■死神

『三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたい』
以前、神子に都都逸を唄って聞かせたことがあった。
もしもこの世のすべてを斬り払い、神子と共に過ごし続けられるのならどれほど良いか、と。
今ほど願ったことはない。―――それが叶わぬことに今ほど絶望したことはない。

己が苦しいと漏らさぬように奥歯を噛みしめて腰に刀を差す。
お前を幸せにすることは叶わないが……命ある限りお前を守る、と。
神子に誓った言葉を胸に置いて立ち上がる。

「……さて、行くか」

身支度を整え外套を羽織ろうとした時、はらりと畳に落ちたものがあった。
―――蛍の死骸だった。
昨晩、神子と蛍の飛び交う川辺で語り合った。
一匹が気付かぬうちに外套にとまり、そのまま宿まで連れ帰ってしまったのだろう。

蛍は闇夜に身を瞬かせ子を為し幾日も経たぬうちに死ぬ。
いくら短い時を生きるものだと言っても、川辺で過ごせばまだ永らえたかもしれぬものを。
俺の外套にとまったばかりに、何事をも成せず独り身で死ぬことになるとは。
この蛍にとって、俺は死神のようなものだったかもしれない。

「……何を今更……」

『だったかもしれない』も何もないだろう、と自分の考えを嘲笑う。
俺が死をもたらしたのは、蛍に対してだけではない。
宰相を倒し、幕府を倒し、新しい国を創るという志のために、多くの同志を死なせてきた。
長州を勝ち目のない戦に駆り出し、また同志の命を失わせようとしている。
俺は神ではないが。―――神という存在になれるとも、なりたいとも思わないが。
周りにいる者たちに死をもたらすことにおいて、俺は誰にも引けを取らないだろう。

……そして、昨夜は神子に『消えてくれ』と言った。
幸せをつかむこともなく、ひとり苦しみを抱えたまま、龍に身を捧げてこの世から消えろ、と。

成すべき事のために神子を利用するのだと割り切っているのなら良い。
だが、戯れを仕掛けて神子に『好き』と言わせたことに心を浮かれさせ……
ただ傍で花を見ているだけで楽しいと言った神子と穏やかな時を過ごし……
他所事から離れてお前とゆっくり共に過ごしたいと都都逸を唄いかけ……

その理不尽な運命を俺が代わってやれたらと思うほどには心を傾けているのに、死ねと言い放った。
神子の心がこちらに寄り添おうとしているのを感じてもなお、この世界のために消えろと言い募った。

「……ひどい男もいたものだ」

昨夜、神子と別れて寝床に入った後。
浅い眠りに落ちては覚醒し、しばし目を開けては再び微睡ながら、夢うつつに神子の面影を見た。
本人がやらぬ代わりに、幻でも泣くなり俺を罵るなりすれば良いものを。
手前勝手に瞼の裏に浮かべた姿さえ、神子は現と変わらぬ。
……時に気高く、時に幼く、時に美しく微笑む愛しい花の姿をしていた。

主に仕えるように、妹背を慈しむように、誇らしくお前を守れたなら―――

まだ名残惜しくそんなことを願う自分を断ち切るように、蛍の死骸を外に放る。
死神は死神らしく―――ただ前を睨みながら寝所を出た。
独り死ぬのならすべてを成し遂げ見届けた後だ、と死んだ蛍に己が身を重ね合わせながら。



END



2017/07/02up : 春宵