■命
そろそろ11月も半ばにさしかかろうとしている。
菜々子をテレビの中から助け出して、数日が経過していた。
鳴上は平静を装ってはいるが、明らかに普段とは様子が違う。
特捜隊の仲間達も心配して、陽介に家に様子を見に行けと言ってくる。
けれど、今は無理だ。
あの日、菜々子をテレビから助け出して以来、気付かれないように気を付けながらではあるが、陽介は鳴上を避け続けている。
今日もさっさと教室を後にし、鮫川の河川敷でぼうっと川を見ていた。
寒いとは思うが、真っ直ぐ家に帰る気にもなれない。
かと言って、誰かを誘って遊びに行く気にもなれないのだ。
テレビの中でペルソナを駆使し戦う日々の中。
命と言うものを軽んじた覚えはない。
自分たちも命を落とす危険があると、思っていた。
でもそれは、甘かったのだと知った。
どこかで、自分たちなら大丈夫だと、そう思っていたのだと知った。
陽介自身、自分の影と対峙し、鳴上が居なかったら命を落としていたんだろうと言う目に合っている。
特捜隊の仲間達のそういう場面にも居合わせた。
だから、分かってはいた。
テレビの中が決して安全ではないと言う事を、命を落とす危険があると言う事を。
分かっていたのに――本当の意味で分かってはいなかったのだ。
特に鳴上は、絶対に大丈夫だろうとどこかで思っていた。
まさか、自分が鳴上に攻撃して、しかも……もう少しで……いや、あの時のりせの言葉からすると多分鳴上は一度命を落としているのかもしれない、陽介の攻撃のせいで。
りせとクマのお陰で助かったらしいが、もしも二人が居なかったら、そう思うと恐怖で震える。
操られていたとはいえ、そんなことをして、あいつに会えるはずがなかった。
思い出したくないのに、どうしてもあの日の事を考えてしまう。
テレビの中へと落された菜々子と、テレビの中へと逃げ込んだ生田目を追って、陽介たちもテレビの中に入った。
天上楽土、そう名付けられたダンジョンは綺麗で、けれど悲しくて。
早く、そう誰もが思いながら進んでいた。
中でも鳴上は、そんな思いが強かったんだろう。
当然だ。
鳴上にとって菜々子は本当の妹も同然の存在で、紛れもなく家族なのだ。
普段以上に口数は少なく、けれどシャドウが現れれば仲間に的確な指示を出す。
そうして進んだ先に居たのは、生田目と菜々子だった。
どうにか菜々子を生田目から引き離し、戦闘へと突入する。
そして――。
あの時の事は、良く覚えていない。
後で、生田目に操られていたと聞いたが、操られていた間の事は何も覚えていないのだ。
あの時戦闘メンバーになっていたのは、陽介、千枝、雪子、そして鳴上。
鳴上以外の三人が、操られたらしいのだ。
まだ完全ではないが、うっすらと正気に戻りかけた時に聞こえて来たのは。
りせの涙交じりの悲鳴と、クマの泣き叫ぶ声。
次いで泣くのを必死に堪えているようなりせの「待ってて先輩。今助けるから!」という決意に満ちた声。
そして「クマもやるクマ!」というクマの涙交じりの声。
完全に正気に戻った時に見えたのは、地面に座り込み、だるそうに半身を起している鳴上の姿。
その鳴上に抱きつき泣くクマと、鳴上の直ぐ傍に座り込み「良かった」と泣くりせの姿だった。
そんな二人を見て困ったように笑って、りせに確認を取る鳴上。
その問いに、涙を拭い立ち上がり、りせは答えた。
「うん、もう大丈夫だよ。みんな正気に戻ってる」
「そうか。完二、悪い。俺の代わりに戦闘メンバーに入ってくれ」
「分かりました!」
「陽介。俺はもうしばらく動けそうにない。指示は出すが、サポートを頼む。戦ってないと分からない事もあるからな」
「……分かった。なあ、何があったんだ」
「気にするな。今は戦いに集中しろ」
そう言われてしまえばそれ以上聞くことは出来ず、戦いに集中する。
戦ってないと分からない事もあるなんて鳴上は言ったが、鳴上の指示は的確で、陽介がサポートすることなど殆どなかったのだ。
生田目の影を倒した頃には鳴上も動けるようになっていて、菜々子を抱えてテレビから出る。
それを追うように、生田目を連れて、陽介達もテレビから出た。
菜々子を病院に運んだ後、陽介はあの時何があったのか聞いたのだ。
陽介たちが操られて、鳴上が怪我をした――そう、鳴上は説明した。
だが、りせが……。
「怪我って、先輩。私が助けなかったら……!」
「りせ」
「あ、……ううん、ごめん、なんでもない」
言いかけたりせの言葉を鳴上が遮って、りせが何かに気付いたかのように黙り込む。
あきらかに何かあったのだと分かるその様子に、問わずにはいられなかった。
「鳴上、何があったのか本当の事を言ってくれ」
「さっき言った通りだ。それ以上の事は何もない」
「りせ」
「……」
りせの名を呼び問うが、りせは口を開こうとはしない。
頑ななその態度で大体何があったのか分かった。
あの時の鳴上の傷は、物理攻撃によるものでも、炎によるものでもない。
何かに切り裂かれたかのような細かい無数の傷は、陽介の風の力によるものだろう。
陽介が操られて鳴上を攻撃した。
鳴上は誰に攻撃されたとは言っていないが、テレビの中で随分と戦って来たのだ。
どういう攻撃による傷かくらいは、見れば分かる。
そして、りせの先程の言葉と態度から、恐らくはただの怪我で済んだわけではなかったのだろう。
もしかしたら――。
その思いが消えなくて、けれど確認することも出来ない。
怖いのだ。
自らの手で親友の命を奪ったのかもしれないなんて。
そんな事実は出来る事なら知りたくない。
けれど多分それが事実なんだろうと言う事もどこかで分かってはいるのだ。
だから、会えない。
鳴上の様子は気になるし、会いたいとも思う。
心配だと言うのもあるが、そんなことを抜きにしても会いたいと思う。
けれど、会えない。
全く顔を合わせない訳にはいかないが、必要最低限で済むようにしている。
そうやって鳴上を避け続けて、数日が経過していた。
「はあ」
思わずため息が漏れる。
帰るか、と思い踵を返した瞬間、目の前に見えた光景に驚く。
仁王立ちしている相棒が、そこに居た。
「……なに、してんの?」
「それは、こっちの台詞だ。何してる、こんなところで」
「別に、何も……」
「最近俺の事避けてないか?」
「……そんなこと、」
「ない、とは言わせない」
「……えーと、鳴上。なんか怒ってる?」
「さあな。とにかく、今日は逃がさないからな」
「……」
逃げても無駄だと悟り、観念する。
会いたいとは思っていた。
けれど、会えないとも思っていたのだ。
俺が、この手で――、そう思うだけでこの場から逃げ出したくなる。
操られていたとしても、自分で自分が許せないのだ。
ぎゅっと拳を握りしめた途端、真横から深いため息が聞こえてくる。
「まあ、理由はなんとなく分かってはいるんだが……」
「なんだよ」
「気にするなと言っても気にするだろうしな、陽介は」
「それが分かってるなら……」
「分かってるが、これ以上避けられるのも嫌だから、来た」
そう、はっきりと言われて陽介は言葉に詰まる。
流石にそう言われると、返す言葉がなかった。
ここで、あれは操られていた時の事だからとかなんとか言わないのが、鳴上らしい。
そう言われたところで、「なら、仕方ない」と陽介が思えない事も分かっているんだろう。
沈黙が辺りを支配する。
どちらもそれ以上言葉を紡ぐことなく、時間だけが過ぎていく。
ふと、隣の鳴上の体が傾いた気がして、陽介はそちらへと視線を向けた。
だが、視線の先の鳴上は、普通に立っていて、気のせいかと思う。
それでも気になって、じっと鳴上の顔を見る。
何となく顔色が悪い気がするのは気のせいか?
そう思いながら見ていれば、鳴上が不思議そうな声を上げる。
「なんだ、どうかしたか?」
「いや、お前なんか、顔色悪くない?」
無言で陽介から距離を取るように、鳴上は僅かに後退る。
僅かに空いた距離のまま、じっと見つめて、陽介は言葉を紡ぐ。
「そういえば鳴上。昼どうしてるんだ? 昼になるとお前居なくなるって皆心配してたぞ」
「適当に済ませてる」
「本当に?」
「あ、ああ」
一歩近づけば、その分鳴上は一歩後退する。
辺りは既に茜色に染まっていて、近づかなければ良く分からない。
様子が可笑しいのは確かだ。
それもそうだろう。
鳴上にとっての家族二人が今、入院中なのだから。
改めてそのことを思い出す。
あの家に今鳴上は一人なのだ。
あの時、自分のしたことは簡単に許せそうにはない。
操られていたとは言え、親友を傷つけたことを簡単に許せるはずもない。
だが、それどころじゃない事も確かだった。
だから今は、そのことは置いておくことにする。
いつの日か、自分の中で折り合いをつけられる日も来るかもしれないから。
無言でしばらく鳴上を見つめて、陽介は徐にその手を取る。
「行くぞ」
そう告げて歩き出せば、引っ張られるままに歩きながら鳴上は怪訝そうな声を上げた。
「どこに行く気だ」
「お前の家」
「……」
「今日はお前の家に泊まっていく」
「……突然なんなんだ」
「お前の家に様子見に行けって言われてたんだ。皆心配してる」
「……俺なら――」
「大丈夫、とか言うなよ」
遮って告げれば、鳴上は黙り込む。
しばらく互いに無言で歩き続けて――鳴上が深いため息を吐き出して言葉を紡ぐ。
「……好きにすればいい。どうせ今あの家には、俺以外誰もいない」
諦めたように、そう告げる。
何でもない事のように言うが、内容は重い。
何故今あの家に鳴上以外の誰も居ないのか分かっているからこそ、重かった。
互いに無言で歩き続ける。
繋いだ手から伝わる熱が、その存在を伝えてくる。
あの時失わずに済んだ命が、確かにここにある。
ならば、今出来る事をしようと、思う。
自分自身を許せない気持ちは、簡単にはなくならない。
でも、今その存在はここにあるのだから。
放っておくわけにはいかないだろう。
まずは、ろくに食べてないだろうこいつに食事を摂らせて、そして、ろくに寝てないだろうこいつをちゃんと眠らせる事。
それが、今陽介がすべきことだ。
皆が心配しているからというのもあるが、陽介自身も心配なのだから。
ちらりと振り返れば、陽介に引っ張られるままに大人しくついてくる鳴上の姿が見える。
こんな風に前を歩く事は珍しい。
いつだってその背を追いかけて来たのだから。
けれど、たまにはこんなのもいいだろう。
素直に頼ってくれるような奴じゃないが、なんとかなると思っている。
鳴上が陽介の事を分かっているように、陽介だって鳴上の事を分かっているのだから。
茜色に染まる町を、無言で歩き続ける。
繋がれた手から伝わる温もりに、安堵して。
鮫川の河川敷でただじっと川を見ていた時よりも、少しではあるが気分は浮上していた。
今はとにかく、今すべきことをしよう。
そう思いながら、堂島家へと向かった。
END
2013/02/19up : 紅希