■墓場
―――さすがにヤバイ、か。
前方にはヴァジュラ、後方には閉ざされた退路。
いわゆる“絶体絶命”という状況に見舞われながら、思わず笑った。
不幸中の幸いは、錯乱した様子のアリサがこの部屋の中に居なかったことだ。
新人隊員の命を背中に庇いながら、では死ぬに死ねない。
アラガミとの戦いのような荒事とは別に、命に危険が及ぶような案件を抱えていた。
榊博士が遠回しすぎて分かりづらい警告を寄越してきたこともあって、一応の覚悟はしていた。
だから、おそらく作為的に作られたこの状況にも驚きはしない。
悔やむ気持ちよりも焦る思考よりも先に笑えたのは、この状況を自嘲したからではなかった。
そう言えば今日は最初からツキが悪い日だったと思い出したからだ。
起き掛けの煙草になかなか火が点かなかったこと。
配給ビールを賭けたゲームに負けたこと。
第一部隊の戦闘準備が終わった段階で、ヨハネスの“デートの誘い”が来たこと。
そして、思いもかけずソーマを怒らせたこと。
最後の1本になるかもしれない煙草を燻らせながら、その不機嫌な顔を思い出す。
………と言っても、自分でも詳しいやり取りを覚えている訳ではなかった。
第一部隊の任務を受ける前、極東支部のロビーでソーマと2人で話していた時。
何気ない会話の中でふとソーマの機嫌が悪くなった瞬間があって。
『拗ねるなよ』
笑いを含みながらフードの上から頭を撫でたら、もっと不機嫌になって手を振り払われた。
ツカツカと傍から離れていくソーマを謝りもせず苦笑いしながら見送った、今朝の1コマ。
ヒトは死に際、人生を走馬灯のように思い出すものだと聞くが。
これが最後に思い出すべき人生の1場面だろうかと思うと、また笑いが漏れそうになった。
今度は間違いなく、自嘲の笑いだったが。
「………もし、俺が死んだら………」
紫煙を吐き出しながら呟いて、想像してみる。
ほとんど不機嫌な顔しか見たことのないソーマの表情は俺が死んだらどう変わるだろうか、と。
部隊生存率90%の隊長さえも“死神”に喰われてしまった。
口さがない連中は、またそんな根も葉もない事を聞こえよがしに言うだろう。
アイツは何も感じていないような無表情で、ヘッドフォンに遮られた一人の世界に引きこもる。
今までなら、その檻の中から引きずり出すのは一番付き合いの長い俺の“仕事”だったんだが。
―――今なら、きっと俺が居なくても大丈夫だ、と無闇に信じられる。
一番権力のある支部長との仲は相変わらず険悪だとしても。
新しく入ってきた連中も含めた第一部隊の皆が居る。
あいつらなら、ソーマの檻をどうにかして破ってくれるだろうと思う。
それと、何だかんだで榊博士や姉上もソーマには好意的だと分かる。
『だから、心配は要らないさ』
本来、ソーマに言い聞かせるべき言葉を、何故か自分に言い聞かせる。
そして何かを断ち切るように立ち上がって煙草を吹き捨てた。
…………………………
……………………
………………
一歩、二歩、三歩。
今にも襲い掛かってきそうなヴァジュラとの間合いを見計らいながら近づく。
まだ、飛びかかって来られる距離には立ち入っていない。
そのタイミングで、ふと足を止めた。
「フゥ……言い聞かせれば諦めもつくかと思ったが……気に入らないよな」
ため息をつきながら吐き出すように独り言を漏らす。
ヴァジュラの方がこちらに近づき始めるのを目で追いながら、まだ死ねないと思い直した。
ソーマに、頼れる仲間が居ることは俺にとっても嬉しい事だ。
ずっとそんな奴等が現れればいいと、ソーマ本人よりも切実に思っていたのだから。
けど、少し―――かなり気に入らないと思ってしまった。
その“仲間”の1人として、俺の姿があいつの近くに無い事を。
“絶体絶命”。
その状況を諦めて、墓場に入れてしまっていた片足を大きな歩幅で外に踏み出す。
そして、神機を握り直してヴァジュラに相対した。
―――どうにかして、この命を繋ぐために。
END
2013/04/14up : 春宵