■残酷な言葉

大丈夫だ。――それは、なんて残酷な言葉なんだろう。
信頼されてない訳じゃないのは分かってる。
だけど、あいつはいつだってその言葉一つで俺から距離を置く。
心配させたくないという思いも分かってる。
あいつが強い事も知ってる。
あいつなら、自分の事に自分で決着つけられるって事も分かってる。
ずっとずっとその背を追い掛けて来たんだ。
そんな事、良く分かってる。
いつだって一人で全部抱えて、抱え込んで――そうして、何でもない顔をして「大丈夫だ」と言う。
あいつが俺を信じてない訳じゃないのも分かってる。
ただ単に性分なんだろう。
何でも一人でやってきた、そう言っていたから。
だけどそれでも、出来る事なら頼って欲しい。
俺がお前に救われたように、俺もお前の力になりたい。
そう思うからこそ、「大丈夫だ」というあいつの言葉は俺にとっては残酷な言葉でしかない。
だから聞きたくないとそう思うのに――。

マガツイザナギ!
鳴上のその掛け声で現れたのは、マガツ稲羽市と名付けられたあのダンジョンの最奥で、足立が召喚したペルソナ。
鳴上が一番最初に手に入れたイザナギと色が違うだけの、そっくりなペルソナ。
足立がそれを召喚したのを見た時にも驚いたが、それ以上に、鳴上がそれを召喚した事に驚いていた。
鳴上の召喚したマガツイザナギの攻撃で、残っていたシャドウは一掃される。
それと同時にマガツイザナギは姿を消した。
その瞬間、本当に一瞬の出来事だったが、鳴上が何かに耐えるかの様に目を伏せたのに陽介は気付いた。
苦しげで、悲しげで――そんなどちらとも取れる複雑な表情。
マガツイザナギを呼び出した直後だっただけに、陽介は気になった。
だから、戦闘終了して皆を促し先に進み出した鳴上に、声を掛けようとしたのだ。

「なあ、なるか……」

鳴上、と名を呼ぶ事は出来なかった。
何故なら無言で直斗に制されたからだ。
何も言うなと目で訴える直斗に、何か知ってるなら後で話せと小声で告げて、陽介は溜息を吐き出した。
そう言えば、――思い出した。
足立が犯人じゃないか、そう鳴上が言ったあの時、直斗が言った言葉を。
個人的に交流があった。――そう確かにあの時直斗は言った。
あの時は足立が犯人かもしれないという事に驚き聞き流していたが。
直斗の言い方から考えてあれは、ジュネスでサボってる足立に鳴上が声を掛けたとか、堂島さんが家に連れ来て話したとかそんなレベルじゃない。
恐らくもっと深い繋がりがあったんだろう。
だからこそあの日鳴上は、一人でテレビに入り足立に会いに行ったんだろうから。

辺りを警戒しながら前を走る鳴上の背を、陽介はじっと眺める。
この一年ずっとこうしてこの背を見ながら走っていた。
それも今日で終わる。
鳴上は明日都会に帰る。
これで本当に最後だろう。
こんな風にこの背を見ながらテレビの中の世界を走るのも。
だからこそ、どんな些細な事でもいいから、何か思う事があるのなら、言って欲しい。
それが辛い事ならば尚更、言って欲しいと思っていた。
聞いたからと言って何かを言ってやることなんてきっと出来ない。
鳴上のように上手く、今相手が一番欲しいと思っているだろう言葉を言う事なんて陽介には出来ない。
でもそれでも、傍に居てやることくらいは出来るから。
そんな事を思いながら少し前を走る背を半ば睨むように見て走っていれば、鳴上が足を止める。
シャドウかと思い警戒していれば、辺りを確認した鳴上がゆっくりと振り返った。

「大丈夫だ、心配するな、陽介」

そんな風に何もかも見抜いて、普段通りの表情で鳴上は告げる。
仲間達はきっと、この先に待っているであろう最後の戦いの事を言っていると思っているだろう。
だが、違う。
鳴上は、陽介が何を言いたいのか、聞きたいのか分かったのだろう。
ホント相変わらずだな、と陽介は内心で思う。
再び走り出したその背を眺めて、陽介は溜息を一つ零して、頭を切り替える。
取り敢えず、このダンジョンの一番奥に居る奴を倒す事だけを今は考えよう。
それ以外の事は、全てが終ってから考えたっていい。
時間はあまりないが、全くない訳ではないのだから。

辿り着いた最奥で、一連の色々な出来ごとの黒幕とも言える相手と戦う。
苦戦を強いられて、そして――どうにか倒す。
倒したのは鳴上で、だから神だと名乗る存在をどうやって倒したのかなんて陽介には分からなかった。
ただ分かったのは、本当にこれで終わったと言う事。
ただそれだけだった。
でもそれでいい。これで本当に全て終わったのだから。

テレビの中から現実の世界へと戻って来て、疲れているのに帰りたがらない仲間達をどうにか帰す。
そうして残ったのは、鳴上と陽介の二人だった。
直斗に話を聞こうかとも思ったが、直接本人に聞く事にした。
この街で起きた事を向こうに持って帰らせるつもりはない。
持って帰るのなら、仲間との楽しい思い出だけでいい。
事件の事もきっと忘れられないだろうから、まあそのくらいはいい。
けれど、それ以外の事はこの街に置いて行けばいいと陽介は思っていた。
いつだって鳴上は全部一人で抱えて進んでいく。
それをただ見ている事しか出来ないのがどれ程もどかしいか――いい加減気付けと陽介は思っていた。
残酷なあの言葉を、これ以上聞く気もなかった。

「陽介、帰らないのか」
「お前、分かってて聞いてるだろ」
「まあな。……それで、陽介は何を聞きたいんだ」
「それも、分かってるだろ」

そう返せば、はあ、と鳴上は深い溜息を吐き出す。

「別に、大した事じゃない。ただ、思い出しただけだ」
「何をだよ」

誰の事を、とは聞かない。
聞かなくても分かるから。
あの時鳴上が呼び出したペルソナは、マガツイザナギ。
足立のペルソナだ。
誰の事をなんてわざわざ聞くまでもない。
そんな事は鳴上も分かっているだろう。

ジュネスの外に、仲間を見送ったままの状態で居た二人だが、鳴上が無言で歩き出した事でその場から移動する。
辿り着いたのは、鮫川の河川敷だった。
春と言っていい時期だと言うのに、風が冷たい。
川を渡って来る冷たい風が、稲羽に春が来るのはもう少し先だと告げていた。

どのくらい沈黙が続いただろうか。
二人並んでただじっと、茜色に染まる川面を眺めていれば、ぽつりぽつりと鳴上が話始める。
堂島さんが居ない時に、鳴上が足立を夕食に誘ったらしい。
堂島家で、鳴上が作った夕食を、菜々子ちゃんと三人で食べたそうだ。
その後も何度かジュネスに居る足立と話をしたらしい。
夜に偶然会って話した事もあったようだ。

「俺が見た足立さんが全部嘘だとは思わない。あれが全部演技だとは思いたくないが――本当はどうだったんだろうな」

そう言って鳴上は苦笑する。
絆を深めた相手の名前を犯人だと告げるのは、どんな気分だったんだろうか。
マガツイザナギを呼び出すと、一緒に夕飯を食べた時の足立と、マガツ稲羽市と名付けられたあのダンジョンの最奥で対峙した足立が交錯するらしい。
絆を深めたはずなのに、どちらが本当に足立なのか分からないと、鳴上は苦笑交じりに告げる。
視線は茜色に染まった川面に固定されたままだ。
足立のした事は正直許せない。
それは鳴上もそうだと言っている。
だがそれでも――足立さんが悪い人だとは思えないんだ、だから……。
それだけ言って鳴上は口を噤む。
はあ、と陽介は内心で溜息を吐いた。
結局鳴上は、足立のした事は許せないと思いながらも、足立自身の事は受け入れてしまっている。
正反対と言っていい思いに翻弄されているんだろう。
絆を深めて、信じたいと思っている相手を犯人だと思ってしまった事。
それが真実でも、心が痛まないはずはない。
ちらりと川面に視線を固定させたままの鳴上の横顔を眺める。
あまり表情が変わらないから、クールな奴だなんて思われているけれど、それは間違いとは言い切れないけれど。
でも、全く表情が変わらない訳ではないのだ。
ほんの僅かな変化に、陽介は気付く。
――俺が、足立が犯人だと気付いてその名を上げていたならば、鳴上がこんな風に苦しむこともなかったんだろうか。
そんな事を思ってみたろころでどうしようもない。全てはもう、終わってしまったのだから。
何と声を掛ければいいのかも分からない。
でもきっと、鳴上自身、陽介の言葉を待っている訳ではないのだろう。
川を渡る冷たい風に晒されながら、それでも此処に居ると言う事は、陽介の判断は間違ってなかったという事だろう。
ただ黙って傍に――それだけで救われる事もあるのだから。

茜色に染まっていた川面が少しずつ少しずつ黒く染まって行く。
夕方から夜へと移り変わろうとしている時刻。
一際強い風が、吹き抜けた。

「うお、寒っ!」

そう言って身を震わせる陽介を見て、鳴上が微かに笑う。

「陽介、ありがとう。俺はもう、大丈夫だ」

大丈夫だ。――この一年何度か聞いた残酷な言葉。
だが今告げられたその言葉は、今までとは違うものだった。
川面に向けられていた視線は、真っ直ぐに陽介に向けられている。
ああ、本当に大丈夫なんだな。そう自然に思えた。

「じゃあ、帰るか。堂島さんと菜々子ちゃんも待ってるだろうし」
「そうだな。風邪引いて帰れないってのもいいかもしれないと思ったけど」
「いや、それは俺が困る」
「何でだ? ここに陽介を連れて来たのは俺だろ?」
「それでも、あいつらに何言われるか分かったもんじゃねえって」
「ああ、確かに」

そう言って鳴上は笑う。
完全に吹っ切れた訳じゃないんだろう。
もうペルソナを呼び出す事がなくても、また思い出す時はきっとある。
それでも、大丈夫だろう。

どちらからともなく歩き出す。
またな。――そんな今までと変わらない挨拶を交わして、二人は互いの家へと向かった。

距離は離れても、きっと何も変わらない。
そう、信じられるから。



END



2012/08/03up : 紅希