■欠片

 ぼくの中にあなたの欠片をいくら探しても、1つも見つかるはずがない。
 あなたの中にぼくの欠片がいくつあっても、ぼくには少しも影響がない。

 ―――これは、呪文ですよ。

 あなたに『円を返して』と詰られてからというもの、何度も何度も唱えました。
 こんなことを言うと、最初からあなたを気にかけていたみたいだから、言いませんけど。
 呪文を唱えなければ凌げない程度には、あなたの言葉はぼくを揺さぶったんですよ。

 意識だけこちらの時間軸に転送されたあなたの記憶は、ぼくの記憶とは交わらない。
 それはキングが転送を構想し始めた段階から分かっていた事でした。
 根源は同じものかもしれないけれど“本物”ではないのに目覚めさせる意味あるんですか、と。
 覚醒を望むキングにとっては辛いであろう苦言を、一度ならず言ったのもぼく自身なんですが。
 ぼくがあなたの記憶を持っていないのは、ぼくが取りこぼしたからかもしれないと思いました。
 共有できるものが無かったとしても、あなたの存在くらいは記憶にあるべきなんじゃないか、と。

 一瞬でもそう思ってしまえば、無いと分かり切っていても探さずにはいられませんでした。
 ぼくの中にあるかもしれないあなたの欠片を。
 ………当然、探しても出てくるはずがないんですけど。
 あなたの知る英円はぼくとは別人で。
 ぼくの知っていたかもしれない九楼撫子はあなたとは別人で。
 そういう根本的な問題を抜きにしても、ぼくが誰かを意識的に覚えている事自体が有り得ないんです。

 あなたと接点があった可能性のある小学生当時。
 ぼくの目に入っていたのは、央と、央の両親と、央の弟であるぼくだけでした。
 それ以外は、ただ央の周りを構成しているその他大勢でしかなかった。
 もっと極端に言えば、天候や背景と比べても大して変わりがなかったんです。
 だからぼくは、視力が悪かったことを差し引いても他人の顔をまともに見たことも無かった気がします。

 そっちの方が根本的な問題、とあなたなら言いますよね。
 ―――まったく、相変わらずおせっかいですね。放っておいて下さい。

 とにかく、ぼくにとって央と両親が無事に生きていられることが何よりも重要。
 それは離れ離れになっても変わらない―――変わってはいけないことでした。
 なのにあなたの存在が、ぼくを混乱させてしまったんです。
 ぼくが央至上主義的に生きてきたことを………
 これからもそうやって生きていこうとしていることを一瞬でも後悔させた、という意味で。
 ………これはあなたにも直接言ったことですが、本当に目障りでしたよ。

 「なのにどうして、こんな事になってるんでしょうね」

 囁きながら、隣で寝息を立てている彼女(ひと)の長い髪を指で弄ぶ。
 キングの庇護下から逃げ出したぼくたちは、満足に生活必需品を手に入れられなくなっているのに。
 彼女の黒髪は不自由のない鳥籠の中に居た時と同じように、艶やかに波打っている。
 まぁ、それは本人の手入れの賜物ではなく央の作る料理で栄養が行き届いているからでしょうけど。
 こんな風に何となくいつまでも触れていたいと思うのは、髪質のせいじゃない。
 ぼくが、この彼女(ひと)にハマっているから。
 数日前に言った言葉が、理由のすべてなんだと思います。
 自分で思っていて、痛いのは十分、分かってますから突っ込まなくても良いですよ。

 きっと、ぼくの中にあなたの欠片が1つもなかったから……良かったんでしょうね。

 想いを交わし合った今だから、少しだけあなたの気持ちも分かるような気がしましたよ。
 あれだけあなたの事を想っているキングに、あなたが靡かなかった理由まで。
 だって、ぼくは居心地が悪かった。
 あなたがぼくの中に、あなたしか知らない“英円”の欠片を見ている時に。
 同じように、キングがあなたの中に、キングしか知らない“九楼撫子”の欠片を見ている。
 それはあなたにとっても居心地の悪いものだったでしょうから。

 まぁ、ぼくの場合、その居心地の悪さがいつの間にか心地良くなっていたんですけど。
 ―――居心地の悪さに任せて意地悪を言うと、あなたが怒るから。
 ―――その怒った顔が、ちょっとぼくの好みだったから。

 「う………ん」

 彼女は髪に触れられる感触がくすぐったかったのか、少しだけぼくの腕の中で身をよじった。
 直前まで思っていたことが思っていたことなだけに、思わず息が止まる。
 けれど、ぼくの心臓の音などに反応したわけでもないらしく。
 落ち着く場所を見つけたようにぼくの“もこもこ”の中に顔をうずめて、また寝息を立て始めた。
 ぼくは彼女にハマってしまったけれど、彼女はすっかりぼくの“もこもこ”にハマってしまったみたいで。
 絶対に離さない勢いで意外と強情に“もこもこ”を捕まえている。―――ぼくの身体ごと。
 傍から見ればそれは、彼女が必死にぼくに抱きついているように見えるんですけど。

 明日起きた時にそう言ってからかえば、あなたはまたぼくに見せてくれるんでしょう?
 ぼくの気に入っている、怒った顔を。
 その時の彼女の様子を思い浮かべながら、ぼくも彼女の髪に顔をうずめるようにして目を閉じた。

 央が居て、央の両親が居て、ぼくが平穏で暮らせる。
 少し前に夢見ていた儚い希望は、唐突に全部叶ってしまった。
 彼女、という予測もつかなかったおまけまで、付いて。
 その幸せを眠るまでの間、噛みしめる。
 抑えなくても良いと思うと急に欲張りになる性格のぼくはきっと、近い将来、また思う事だろう。
 この幸せを手放したくない、と。―――おまけまで、すべて。
 そんなぼくの想いが聞こえたのか、“もこもこ”の中で小さく彼女が寝言を囁いた。

 「………おまけって………なによ、まどか………むにゃむにゃ」
 


END



2013/02/20up : 春宵