■傷口

放っておけなかったのは、聞いてしまった彼の過去が、以前死神と呼ばれていたあいつと似ていたからだろうか。
傷ついていないはずなどないのに、全てを自分のせいだと背負い込み、全てを綺麗に隠して、なんでもない風に過ごす姿に不安が募る。
見えない傷口が気になってしかたがなかった。

ブラッドの面々は、再び神機使いに戻っていた。
ジュリウスもブラッドへと復帰はしたが、「クーデター」の責任を一人負わされた。
確かにジュリウスにも責任はある。
だが、一番責任があるとしたらやはりラケルだろう。
そのラケルがもう既にいないのならば、フェンリルが責任を負うべきだとは思うが。
螺旋の木さえも自分たちの保身に利用したフェンリルにそれは望めないだろう。
相変わらずだなと、任務へと出撃するブラッドの面々を見ながらリンドウは思う。
ジュリウスが戻って来た事で、ブラッドの隊長は肩の力が抜けたように思う。
ブラッド隊長とジュリウスと一緒に任務に行ったこともあるが、隊長は皆をしっかりと纏めてはいるが、ジュリウスに対してだけは無意識なんだろうが時折指示を仰ぐ時がある。
それに対しジュリウスは、僅かに逡巡するものの、簡潔に的確にアドバイスをしていた。
ジュリウスの逡巡は、もう自分が隊長ではないのだから、というものなのだろうが、あれはもう言っても無駄だろう。
隊長――ヒロにとってジュリウスはやはり、隊長なのだ、いつまでたっても。
そしてそれをジュリウス自身分かってはいるのだ。
だから逡巡するものの、的確なアドバイスをしている。
そしてそれを、ブラッド隊長、ヒロは、嬉しそうに聞くのだ。
あの顔を見たら何も言えないようなあとリンドウは思う。
ブラッドの皆は、ジュリウスが戻って来た事で変わった。
使命感というには強すぎるそれに縛られているかのように、我武者羅に必死に進んでいた彼らは、強すぎるそれから解放されたように思う。
ただ一人を除いて。

「気になるのか」

ブラッドの面々の姿が見えなくなっても出撃ゲートから視線を外せずにいたリンドウに、少し離れた場所で同じように出撃ゲートを見ていたソーマが近づいて来て声を掛ける。

「それは、お前もだろ」
「まあ、な」

仕方がないとはいえ、ただ一人捕らわれたままの彼が、気になって仕方ない。
痛みも辛さも、何一つ表に出さない彼を――偶然聞いてしまったその過去故にか放っておくことが出来そうにないのだ。

「得意だろ、ああいうのをどうにかするのは」

そうソーマに告げられて、リンドウは微かに笑って告げた。

「得意って訳じゃあないんだが、ま、放っておけない奴がずっと傍にいたからなあ」
「……」

何も言わないソーマを見て、リンドウは変わったなと思う。
以前のソーマなら、突き放すような言葉を吐いて、そしてこの場から去って行っただろうから。
何も言わず、けれどその場で既に誰もいない出撃ゲートを見ているソーマを見て、そんなことを思っていた。

「さて、どうするかな」

そう呟いて、考える。
決して浅くはない傷口を本人は自覚しているのか。
それさえも分からないから対処は難しかった。
リンドウとジュリウスは、何度か一緒に任務へ行ったこともあるし、元隊長という立場故か話をしたこともある。
けれど、どうにもジュリウスの前には透明なけれど厚い壁があるような気がして仕方がないのだ。
こちらから手を差し伸べる事さえも拒絶されている。
それでもと手を伸ばしても、その厚い壁に阻まれて届くことはないのだ。
以前のソーマの様なあからさまな拒絶はない。
だが、それ故に尚更対処は難しかった。
どこから攻略すればいいのか分からない。
とは言え、何もかも全て分からない訳でもなかった。

「恐らく、自分のせいで仲間が悪く言われるのが、嫌なんだろうな」
「あいつらは、一緒に背負う覚悟くらいあるだろ」
「まあそうなんだけどな」

それはリンドウも分かっている。
ブラッドの面々がジュリウスを助け出すと決めた時の覚悟は並大抵のものではないのだということを。
ジュリウスがしたことも、ジュリウスを助けだす事で受ける非難も、何もかも分かったうえで受け入れる覚悟をしたのだ。
ジュリウス一人に全てを背負わせる気など、あいつらにはない。
今度は――きっとそう思っているのだろう。
自分たちを守るために全てを一人背負って行ってしまったジュリウスを、今度は自分たちが。
その思いは分かる。
だが、ジュリウスはそれを容易には受け入れられないのだろう。
あれは性分だろうから。
そしてそのジュリウスの思いもまた、良く分かるのだ。
だからこそ、中々踏み込めずにいる。

「なあ、ソーマ」
「なんだ」
「ジュリウスの過去の事、お前知ってるか」
「……お前と一緒にヒロから聞いたことの他にまあ、少しだけ、な。ただまあ、他人事には、思えないな」
「それで気にしてるのか、お前」
「お前もだろう、それは」

リンドウには、ソーマやジュリウスがどれ程の苦痛を抱えていたのか分からない。
ただ、全ての偏食因子を受け入れることが出来る体質だと分かる方法は、実際に全ての偏食因子を投与してみないと分からないのだ。
耐性があるかないかくらいは調べれば分かるし、最近はその精度もあがり、事前の検査でほぼ間違いなく分かる。
それでも、僅かとはいえ、未だに腕輪装着が失敗する例もあるのだ。
しかも、恐らくは今現在神機使い達に投与されている偏食因子以外のものも、投与されたのだろう。
そうなれば尚更、事前の検査では分からない。
ジュリウスの体質の事を聞き、過去の話を聞いて、その程度の事は想像していた。
だが、実際に調べた結果分かったのは、想像以上に酷いものだった。

ジュリウスが幼少期を過ごした孤児院「マグノリア・コンパス」で行われていたのは、孤児達への未認可の偏食因子投与実験だった。
偏食因子を投与された子供達の殆どは、偏食因子による急激な体の変化に耐えきれずにショック死するか、アラガミ化してしまったようだ。
アラガミ化した子供たちをどうしたのかは、分からない。
恐らくは、秘密裏に処分されたのだろう。
実験台にされた子供の数は数千人とも数万人とも言われているようだが、それさえもはっきりはしていない。
孤児院で行われている非道な行いに気づいたラケルの父親を、ラケルが殺害してしまったために、中々明るみに出なかったらしい。
孤児院だというのも、彼女の行いが明るみに出なかった原因だろう。
孤児達に身内はいない。
亡くなったとしても、誰もそのことに言及する者がいないのだ。
どれ程の期間その実験は行われたのだろうか。
その実験で唯一アラガミ化することもなく生き残ったのが、ジュリウスというわけだ。
そして、孤児院で行われていた実験で発見されたのが、ブラッドに投与されている偏食因子。
ラケルは、ブラッドに投与されている偏食因子を発見するために実験していた訳ではなく、彼女の目的はジュリウスだ。
全ての偏食因子を受け入れることの出来る存在を見つけること、それが目的なのは明らかなのに、ブラッドへと投与されている偏食因子を発見したためか、彼女に何らかの処罰が下された様子はない。
彼女の功績は確かに大きい。
だからと言って、彼女のしたことは、許されていいことではないはずだ。
なのに、フェンリルは彼女を博士として迎え入れている。
孤児院で行われていたことが明るみに出た時点で彼女に何らかの処分が下されていたら、今回の事件自体起こらなかったかもしれないというのに。
それに、孤児院で行われていた実験の事自体、明るみに出たとは言え、誰もが知ることの出来る情報ではないのだ。
秘匿されていたといってもいい状態で、調べるのは簡単なことではなかった。

この事実を知ったときに浮かんだ感情を、どう表せばいいのか。
怒りなのか哀れみなのか分からない。
偏食因子は、人間にとっては異物だ。
耐性があっても、投与されれば何らかの拒否反応が起こる。
熱を出して寝込むもの、しばらくは激痛に苦しむもの、様々だ。
そう言った酷い拒否反応がない者でも、体がだるく動き難いなどの症状はある。
未認可の偏食因子がどれ程の数あるかは分からない。
だからどれ程の偏食因子を投与されたのかは分からない。
一体どれ程ジュリウスは苦しんだのだろうか。
自分以外の子供達が居なくなっていくのを、どんな思いで見ていたのだろうか。
アラガミ化した子供を見てしまったりはしなかったのだろうか。
それが、子供の身に起こったのだと思えば尚更、許せるものではなかった。

ジュリウスが全ての偏食因子を受け入れることが出来ると知ったのは、ラケルの起こした事件の詳しい話をヒロから聞いた事がきっかけだった。
ラケルが何故そこまでジュリウスに執着するのか分からなくて、その辺りの話を聞いた時に、ヒロ自身詳しくは分からないがと前置きをされた上で話してくれた。
ラケルに投与された偏食因子の事とそして、彼女の孤児院に引き取られたジュリウスの話。
全ての偏食因子を受け入れられるという話から、ヒロ自身もある程度は孤児院で行われていた事を想像していたのだろう。
なんとも言えない表情で語られた内容は、ただ彼が知っている事実のみで、それ以上の事はリンドウが独自に調べて分かったことだった。
そしてその場にたまたま一緒にいたソーマも、多少調べたのだろう。
ソーマはラケルに会った時に、何かを感じとっていたらしい。
彼女の中のアラガミに反応したのかそれとも、同じ偏食因子を投与された者同士分かることがあるのか。
どちらにしろ、同じ偏食因子を投与されたはずなのに、何故こうも違うのか。
ソーマが調べたのは、ラケルに何かを感じとったらではないのだろう。
恐らくはジュリウスの過去に自分の過去を重ねたから。
リンドウも、偶然知ってしまったその過去をどうしても知らないふりは出来なくて、どうしても重ねてしまって。
危険を承知の上で調べたのだ。

幼少期に実験体にされたという意味で、ソーマとジュリウスは同じだった。
その頃の事をソーマはあまり語らないから、リンドウは想像することしかできない。
彼らが受けた苦痛を。

どちらにしろ、放っておくことなど出来ないのだから、何とかするしかない。
ソーマのように子供の頃から知っていればどうすればいいのか分かるが、ジュリウスとはそれ程の付き合いはまだない。
どの程度踏み込んでいいのか、何を言えばいいのか、分からない。
未だリンドウの隣で、表情には出さないが心配そうにしているソーマを見て、リンドウはぐいっとソーマを引き寄せた。

「おい! 何をする」
「なあ、ソーマ。お前も気になるよな、心配だよな」
「――何が言いたい」
「おお、否定しないんだな」
「否定したら信じるのか、お前」
「信じないな」
「なら、否定するだけ無駄だろ」
「まあ、そうだな。で、だ。ソーマ、お前も手伝え」
「……俺を巻き込むな」

溜息を一つ吐いて心底嫌そうにソーマは言う。
だが恐らく、ソーマは断らないだろうとリンドウは思っていた。
いや、断れないのだろう。
リンドウと同じで放っておくことなど出来ないのだから。

「俺よりお前の方が適任だと思うんだよな」
「あいつらに任せておけばいいだろ」
「放っておけないんだから仕方ないだろ!」
「開き直るな」

はあ、とソーマは溜息を吐き出す。
何だかんだ言っても手伝ってくれるだろう。
どうすればいいのかなんて、分からない。
分からないが取り敢えずは――話をしてみようと思う。
過去の事に触れていいのかどうなのか、どの程度踏み込んでいいのか。
まずは距離を詰めなくてはどうにもならないのだから。

解放してやれば、再びソーマは溜息を吐き出す。
諦めたような様子を見て、リンドウは微かに笑った。
何だかんだ言ってソーマは優しい。
そんなことは誰よりもリンドウは知っているから。
恐らくは、リンドウが何もしなくても、ソーマ自身放っておけなくなるだろう。
ただ、どちらかと言えば器用とは言えない二人だから。
二人だけでどうにかしろと言うのは、少々不安がある。
ソーマとジュリウスを二人きりにした場合、互いに殆ど喋らない図しか想像出来ないからだ。
一言二言話してそれで終わりなんて、容易に想像がつく。
どうせ放ってはおけないのだから、二人まとめて面倒見てやろうかとリンドウが思った途端、今まで静かだったエントランスが賑やかになる。
賑やかになったエントランスを見渡せば、任務に行っていた者達が帰ってきたのが見えた。

帰って来た者達の中心にいるのは、ブラッド隊長のヒロ。
そんな彼を巻き込み辺りを賑やかにしているのは、ナナとロミオで、そんな二人をあきれた様に眺めているのが少し離れた場所にいるギルバート。
時折言葉を発する程度で殆ど話す事はないのが、ヒロの隣にいるシエル。
そしてそんな彼らを離れた場所から眺めているのがジュリウスだった。
一緒に帰ってきたはずなのにジュリウスの姿が見えないことに気づいたらしいヒロが辺りを見渡す。
ジュリウスの姿を見つけて、ヒロはほっとした様に微かに笑った。
すぐに、ナナとロミオに話しかけられてヒロの意識は二人へと向く。
そんなブラッドの面々を眺めて、リンドウはソーマを伴い彼らへと近づいた。

少し離れた場所にいるジュリウスへと近づけば、ジュリウスは驚いたようにリンドウとソーマを見る。
そして、そんなジュリウスをヒロが心配そうに眺めて――リンドウとソーマに何事かと視線で問う。
それには答えずに、まずは距離を詰めるところからと、リンドウはジュリウスへと話しかけた。
ジュリウスがブラッドの皆から離れていた為、リンドウとジュリウスの会話はヒロ達には聞こえない。
二言三言言葉を交わして、リンドウはジュリウスを連れて、食堂へと向かう。
その後を仕方なさそうにソーマもついていった。
そんな彼らの後姿をしばらく眺めて、彼らの姿が食堂へと消える直前、ヒロが声を掛ける。

「あの、ジュリウス!」
「……なんだ?」

立ち止まりジュリウスが振り返る。
必然的にリンドウとソーマも立ち止まることになった。

「後で部屋を訪ねてもいい?」
「ああ、構わないが、どうした?」
「ちょっと報告書で分からないところがあって……」
「なんだそんなことか。……部屋に戻ったら声を掛けるからいつでも来るといい」
「はい!」

嬉しそうに返事をするヒロを眺めてジュリウスが微かに笑う。
そんな二人の様子を眺めていたリンドウが、小声でソーマに話しかけた。

「なあ、あれどう思う?」
「……」
「俺達がジュリウス連れて行くのがそんなに心配なのかねえ」
「分かってて聞くな。……あとで説明しておけよ」
「分かったよ。――ああ、悪い。なら行くか」

すっかり話が終わったらしいジュリウスが、小声で話している二人を不思議そうに眺めていた。
促せば無言で頷きリンドウについて食堂へと入る。
食堂へと入る直前にヒロの様子を窺えば、こちらを心配そうに眺めていた。
これは確かに説明が必要そうだな、と思いながら三人の姿は食堂へと消える。

食堂の中でどんな話が行われたのかは分からないが、その後、三人で話す姿が度々目撃されるようになる。
彼らが負った傷は、完全に消えることはないだろう。
それでもいつの日か――その傷口が殆ど分からなくなればいい。
そう、願って。



END



2016/07/28up : 紅希