■鎮魂歌

8月16日夕方。
諸星哲は、とある公園へと向かって歩いていた。
昨日偶然会った、TYBのプリンセスだったチヒロに、イエスの様子がおかしいと相談を受けたからだ。
チヒロも直接会って確かめた訳ではないようだが、ここ何日か電話で話した限りどうも様子がおかしい、と。
イエスの様子がいつからおかしいのか聞き、哲はその原因に思い当たる。
だから、明日様子を見て来るとチヒロと約束したのだ。
その際、恐らくこの公園に居るだろうと言われた為、目的地である公園に向かって歩いている。
公園に近づいた途端感じた気配に哲は、やはり、と思う。
そうだろうとは思っていたのだ。
お盆は亡くなった者の霊がこちらへと戻ってくると言われている。
それは本当で、霊感体質である哲には、この時期沢山の霊が見えるのだ。
公園に近づき、立ち止まる。
公園には独り、何もない中空を見つめて立ち尽くすイエスの姿が見えた。

「TYBが終わって初めてのお盆だもんな」

思わずぽつりと呟く。
哲と違い霊感のないイエスには霊は見えないはずなのに。
イエスは正確に、恭平さんが居る場所を見ていた。
公園に入り、あまりイエスに近づきすぎない場所で立ち止まる。
じっと中空を見つめたまま立ち尽くしているイエスを、哲は見ていた。
恭平さんは、イエスに会いに来たというよりは、心配で来たのだろう。
詳しい事は哲には分からないが、誰も寄せ付けないイエスの傍にずっと居たのが恭平さんらしい。
イエスと恭平さんの間には、今でも確かな絆があるのが見える。
イエスにとっても恭平さんにとっても、互いに互いの存在がどれ程必要だったのかが良く分かった。
それなのに、何故。

恭平さんが何故ワクチンになる道を選んだのかは、TYBが終わった後悠斗の家で悠斗とチヒロに聞いた為知っている。
それでも、何故、と思ってしまう。
イエスが恭平さんを失った事で負った傷は、未だ癒えてはいないのだから。
イエスは決して認めないだろうが、恭平さんを失った心の傷は、かなり深い。
そう簡単に癒える事がないのは、今日、二人をこうして見て、良く分かった。
チヒロに話を聞き、哲は時期的にも恐らくは恭平さんがイエスに会いに来ているのだろうと思っていた。
それを何となくイエスが感じ取っているのだろう、と。
それは当たりで――だからこそ容易には近づけない。

「さて、どうしたもんかね」

そう呟き、中空を見つめたまま立ち尽くしているイエスを見つめる。
イエスが何を思っているのかは、その表情から窺う事は出来ない。
だから立ち去ることも出来なかった。
様子を見て来ると約束した以上、このままという訳にもいかない。
それに哲自身も、今のこの状態を放置することなど出来そうにはなかった。
かと言って不用意に近づいていいものなのかも迷う。
この距離ならば、いつものイエスなら哲の存在に気付いているだろう。
敢えて無視しているのか、それとも――そう、思った途端、舌打ちが聞こえてくる。

「用があるならさっさと言え。じゃなきゃ消えろ」

次いで聞こえてきたのは、いつも通りのイエスの言葉だった。
イエスの言葉を聞き、哲はイエスに近づく。
それでもイエスの視線が哲へと向くことはなかった。

「なあ、イエス。お前霊感なかったよな」
「ああ」
「その割には正確に、恭平さんが居るところ見てるよな」
「……何となく気配がするからな。ったく、ここしばらくどこに行くにもついてきやがって、うぜぇ」
「お前の事が心配なんだそうだ」
「――相変わらずだな」

そう言ったイエスの声に籠められた感情には気づかない振りをして、哲は言葉を続ける。

「もう一人、お前の事を心配してる娘がいるんだが」
「……知ってる」
「気付いてたのか」
「あいつは隠し事が下手だからな」

そう言った途端、僅かにイエスが纏う雰囲気が和らぐ。

『ああ、良かった』

刹那聞えて来た声にそちらへと視線を向ければ、安心したように微笑む恭平さんの姿が見えた。

『イエスの傍にはあの娘が居てくれるんだね。――それに、君も。彼女にもよろしくって伝えてくれるかな。こんなこと頼めた義理じゃないけど、イエスの事を頼む、と。……君にも、頼みたい』
「分かりました、彼女にも伝えておきます。――まあ、イエスが嫌がりそうですけど」

そう答えれば、再び安心したように恭平さんは微笑む。
視線を感じてそちらを見れば、イエスが怪訝そうな顔で哲を見ていた。
しばらく哲を見ていたイエスは、ああ、と納得したような表情をする。
次の瞬間、哲へと鋭い視線を向けて、イエスは言葉を紡いだ。

「何言われたんだよ、あいつに」
「さあ、ねえ」
「てめぇ」
「おお、怖い怖い」

そうおどけてみせれば、イエスは、はぁ、と深い溜息を吐く。
それ以上何も言わないイエスに、哲はからかうように告げた。

「ま、どうしてもって言うなら教えてやらねえ事もないんだが」
「……どうでもいい」
「相変わらずだな、お前は」

そう言って笑う哲を鬱陶しそうにイエスが見る。
再び溜息を吐き出して――けれど、それ以上言葉を紡ぐことはなかった。
そんなイエスと哲のやり取りを眺めて、本当に嬉しそうに恭平さんは笑っていた。
「良かった」その言葉だけが、何度も何度も哲の耳に届く。
その言葉をイエスに伝えるべきかどうか考える哲の耳に、ロケット花火の音が届いた。
辺りは茜色から濃紺へと移り始めている。
再び無言で恭平さんが居る辺りを見つめるイエスと、そんなイエスを見つめる恭平さん。
茜色から濃紺へと変わる景色の中、響くロケット花火の音が何故か鎮魂歌に聞こえて――それに導かれるかのように、恭平さんの姿が少しずつ消えていく。
お盆も最終日。
こちらへと帰ってきていた霊が、あるべき場所へと還る日だった。

「恭平っ、」

まるで還って行くのが分かったかのように、恭平さんの名前をイエスが呼ぶ。
その声に恭平さんは微笑むだけで、何も言葉を返す事はなかった。
ロケット花火の音が響く中、恭平さんの姿が完全に消える。
まるでそれが分かったかのように、イエスの視線が哲へと向いた。

「それで、てめぇはいつまでここに居るんだ」
「イエスが帰るのを見届けるまで、かねぇ」

はぁ、とあからさまに嫌そうに、イエスは溜息を吐きだした。
それでも、イエスはその場を動こうとはしない。
それを肯定の返事と取って、哲はイエスの直ぐ傍らに立ち空を見上げる。
少し前まで茜色だった空はもう殆ど濃紺に支配されていた。

「なあ、あいつは――」

どのくらい経っただろうか。
ずっと黙っていたイエスが、それだけ言葉を紡ぐ。
それだけで哲にはイエスが何を言いたいのか分かった。

「良かった。そう言ってたぜ」
「そう、か」

そう伝えてやれば、少し安心したような声でイエスが言葉を返す。
それきりどちらも言葉を紡ぐことはなかった。

お盆最終日の、出来事。
ありのままを彼女に伝えよう、そう哲は思っていた。
彼女に伝える事をイエスが望まないのは分かっているが。
けれど、今のイエスを少しでも癒すことが出来るのは、彼女しかいないから。
彼女がずっと傍に居て、少しずつイエスを癒してくれる。
それを、恭平さんも望んでいるだろうから――。



END



2013/08/18up : 紅希