■始まりの予感
朝、目を覚まし、寝台に半身を起こした状態でソーマは溜息を吐き出す。
此処しばらく見る夢。
出て来る人物はいつも同じで。
現実で自分に手を差し伸べるように、夢の中でも手を差し伸べる。
現実でも夢でも、決してそれが嫌だと言う訳ではないのだ。
だがそれでも、その手を取る事は出来ない。
それは、現実でも夢でも同じ。
だからこそ苦しくて、目覚めの気分は最悪だ。
手を取る事など出来る筈がないのだ。
己が望むものは、いつだって手に入らない。
それどころか、この手をすり抜けて、消えて行く。
失くしたくないとどんなに思ってもそれは叶わず。
それはもう、何度も何度も経験してきた事だ。
だからこそ、望む事は出来ない。
そんな事は分かっているのに。
差し伸べられるその手を、取ろうかと僅かでも思ってしまった。
夢の中の出来事とは言え、それはあってはならない事。
それなのに、気持ちは傾く。
その手を取りたいと思うのと同時に、浮かぶ分からない感情。
渦巻く感情の正体が分からずに、苛立ちは増す。
それを抑え込んで、ソーマは寝台から降りた。
その感情を知りたいと言う気持ちはあっても、知ってはならないと歯止めを掛ける何かがある。
知ってしまったら、進んでしまったらきっともう戻れないと何故か思うから。
何かが終わるような始まるような、そんな予感とでも言えばいいか。
だからこそ、尚更進めない。
いや、進まない。
失くしたくないのなら、最初から望まなければ良いのだと、嫌と言う程に知っているのだから。
その手を取る訳にいかないと思っていると言う事は、その手を取りたいと思っていると言う事で。
大体何だってこんな事で朝から色々考えなければいけないんだと思う。
此処最近夢にまで出て来るあいつが悪い。
そう内心で八つ当たりしながら身支度を整えた。
「よお、ソーマ。おはよう」
食堂へと足を踏み入れた途端に聞きなれた、今一番聞きたくない声が聞こえて来て、近付いてくる人影が見える。
いつも以上に鋭い視線を向けて、ソーマは近付いてくるリンドウを睨みつけた。
「おー、今日はいつも以上に機嫌悪いな、お前」
「そう思うなら近付くな」
「そればっかりだな、ソーマは」
言い捨てて去っていくソーマの後を追いかけるように歩きながら、リンドウがそう声を掛ける。
何だってこいつは、現実でも夢の中でもこうなのだろうかとソーマは思う。
大抵の人間は、ソーマが鋭い視線を向けて、近付くなと言えば近付いては来ない。
そうじゃなくとも好んで近付いて来る者など居ないが、リンドウにだけは通用しない。
夢の中、差し伸べられるその手を取ろうとした事を思い出し、それと共に湧き上がる訳の分からな感情が苦しくて。
それら全てを振り払うように、ソーマはリンドウへと鋭い視線を向けて強い口調で告げる。
「俺に、構うな」
その声は、自分でも怒り以外の感情が色濃く出ている事が分かるモノで、それを示すかのように、目の前のリンドウは何とも言えない表情を浮かべていた。
リンドウから逃げる様に踵を返して、ソーマはその場から足早に立ち去る。
いつもならばしつこいくらいに追い掛けて来るリンドウは、何故か追いかけて来る事がなかった。
それが少し寂しくて、けれどそれ以上にほっとしていた。
これでいい、と思う。
もうきっと、リンドウがソーマに手を差し伸べる事もないだろう。
あんな夢もきっと見なくなる。
ちくりと痛む感覚に気付かない振りをして、朝食を摂る。
始まらなければ、終わる事はないのだから。
独りで食事を摂り、食堂を出て行くソーマを見送って、リンドウは溜息を吐きだす。
気付いてはいた、以前から。
構うな、とソーマが周りを拒絶するのは、失う事が怖いからなのだと。
距離を置いておけば、失くしても苦しくないとは言わないが、それでも距離が近いよりはまだマシだ。
そのくらいの事は、リンドウだって分かる。
近しい者を失くす苦しみは、リンドウだって経験しているのだから。
それが嫌で、ソーマは周りを拒絶する。
そんな事は分かっていたのに。
先程、「俺に、構うな」と言ったソーマの声が苦しげで。
いつだってそんな感情を含んではいたけれど、今日のそれはいつも以上だった。
だからなのか、苦しげに言葉を吐き出したソーマの腕を掴み、この腕の中に捕らえたいと思ってしまい、その自分の感情に驚いて、リンドウは去っていくソーマを追いかける事が出来なかったのだ。
自分の中にある感情に、その時になって始めて、気付いた。
「相手が悪すぎだろ、いくらなんでも」
思わず自嘲する。
ソーマが、それ程自分を嫌がっていない事くらいは分かっている。
だから、そう言う意味で相手が悪いと言う訳じゃないのだ。
正直、手に入れる事は出来るだろうと思う。
だが、本当にそれでいいのかと問う声があるのだ。
失う事をあれ程に恐れているソーマに手を伸ばすのならば、覚悟が必要だろう。
簡単に死ぬつもりなんてない。
だが、絶対にとは言えない。
特に今は――気になる事がある今は、尚更言えなかった。
リンドウが特務を受けるようになってもうかなりの時間が過ぎている。
最初から疑問はあった。
それでも、仕事だからと、考えないようにはしていた。
だが、段々とそれを無視出来なくなっている自分に気付いている。
きっとそう遠くないうちに自分は、その疑問を払う為に、支部長を探るだろう。
そして、自分が動けば間違いなく、支部長は気付く。
簡単にやられるつもりはないが、どうなるかなんて分からない。
そんな状況で手を伸ばしてもいいのか、と自問しても答えは出ない。
手を伸ばしたいと思う気持ちと、止めた方がいいと思う気持ちはどちらも同じくらいだった。
相手を想うからこそ、簡単に答えは出ない。
万が一の事があった時、ソーマがどんな思いをするかと考えたら、簡単に手を伸ばす事など出来ない。
かと言って放っておく事も出来ないのだ。
「もう、手遅れ、かもな」
既にリンドウはソーマに近付き過ぎてしまっているのかもしれない。
本当にソーマの事を想うならば、これ以上近付かない方が良いのだろう。
分かっていても、放っておけない。
いや、放っておきたくない。
始めるのは簡単だ。自分が踏み出せばいい。
だが、分かっているからこそ、簡単には踏み出せない。
どうするかね、と呟いた途端、リンドウの名を呼ぶ声に我に返る。
考え事をしていて、食堂に長居し過ぎたと、急ぎ食器を片付けてエントランスへと向かった。
リンドウを指名してくる任務は多い。
先程名前を呼ばれていたのもそれで、他のメンバーは誰にするかと考える。
第一部隊の二人、ソーマとサクヤを連れて行くのが一番だろう、任務の内容から言って。
そう思いながら視線を巡らせば、ソーマがちらりとリンドウへを視線を投げて、そのまま立ち去ろうとしているのが見えた。
「ソーマ」
呼びとめれば、足を止めて振り返る。
「一緒に任務に行くぞ」
「何で、俺が」
「リーダー命令だ」
言えば、不機嫌そうな顔で舌打ちをする。
けれど逆らう事無く、こちらへと近付いて来た。
不機嫌そうな顔のままこちらへと視線を向ける事無く立っているソーマに、思わず手を伸ばしそうになるのを堪える。
分かっている。
覚悟も出来ていないのならば、こんな風に一緒に任務に行く事さえも避けた方が良いのだろうと言う事くらいは。
だがそれでも、放っておくと独りで任務に行ってしまうソーマを、放っておくことは出来ない。
いや、放っておきたくないのだ。
自分の想いを自覚した今ならば、その理由も分かる。
だがそれでも、答えは出ない。
サクヤに連絡をして、揃ったところで出撃ゲートへと向かう。
相変わらず不機嫌そうな顔のまま、適度な距離を保って着いてくるソーマに、リンドウは思わず手を伸ばした。
その頭に手を置けば、不機嫌そうな顔のまま、鋭い視線がリンドウに向けられる。
音を立てて手を払われて、そのままリンドウよりも先にゲートをくぐるソーマの背を眺めて、思わず苦笑した。
「あんまりからかうもんじゃないわよ」
「そんなつもりじゃないんだけどなあ」
呆れたようにサクヤに言われて、苦笑交じりに返す。
手を伸ばしたのは、無意識だった。
今までも何度も、ソーマの頭に手を置いて、振り払われている。
分かっていてやっていたが、今は本当にそういう訳じゃなかったのだ。
本当に、無意識だった。
重症だなと、思う。
恐らくは突き放す事など出来ないだろう。
それが分かっていても、簡単には踏み出せない。
肩を竦めて、先に行ってしまったソーマを追いかけるようにゲートをくぐるサクヤを見て、リンドウも追いかけた。
近いうちに答えを出さなければならないと、思いながら。
END
2011/04/18up : 紅希