どうも様子が可笑しい。
遠ざかって行く鳴上に急ぎ近付く。
再び、よろけた鳴上は、傍にあった壁に身体を預けた。

「おい、鳴上」
「大丈夫だ。だから、陽介は帰れ。……クマが心配する」
「人の事心配してる場合か。どうしたんだよ」
「何でもない」
「何でもないはずないだろ」

壁に身体を預けたまま荒い息を吐く鳴上の様子を窺う。
良く見れば、何故か壁に手をつく事無く身体を預けて居て、更に良く見ればどうやら片手を庇っているようにも見える。

「お前、まさか……」

思い当って陽介は溜息を吐きだす。
シャドウとの戦いの後感じた違和感。
あれは――その後の鳴上の動きが普段とは違ったからだ。
怪我したのかと今更気付き、内心で舌打ちする。
何でもっと早く気付かなかったのか。
制服が冬服じゃなければ気付けたかもしれないが、学生服が黒い為血が滲んでいても分からない。
多少の怪我ならば他の仲間達もしている。
だから、血の匂いがする事なんていつもの事で、そのせいもあって気付かなかったのだ。
テレビの中でしかペルソナを呼ぶ事が出来ない。
だから、今気付いても怪我を癒してやる事が出来ない。
アイテムはとっくに底をついているし、四六商店は当然の事ながら閉まっている。
病院に戻って怪我の手当てをして貰おうにも、もう診療は終了している。
救急受付なら開いているだろうが、それはきっと鳴上が拒否するだろう。
入院している菜々子ちゃんや堂島さんに伝わるかもしれない。
心配させるかもしれないと思うだろうから。

「何で早く言わねえんだよ。怪我したの、あの時か」
「……気付かれてたか」
「隠すなよ。何で言わないんだ」
「俺に回復スキル使う余裕なんて、誰にもなかっただろ」

確かに、鳴上の言う通りだ。
もうあの時は誰も、精神力に全く余裕がなかった。
もう少しでダンジョンの最奥に到達する。
そんなタイミングだった。
ダンジョンの最奥で戦いがあると言う予想くらいは、誰もがしていた。
何度も体験して来た事だ。
だからこそ、皆体力も精神力も温存しながら戦っていたのだ。
だが、それでも――明らかに軽い怪我ではなさそうな鳴上を陽介は見る。
そんな怪我をしたままの状態で生田目と戦い、その後鳴上は意識を失った菜々子ちゃんを抱えてテレビの外へと出たのだ。
なんだってそんな無茶をするんだと陽介は思う。
どうやら怪我をしているのは左腕のようだ。
もう隠す気もないのか、右腕で左腕の肘の少し下辺りの内側を押さえている。
壁に身体を預けたまま荒い息を吐く鳴上の怪我は――確認出来ないが、良くここまで隠していたと思うようなレベルのものなんだろう。
はあ、と陽介は溜息を吐いて告げる。

「今からもう一度テレビの中に行くぞ」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃねえよ!」

何で分からないんだと陽介は思う。
こいつはいつもそうだ。
回復だって仲間を優先して自分の事は後回しにする。
そのせいでアイテムが足りなかったり、皆の精神力が尽きてしまったりなんて事は今までもあった。
その度に、大丈夫だと言う。
仲間が傷付くのは嫌がる癖に、自分の事には無頓着で。
それがどれ程陽介に、仲間に痛みを与えるか、分かっているのかと思う。
仲間が傷つけば、自分が傷付いてなくても痛みを感じる事くらい、こいつは分かっているはずなのに。
何故それを自分に置き変えられないのか。
かと言って、今からもう一度テレビの中に行くのが無理な事くらい陽介にも分かっている。
ジュネスはもう閉まっているし、他のテレビから入るのは何処に出るか分からなくて危険すぎる。
せめてクマが居れば現実へと帰るテレビを用意してもらえるが、クマはもう家に帰ってしまっている。
アイテムもない。
ならば――。

「せめて、手当くらいさせろ」
「だから、俺なら――」
「大丈夫だとか言うなよ」
「陽介。本当にいいんだ。皆に無理をさせた自覚くらいある」
「それでもだ。それに、菜々子ちゃんを早く助けたいと言う思いは皆同じだった。だから、お前の強硬手段にも誰も何も言わなかった」

分かってるんだろ、そんな事くらい。そう陽介は言う。
リーダーである鳴上の事を信頼しているからと言うだけじゃなく、あの時は皆が同じ思いでもあったのだ。
だからこそ無茶だとどこかで思いながらも誰も何も言わなかった。一刻も早く、その思いは皆同じだったから。
いつもならそんな鳴上を止めるのは陽介の役目だ。
止めなかったのは、陽介も同じ思いだったからだ。
ならばそれは鳴上だけの責任じゃない。
皆が同じ思いで、無茶だと分かっていながらそれぞれが自らの意思で従っていたのだから。

”菜々子”という言葉に、びくりと鳴上の肩が微かに揺れたのに陽介は気付く。
それでも鳴上は何も言わない。
触れられたくない事ならばと、その事には気付かない振りをした。
何も言ってくれない相棒に対して微かな痛みを覚えて、それでも頭を切り替える。
今は、相変わらず壁身体を預けたまま苦しげに息を吐く鳴上をどうにかする事が先決だ。
様子を見る限り、発熱している可能性もある。
流石に歩いて帰るのは無理だ。
かと言ってバスは――いつ来るのか。
こんな時田舎は不便だと思う。
だが、そんな事を言っている場合じゃないだろう。
バスがあてにならないなら、もう残りは一つしかない。
携帯を取り出して陽介は電話を掛ける。
何か言い掛ける鳴上を制して、陽介はタクシーを呼んだ。

タクシーに乗り込み、堂島家の場所を告げれば、車はゆっくりと動き出す。
この辺りはこんな夜に車が走る事はあまりないから、直ぐに堂島家に着くだろう。
ほっと息を吐きだした途端、左肩に重みが掛る。
見れば、苦しげに息を吐く鳴上が、陽介の肩に凭れ掛っていた。
普段ならば絶対に見る事の出来ない光景。
こんな風に陽介に鳴上が寄り掛かる事など殆どない。
だからつい珍しくてじっと見てしまう。
その視線に気付いたのか、鳴上は「悪い」と小さく告げて、身体を起こそうとする。
それを制して、陽介は鳴上の身体を自分の方へと引き寄せた。
少々強引だったのか、痛みに鳴上が小さく呻く。
だが直ぐに、陽介に掛っていた重みが増す。
流石に重いなとは思うが、鳴上が普段通りを装う事さえ出来ないというのは本当に珍しい。
そんなに怪我が酷いのかと思えばやはり心配で、早くこのタクシーが堂島家へと着く事を願う。
陽介の予想よりも早く、タクシーは無事堂島家へと到着した。

どうにか鳴上をタクシーから下ろし、部屋へと向かう。
ソファに座らせて、取り敢えず服を脱げと言えば、一瞬躊躇いを見せたが、逆らう気はもうないのか、鳴上が制服を脱ぐ。
現れた傷に、陽介は息を呑んだ。
左腕の肘の下あたりから手首の近くまでざっくりと、切り裂かれた傷。
結構な出血量があっただろうに、その後もこいつは何でもない振りをして戦い続けていたのかと思えば、怒りに近い感情さえ湧く。
それを抑え込む為に、陽介は深い溜息を一つ零した。
確か、あのダンジョンには剣のようなモノを持ったシャドウが居た。
その攻撃を鳴上が自身の武器で防御したのも覚えている。
恐らくはあの時、防御しきれずに攻撃を受けたんだろう。
ざっくりと学生服もワイシャツも切り裂かれている。
何故これで誰も気付かなかったのかと思うが、鳴上だけじゃなく仲間の誰もが余裕がなかったのだ。
それは陽介も同じで、だがそれでもやはり何故気付かなかったのかと後悔が浮かぶ。
それを抑え込んで、陽介は告げた。

「なあこれ、病院行った方が良くないか?」
「なんて言うんだ?」

鳴上のその言葉に陽介も考える。
明らかに鋭い刃物で切られたと分かる傷。
しかも料理していて包丁で切ったというには、場所も可笑しいし傷の大きさもあり得ない。
どうしてこんな怪我をしたのかという説明が、出来ないのだ。
テレビの中に入ってシャドウと戦って怪我しました。なんて言ったところで誰も信じてはくれない。
たとえそれが真実でも、信じられないだろう。

「……そう、だよな」
「――ああ」

そう言って鳴上はまた苦しげに息を吐く。
本当にこんな状態でどうするつもりだったのかと思う。
陽介が気付かなければ、明日また何事もなかったように仲間の前に現れたんだろう。
再び漏れそうになる溜息を飲みこんで、鳴上の部屋に常備してある救急箱を開けて、消毒液と薬と、包帯を取り出す。
手当てを終えて包帯が巻かれた鳴上の腕を見て、かなり重症に見えるなと陽介は思っていた。

「凄い怪我したみたいだ」

同じように思ったのか、包帯が巻かれた自分の腕を見て鳴上はそんな事をぽつりと呟く。

「凄い怪我だろ、どう見ても」
「そうか?」
「……そうだよ」

はあ、と陽介は今度こそ深い溜息を吐きだす。
頼むから、もう少し自分の事に頓着してくれと陽介は思っていた。
二人並んでソファに座って、どちらも何も話さずに時間だけが過ぎていく。
それに耐えられなくなったのか、鳴上が口を開いた。

「なあ、陽介」
「なんだ?」
「帰らなくていいのか?」
「今日は泊まってく」

駄目だとは言わせないと目で訴えれば、鳴上は諦めたように溜息を吐きだした。
心配するといけないから家に連絡だけしておけと言う鳴上に従って、陽介は電話をする。
電話を終えて、こんな奴放置出来るかと思い隣の鳴上を見れば、やはりまだ苦しそうで。
普段弱った所なんて仲間にも陽介にさえも見せない奴のこんな姿を見たからか、不安が押し寄せてくる。
病院に行く訳にいかないのは分かる。
だけど、本当にそれで大丈夫なのか。
喪う恐怖が湧き上がって来て――小西先輩だって突然居なくなったのだ。
鳴上がそうならないと、どうして言いきれる。
俺はもしかしてまた、大切な存在を――無くすのか。

「――っ、」

鳴上が驚いたのか痛かったのか、息を呑む。
不安に押し潰されそうになって、陽介は気付けば鳴上に抱きついていた。
伝わるぬくもりに、少しだけ不安が和らぐ。
大丈夫、まだこいつはここに確かに居る。
大丈夫、大丈夫だと、声に出さずに自分に言い聞かせて居れば、頭上から穏かな声が聞こえてくる。

「俺は居なくなったりしない。大丈夫だ、陽介」

春には都会に帰るくせに、何が居なくなったりしない、だ。と思ったが、口には出さない。
そう言う意味じゃない事くらい陽介にも分かっていたから。
小西先輩のように、二度と会えない訳じゃない。

伝わるぬくもりが、その存在が今確かにここにあると教えてくれる。
ふわりと何かに包まれるような感覚がして、抱きついてる陽介を鳴上がそっと抱き締めたのだと分かった。
不安も痛みも消えていく。
戦いの日々が終わりを告げない限り、こんな事はきっとあるだろう。
けれど大丈夫。
その度にこうやって確認すればいいのだから。



END



2012/08/20up : 紅希