■侵食
自分以外誰も居ない家の中。
自分で作った夕飯を、食べる。
一人の夕食など珍しくもない。
稲羽に居たときは、菜々子と夕食を摂ることが殆どで、一人で食事をすることなど殆どなかった。
誰かと食事をする事に慣れてなくて、最初は戸惑った。
だが、今では一人の夕食が寂しいと思えるほどに、あの日々は悠にとって掛け替えのないものになった。
家に帰り「ただいま」と言えば必ず返ってきた「おかえり」の言葉。
それがないことが寂しいと思う。
当たり前のようにあった日常。
今はもうない日常。
けれど、あの場所へと帰れば、それはまた得られるはずだった。
もう二度と、あの日常が戻ってこないなどと、この時はまだ思ってもいなかった。
悠にとってあの場所は、故郷とも言える場所だった。
大切な、場所。
それなのに――。
テレビから流れてきたニュースに、悠は食事の手を止める。
ただじっと、テレビのニュースを見ていた。
稲羽の町が霧に飲み込まれた。
そして、そこにいた人達は……誰一人安否の確認が出来ない、と。
まだ食事の途中だと言うのに箸を置き、悠は慌てて携帯電話を取り出す。
「花村陽介」その名前を呼び出し、電話を掛けた。
――お掛けになった電話は……。
聞こえてきた機械的な声に、愕然とする。
何度電話を掛けても、変わらなかった。
堂島家へと電話を掛けても、特捜隊の他の仲間の電話へと掛けても、結果は同じ。
誰一人電話が繋がる事はなかった。
まだこちらへと帰ってきて、それ程時間が経っていないというのに。
一体何があったというのか。
稲羽市を覆っていた霧は、悠がこちらへと帰ってくる日にも、晴れる事はなかった。
だが、だからと言って、町が霧に飲み込まれたなんて。
霧はどんどん深くなり、悠がこちらへと帰ってくる頃には、ほんのわずか先さえも見通すことが出来なくなっていた事は確かだった。
だから、嘘だと切り捨ててしまう事も出来なくて、けれど信じたくなくて。
「どういう事なんだ。何で繋がらない!」
苛立ちも露わに叫んだ途端、携帯電話が鳴る。
先程電話を掛けた誰かからだと思い、携帯に表示されている名前を確認して、愕然とする。
そこに表示されていた名前は「足立透」だった。
鳴上悠の共犯者。
一生逃れる事の出来ない相手。
足立から電話があったら、いついかなる時でも電話に出る事。
それが、電話の相手、足立透からの命令だった。
「はい」
「遅いよ、何やってたの」
「別に、何も」
「元気ないねえ。あ、もしかしてニュース見た?」
「……」
「やっぱり。あのニュースで言ってた事は本当だよ。稲羽市は霧に飲み込まれた」
「……町の人達は、どこに」
「居るよ」
「……え?」
「もっとも話なんて出来ないだろうけどね。だって彼らはシャドウになったんだから」
「――っ!」
可笑しそうに笑う足立に、苛立ちは募る。
少なくとも足立は、堂島の事だけは本当に慕っていたはずだ。
なのに、何故こんなに楽しそうにしていられる。
何も思わないのか、そう言えるものならば言いたかった。
町の人達がシャドウになったというのなら、仲間達も――。
そんな悠の思考を読んだかのように、足立は告げる。
「ああ、君の仲間達はシャドウになってないけどね」
「じゃあ」
僅かな期待が声に籠る。
シャドウになってないならば、彼らは――。
そんな悠の期待が可笑しいのか、本当に楽しそうに笑って、足立は告げる。
「彼らは最後まで戦ってたよ。ペルソナを駆使してね」
「……最後、まで?」
「そう。稲羽市はね、向こうの世界に侵食されたんだよ。向こうの世界と一つになった」
「……」
「君の仲間達は、向こうの世界のシャドウと必死に戦ってたけど、町の人達がどんどんシャドウになっていって、もう向こうの世界のシャドウかシャドウになってしまった町の人達か分からなくなって。……馬鹿だよね、彼等。町の人かもしれないから戦えないって言って、シャドウに殺されたよ、全員、ね」
「……うそ、だ」
それだけ言うのがやっとだった。
けれど、嘘じゃないという事もまた、分かっていた。
ペルソナはシャドウと同一。
だからペルソナを得ていた彼らは、シャドウになることはなかったんだろう。
足立がシャドウになっていないように。
だからこそ、彼らは戦った。
侵食されていく世界をどうにかしたくて。
一年共にいた彼らの考えそうな事など、分かる。
目の前で町の人達がシャドウになっていく姿を見て、戦えなくなったんだろうという事も。
「嘘じゃない。それに、これは君が選んだ結果だろ?」
「俺が?」
「そう、君が。君は分かっていただろ? 俺が本当の犯人だってこと。分かっていて、見逃した。共犯者に、なった」
「……」
足立の言葉に、侵食される。
彼が犯人だと、分かっていた。
分かっていてそれでも、悠は足立を見逃した。
彼が犯人だと分かっていて、でも、信じたくなかった。
何故なのかなんて分からない。
思った以上に足立透という人間が、鳴上悠の内に入り込んでしまっていたというだけなんだろう。
どうしても、出来なかった。
彼が犯人だと、誰にも告げられなかった。
その結果がこれだというのなら――俺は……。
「堂島さんと、菜々子、は」
「シャドウになったよ。二人とも、ね」
「……」
仲間は死に、家族はシャドウになってしまった。
自分の選択のせいで、故郷を失ったのだ。
掛け替えのない日常を、自分の選択のせいで失った。
あの町は、故郷とも呼べるあの町は、もうない。
霧に沈み、人の住めない町になってしまった。
町の人達も友人も家族もシャドウになり、仲間は死んだ。
それが、俺が選んだ結果。
「足立、さん。俺は……」
「ああそうそう、俺そっちに行くから」
「……え?」
「職場、なくなっちゃったからね。戻ってこいって言われたから、戻ることにしたよ」
「そう、ですか」
「……これからは、君の傍に居られる。ずっと、ね」
そう言って笑う足立の声が、遠くに聞こえる。
その言葉に、その声に侵食されて、ああもう逃げられないんだなと改めて実感する。
逃げられない事なんて、あの時から分かっていたはずだと言うのに。
足立を見逃す選択をし、共犯者となったあの瞬間から、分かっていた事だった。
己の罪を背負い、これから先ずっと、彼に繋がれて。
そうして、孤独に生きていく。
それが、選択を間違った己の罪。
あの町を霧に沈め、あの町の人々をシャドウに変え、仲間を死なせた己の罪だ。
「よろしく、お願いします」
「相変わらず君は変わってるね。まあいいけど」
そう言って笑う足立の声に、侵食されていく。
その度に、自分の体に鎖が巻き付くかのような錯覚を覚える。
逃れる事の出来ない、鎖に――。
END
2013/01/19up : 紅希